最近、歯の治療だ、背中のコブの切開だと、何かと病院づいている。予約をしていても、時間よりは早く行かなければならないし、診察が終わっても会計を待ったりと、結構暇な時間が多い。そこでいつもポケットに文庫本を一冊入れて行く。待合室で観察すると、本を持って来ているのは僕くらいで、ほとんどの人がスマホを見ているか何にもしていないかのどちらかだ。
文庫本は高橋秀実さんの「不明解日本語辞典」というヤツ。高橋さんの本の中では「はい、泳げません」が一番笑った。いい歳をして泳げないオッサンが、一念発起、スイミングスクールに通って泳げるようになるまでを書いたノンフィクションだ。初めて高橋さんの本で読んだのは、「からくり民主主義」。これは当時問題になっていた諫早湾の干拓のためのギロチンや、オウム真理教があった上九一色村のその後など、日本各地で騒動になっていた場所に出向き、現地の人に直に聞いて回った話で、マスコミで取り上げられていた話とずいぶん違っていて、印象がガラリと変わってしまった。例えれば、韓国で反日が激しくなると日本大使館前で日本国旗が燃やされたりするが、そんな過激な人たちはほんの数人でも、ニュース映像の激しさから、韓国全体の印象まで変わりかねないのと同じだ。
で、「不明解日本語辞典」には、普段何気なく使っている日本語が32語取り上げられ、それぞれに考察してある。「あ、どうも」とか、電話で「あ、高橋です」という時の「あ」とは一体何かとか、話をつなぐ「えー」とは何かといった具合である。特に面白かったのが、「ちょっと」の項目で、辞書で引くと「少し」という意味だが、職場などで「あの人はちょっと怖いから注意したほうがいいよ」と言われた時には、「すごく怖い」という意味になるなど、正反対の用いられ方もしている。親に怒られる時に「ちょっと来なさい」と言われたときも、ただ「来なさい」と言われるよりも全然ちょっとでなかったりする。
外国から来て日本で働いている人が「ちょっと」とは「待ちなさい」という意味だと思っているという話があった。どういうことかというと、働いていると、上司や同僚から「ちょっと」と呼び止められる。歩いていると「ちょっと」と声をかけられる。その度に動作を止め、相手の対応を待たなければならないため、てっきり「待て」という意味だと思っていたというものだ。
そう言われればそうだよな。外国人にとって、日本語は恐ろしく不明瞭な言葉なんだろうなと思う。
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