1/12(火) 三連休明けの今朝、東京は初雪が降ったそうな。雪の舞っているシーンはTVで見ただけだが。平年より遅い初雪だそうだが、降ったといっても東京の、それも平野部の降雪はしれたものだ。でも、寒いな今朝は。三連休のお天と様が嘘のような冷え込みだ。
三連休の過ごし方は、実にだらけた三日間であった。土曜日は一日家に籠って本を読んで終わった。日・月は、午後から平和島の競艇場で舟遊びとなった。例の如く、渋谷のオヤジ「奈加野」の店主に同伴である。日中は上天気で風もなく暖かかった。スタンドに陣取り、レースの行方を眺めながら僅かばかりの掛け金で舟券を買う。
私的レース予想で買う分けだが、肝心の上り二レースをことごとく外した。この二レースに、前半の上りを投入するのだが・・・・・。勝負のレースで取れなければ負けだ。二日間とも負け、乏しいお小遣いが僅かとなった。我が運の上昇の兆しは、未だ見えず。勝負の女神が頭上に下りてくるのは何時の事やら・・・。
祝日の昨日、レースが終わってから渋谷まで一緒に行った。いつもなら自宅の傍で降りるのだが、店が休みの店主が「二人で新年会でもやろうか」と云うのだ。偶にはオヤジに付き合うことにした。今年は未だ店に顔を出していないし。
土曜日の夜にオヤジから電話があった。「全然顔を見せないが、なにしてんだよ 。常連のSASAKIさんや、店のマツがどうしたのかと心配してるぜ」という。『忙しいのよ、夜は!。それに銭もないしなぁ~。でも、来週の水曜日に行くからさぁ、席とっといてよ』と返し、『今日から平和島でレースやってるけど、明日はどうすんの?』と、誘いを入れたのだ。その結果、二日続けて平和島に出勤となった。そして、二人して連敗したのである。
ほんのお遊び程度のことだが、負けると気分は良くない。車の中で「所詮気晴らしの遊びだから・・・」と、負け惜しみを言いながら渋谷へと向かった。宇田川町の駐車場に車を置いて、向かった店は「麗郷」という台湾料理の老舗。
この店には以前は時々寄ったのだが、久しぶりだ。然し、移り変わりが早い界隈の店と違って、ここは昔のままの構えである。時刻は五時半、早いので比較的すいていた。カウンターの奥に陣取って、紹興酒と腸詰めを肴に飲み始める・・・・。オヤジは同郷、それも同じ町の先輩なのだ(田舎に居た時は全く知らなかったが)。店に顔を出すようになってから三十余年となる。そんなことから、お互い、言いたい放題なのだ・・・。尤も、あまり酷い言いかたをされると『俺は、客だぜ! 』と、印籠を出すが。
『暮れは随分良かったようだけど、新年の客入りはどうなの?』と、店の状況を訊く。と、「いいよ。昨晩の日曜も満席だよ」と、絶好調の様子。「一月は例年いいんだよ。〝食べログ〟の評価ポイントもすごいらしいぜ、見てみろよ」。そんな話を聞きながら、『オヤジは店で飲むのは三杯以内にしなよ。それ以上飲むと、酔っぱらって見苦しいぜ』なんて、煩い苦言を云った。店の味、オヤジへの忠告と、先輩なればこそ、親しいからこそ云う。
そんな生意気なこと言いながら、台湾の昨今に話が移った。『随分と行ってないけど、台湾も随分変わったようだね。台南の田舎の方なら見てみたいと思うけど、台北はいいな。東京と変わらないだろう』と言う。と「そうだよ、台北は都会だよ。100なん階かのビルから見ると、景色がいいぜ。麗郷のような店もビルの中に入って、昔の街並みじゃないよ」と、二・三年前にゴルフ旅行で行ってきたオヤジが応える。
そんな会話の中で、昨年亡くなった盧さんの話になった。盧さんの親父さんは台南の出身だったそうだ。渋谷の繁華街に、中華系のビルオーナーが多数いるとのことだが、盧さんもその一人だった。日本に来た親父さんが資産を残したそうだが、長男でそのビルを管理していた盧さんは、癌で亡くなったのだ。
「盧さんはいい人だったよ。裏表がなくてな・・・」と、オヤジがしみじみと言う。盧さんとは、奈加野の飲み会、華僑会のハワイ・青島とゴルフの旅を二度、月島に係留していたモーターボートに乗せて貰ったこともある。
昭和三十年代にNY大学に留学している盧さんは、マナーも良かったし、一緒に旅をしても同行者の世話をする方だった。ハワイのゴルフ旅行からの帰路、アップグレードの中華航空のビジネスクラスの席で隣り合い、延々と愚痴話を聞いて貰ったこともあった。この時の私は、グループの広告会社から本社に戻る辞令が出た直後であった。そのやるせない胸の内を、黙って聞いてくれたのだ。
台湾料理から、台湾旅行、台湾に祖先をもつ亡き人の話と、同郷の気安さの話がつづいた。そして、オヤジに馳走に与かった。金曜日、横浜での懇談でも、KISHIMOTO大兄にご馳走になっている。更に、木曜日の下北沢におけるHIROさんとの黒田君を偲ぶ一杯においても支払いを任せた。
今年は、ご馳走になりっぱなしの年になりそうな気配が・・・? 。そうはイカンザキか!(古いね、ギャグが)。
今朝の弁当作り、なんと五時からスタートした。昨夜は午後十時に蒲団に入り、いつの間にや眠っていた。そして、零時半に目覚め、三時まで読書。それから眠れぬままに・・・ふっと目が醒めた時が五時前。それから台所に向かった。
今日のメニュを、目覚めてから蒲団を出るまで考えていた。何しろ食材が乏しいはずだ、確実に在るはずの食材を想定しながら考える、あれこれと。とはいっても、記憶されているレシピは乏しいのだから・・・・。
「ホタテのバターソテー」シメジ添え。「ジャーマンポテト」「鮭焼き」「卵焼き」までを確定し、台所に立ったのだ。それから、カボチャ煮と小エビ・小松菜が加わった。豚肉があれば、豚肉の自然薯巻を中華スープで茹で煮しようかと思ったが、豚肉は出払っていた。
少な目のご飯に多めのお菜、と云いたのだが。弁当箱が小さいので菜の方も大して入らん。
食べれないと云う家人、ご飯減らして痩せなくちゃと言う長女。ご飯の量は、小さ目のお茶碗に軽く一杯程度か・・・・。