災害心理学で、「正常化の偏見」または「正常化のバイアス」(normalcy bias)という言葉があるらしい。「異常が発生しているにもかかわらず、日常的に慣れ親しんでいる正常な状態を前提にして楽観視しようとする心理をいう。兆候を見逃したり、初動対応が遅れる原因になる可能性がある」(原子力防災用語集から)。
例えば、最近のとんでもない集中豪雨によって、水害の危険が予想されても、人はなかなか逃げないのだそうだ。逃げなくていいと思っているのではなくて、「逃げる」という決断がなかなかできないらしい。そりゃ、逃げるとなったら、何を持って逃げるか、いつまで逃げていればいのか、あれこれ考えただけで大変で、逃げずに済めばそれに越したことはないと思ってしまうのは当たり前だし、そんなことをあれこれ思っているうちに、逃げそびれることにもなってしまうのだろう。
防災のハードというのは、過去の災害を基にある「想定」をして、それに耐えられるような設計になっているにすぎないのだから、絶対に安全ということはありえない。人間は自分の生きている時間の中で経験したことを基にしか、なかなか考えられないけど、自然というのは計り知れないものだという謙虚な気持ちが本当に大事だと思う。
今はもう、本来なら危ないところにたくさん人が住んでいたりするけど、本当は土地利用の段階から考えなくてはいけなかったのだろう。せめて、身の回りにどういう危険があるか、ちゃんと把握しておいて、いざというときには、慌てずぱっと逃げられるように準備しておかなくてはいけないんだろうな。
ちなみに、私の住んでいる所は高いところだから洪水の心配はないが、豪雨や地震でいちばんありうるのは、土砂崩れで道路が寸断されて孤立してしまうことかな。
例えば、最近のとんでもない集中豪雨によって、水害の危険が予想されても、人はなかなか逃げないのだそうだ。逃げなくていいと思っているのではなくて、「逃げる」という決断がなかなかできないらしい。そりゃ、逃げるとなったら、何を持って逃げるか、いつまで逃げていればいのか、あれこれ考えただけで大変で、逃げずに済めばそれに越したことはないと思ってしまうのは当たり前だし、そんなことをあれこれ思っているうちに、逃げそびれることにもなってしまうのだろう。
防災のハードというのは、過去の災害を基にある「想定」をして、それに耐えられるような設計になっているにすぎないのだから、絶対に安全ということはありえない。人間は自分の生きている時間の中で経験したことを基にしか、なかなか考えられないけど、自然というのは計り知れないものだという謙虚な気持ちが本当に大事だと思う。
今はもう、本来なら危ないところにたくさん人が住んでいたりするけど、本当は土地利用の段階から考えなくてはいけなかったのだろう。せめて、身の回りにどういう危険があるか、ちゃんと把握しておいて、いざというときには、慌てずぱっと逃げられるように準備しておかなくてはいけないんだろうな。
ちなみに、私の住んでいる所は高いところだから洪水の心配はないが、豪雨や地震でいちばんありうるのは、土砂崩れで道路が寸断されて孤立してしまうことかな。
避難情報を出す側も、空振りが多いと、信頼度が落ちて、ますます逃げてもらえなくなるし、かといって、出すべきときに出さなければ責任問題になるだろうし、本当に難しいのだろうなと思います。
だいぶ涼しくなってきましたので、ご自愛くださいね。(^ー^)