棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

赤貧だった芭蕉

2008-07-26 10:33:10 | エッセイ・随筆
私とくに俳句に造詣があるわけでなく、むしろ知らないのですが、思い浮かぶのはほとんどが芭蕉の句だ。
すごいことだ。優れた物体ならば文化財として保存されていくが、忘れ去られてもいく。
ところが、実体の無い「ことば又は文字」によるものは、永遠に続いてゆく。
理解の仕方は時代によって 変化してしまうのは当然だが、そのものは変わらない。変わりようが無い。
そんなすごいものを表した松尾芭蕉さん(1644-1694)は、具体的にどおやってオマンマを得ていたのであろう。
芭蕉の句からは生活臭はなく、苦悩も無い。
といって、自然を歌い上げても 万葉人のような、素朴な自然への驚喜・畏敬ではなく、自然の本質に徹している深さだ。
生活ぶりが判らないのである。
芭蕉を尊敬していた良寛の歌は、深遠な精神の禅境を表しながらも、酒がのみたいだの、腹が減ったの、彼女が来ないだのと生活観が読める。

先日投稿した昭和17年「奥の細詳講」ばかりでなく、他の解説書も眼をとうしてみた。

「もろうて喰ひ、乞ふて喰ひ、飢えや寒さをどうにか逃れて、めでたき人の数にも入らん年の暮れ」
いやはや、赤貧もいいところだった。
ホームレスに近い生活で、弟子たちの添削や教室で わずかな金銭を得ていたのだ。
スポンサーといっても大した資産家はおらず、ほとんどが貧乏弟子ばかり。
大富豪の「太鼓もち」てきなお金目的のことは一切しなかったようだ。

後世に残る大芸術家は 精神は豊かでも、懐は寂しかった


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