「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

原発震災

2011年03月19日 | 脱原発
 あの悪夢のような大地震からもう1週間を過ぎてしまった。あまりの被害の大きさに言葉を失い、また今なお続く原発の緊迫した状況に、年度末で休みなく詰まった仕事に追われながらも、テレビのニュースやネット上の情報を祈るような思いで見ていたので、仕事も全然はかどらなくて、とてもブログを書く時間的精神的ゆとりもなかった。あらためて、この地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、また被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地に早く十分な食料と暖を取れる燃料が届けられますように。
 そして、恐れていた「原発震災」がついに起こってしまった。まさに浜岡の裁判で訴えていたことが、現実と化してしまったことに、本当に重たい衝撃を受けている。あの日を境に、本当に世界ががらっと変わってしまったような思いがしている。
 地震だけなら、地震直後が最悪であって、そこから少しずつ復興に向かっていけるのに、福島では原発の緊迫した状況は今も続いていて、現地では原発を冷やすために、東電やその下請けの作業員の方、自衛隊、消防の皆さんの文字どおり命懸けの作業が続いている。避難されている方々もいつ戻れるのか、あるいは戻れないのか、全く見通しが立たない。炉心溶融ばかりか、使用済み燃料プールまであんな危険な状態になってしまって、本当に原発の怖さをまじまじと見せつけられている。どうか今の冷却作業が早くうまくいって、これ以上危険な状態が何とか避けられるように、そして作業されている皆さんの被曝が最小限に抑えられますようにと祈り続けている。
 
 5重の防御で絶対外には出ないはずであった放射性物質が放出されて、特に3号機の水蒸気爆発があったときは、北風に乗って、首都圏でも放射線の値がかなり上がった。福島の周辺では今も放射能レベルはかなり高いままで、30km圏より外でもかなり高いところがある。避難エリアを拡大すべきではないかと心配になる。特に赤ちゃんや妊婦さんなどは、100倍くらい影響を受けるというから心配だ。テレビのニュースでは「ただちに健康に影響はない」などといって、レントゲンなどの数値と比較していたけれど、1回浴びるのと、そこに住んでずっと浴び続けるのを一緒にできないと思うし、何より放射性物質自体を呼吸や食べ物を通じて体内に取り込んでしまうことによる内部被曝が心配だ。今日は福島や茨城のほうれん草や牛乳から基準値以上の放射性のヨウ素やセシウムが検出されたという報道があった。当然、農地も汚染されてしまっているのだろう。
 地震の翌日、たまたまR-DAN(Radiation-Disaster Alert Net:放射線検知器を持つ市民のネットワーク)の電話訓練が予定されていた日だった。訓練ではなく現実となり、これまでほとんど形式化していた連絡網の改めての確認の機会となった。直後に、R-DAN仲間である飯田のてくてくさんが呼び掛けて、地域で原発事故についての情報共有の集まりも持ち、そこからメーリングリストも発足して、情報共有をしあっている(ちなみに大鹿では放射線レベルは通常値のまま)。


 原発事故に対する不安もあるけど、一方でどんどん被災地支援も動き出している。南信州でも避難者の受け入れが始まった。未曾有の災害だけど、だからこそ、みんなの助け合いの力を高めていける機会になればいいなと思う。