おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

古人に寄り添う

2024-08-03 12:19:04 | 日記
 夜が明けるのを待って、庭木の剪定を始める。猛暑日続きで、お日様が照り始めるまでが勝負なのである。というわけで、1時間ほどあちこち気になっていたところをチョキチョキ切る。これで大体終わったかな。

 朝飯を食ったら、次は窓拭きだ。網戸や窓ガラスの掃除を始めると、たちまち全身から信じられないくらいの汗が吹き出した。1日数リットルの水分を補給し、大量の汗を流している。熱中症対策だとエアコンの使用を奨めているが、それだと庭木の剪定も窓掃除もできないのである。

 さすがに午後からは体を動かす仕事は難しいからと、昼飯にキンキンに冷えたビールを飲んで、あとはのんびり過ごす。きれいになった窓から空をみると、真っ白い巨大入道雲が見える。電線の上でさえずっているのはセキレイだったりホオジロだったりする。ときどき梢で鳩がボーボーと間の抜けた声で鳴く。そうこうしていたら、トロトロと睡魔が襲ってくるのである。

 この旅行で小林秀雄の「本居宣長」を持ってきた。この本を買ったのはすでに数十年前だが、いまだに最後まで読み切ったことがない。なにしろ僕の頭では理解の範囲を遥かに超えている。引用している古文がすでに解読できない。なんとか読み取れたとしても、そもそも本居宣長という人が何をした人かを僕は知らない。

 それでもここ数日頑張って読むうちに、本居宣長さんという人が、「もののあわれ」というものが日本人にとって一番重要だと主張していたというようなことがわかってきた。その主張の根本には、紫式部の書いた「源氏物語」の熟読ということがあったらしい。物語だとか小説だとかを読者が読むとき、話の良し悪し、書かれていることの善悪、そういったものを判断して価値があるかどうかを決めるが、「源氏物語」はそうではない。とにかくそこに書かれてあるのは「もののあわれ」なのだから、そのことを感じ読み取ることが大切なのだと宣長さんはいう。

 NHKの大河ドラマで、紫式部が主人公になっているせいか、今まで読めなかったところが、すこしだけ興味が湧いて、なんとかついて行っている感じだ。そう思うと面白い。話がうまくできているとか、起承転結のまとまりがいいとか、ちゃんと伏線を回収しているとか、そういう読み方は実は現代的な読み方なのであって、平安時代、紫式部がそんなことを意図しながら「源氏物語」を執筆したと考えるほうがよほどどうかしているのである。

 人はいつでも自分の立場でいろいろものを言う。宣長さんはそういう考えを最初から否定する。歴史に推参するという言葉があるが、昔の人の傍らに寄り添い、理解しようと努めるのは、難しいことだが面白いことでもある。
コメント
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