田舎暮らしをしているということで、農業、中山間絡みの話題のテープが時々回ってくる。こちらも話の内容についつい引き込まれてしまったり、自分の住む地域でのヒントになるようなこともあったりするので、仕事をしていても楽しく興味深いことが多い。(チェックをしていると、中には「圃場」を「補助」だと思ってしまうような人も皆無ではないから、正確な仕上がりにもかなり貢献しているに違いないと思う)
先日は某農業関係の会議の中に、農作業等に伴う騒音、においに対する苦情という話題が登場して、思わずしゃべっている酪農家の言葉に拍手をおくりたい気分になった。牛や豚を飼育している所が臭いというなら、豚カツ屋や焼き鳥屋が臭いのか?! 生きている牛や豚が臭くて、死んだ牛や豚を料理するにおいが「おいしそうないいにおい」というのは、本当にあまりに身勝手な話だと思う。
以前、羊を飼っていたとき、産直で愛知県のかたに買っていただいていた。一度、お子さん連れで羊を引き取りに来てくださったことがあって、羊小屋の中で羊を捕まえてトラックに載せる現場に子供たちも一緒にいた。子供たちの口からまず出てきた言葉は「かわいそう」。生き物を殺して食べているのだということの意味を少しでも感じてもらえたかもしれない。
最近、「食育」という言葉がよくいわれるけれども、子供たちの食育の中に、生きた家畜と接する機会もぜひ設けるべきではないかという酪農家の発言に、本当にそのとおりだと思った。
先日は某農業関係の会議の中に、農作業等に伴う騒音、においに対する苦情という話題が登場して、思わずしゃべっている酪農家の言葉に拍手をおくりたい気分になった。牛や豚を飼育している所が臭いというなら、豚カツ屋や焼き鳥屋が臭いのか?! 生きている牛や豚が臭くて、死んだ牛や豚を料理するにおいが「おいしそうないいにおい」というのは、本当にあまりに身勝手な話だと思う。
以前、羊を飼っていたとき、産直で愛知県のかたに買っていただいていた。一度、お子さん連れで羊を引き取りに来てくださったことがあって、羊小屋の中で羊を捕まえてトラックに載せる現場に子供たちも一緒にいた。子供たちの口からまず出てきた言葉は「かわいそう」。生き物を殺して食べているのだということの意味を少しでも感じてもらえたかもしれない。
最近、「食育」という言葉がよくいわれるけれども、子供たちの食育の中に、生きた家畜と接する機会もぜひ設けるべきではないかという酪農家の発言に、本当にそのとおりだと思った。
「ゆとり教育」や総合学習が子供たちにどういう影響を及ぼしたのか、学力低下だけではないプラスの部分が(あるはずなので)もっと見えてくるといいのですが。
成果主義の話も、短期的な成果ばかり求めがちになると、弊害のほうが大きいだろうなと思います。国の方向にしても、エネルギー政策、年金問題その他、ネイティブ・アメリカンのように7世代先とまで言わなくても、せめて孫の代ぐらいまでは考えてほしいですね。
文科省のお役人にしても、最近の学校の先生にしても、受験エリートばかりで、こうしたことの教育の重要性がなかなか分からないのだろうとも思います。
となると、やはり農業者や中山間に生きる人たちの側から、もっとしっかり訴えていかないといけないのでしょうね。