1/21(木) 夜中に目覚めたが、また眠ることができた。深夜に目覚め前の夢なのか、或いは朝の目覚め前なのか定かでないが、「蛇を打つ」夢だった。何処か判らぬ田舎の畑や石垣、きつい傾斜地に建つ屋敷と漆喰壁。壁沿いの斜面に数本聳える杉の木と細い谷の流れ・・・・・。そんな場所を辿っていた。
何故そんな処に居たのか、それに至る話柄の流れがあるはずだが覚えていない。覚えているのは、傾斜地や畑の石積の間にどくろを巻いた、石の色をした縞模様の蛇のこと。それを、重い金槌で打って歩いていたこと。蛇を潰したその感触が、指先なのか脳なのか判然としないながらも未だ残っている。
夢から目覚め、最初に考えたのは「なんでこんな夢を見ていたのか?」であった。最近の蛇が出るシーンを思いおこすと、週初めに立ち寄った「ローカーボ」でチラシラと見た映画の中だ。その映画はイタリアだかギリシャあたりの映画で、山羊飼いの一家の物語。その映画野中に、石垣にいる蛇を殺すシーンがあった。そう云えば、夢の蛇と映画で見た蛇の模様や姿がとても似ていた。
蛇を打つ夢から醒めた後の気分だが、どうってことはなかった。二日酔の朝のような悪い気分も、台風一過の青空を見上げた爽快な気分もなし。なんでこんな夢を見たのだろうか?だった。
時々と云うか、稀にと云うべきか「蛇」が出てくる夢は見る。古に、邪悪だとか、或いはお金ができるとか諸説あるようだが、夢は夢。されど、どこかに夢の物語に繫がる発端が、繫がるべき思念なりシーンがあるはずだと思うが、如何であろうか。
弁当とは何の関わりもない話が冒頭になったが、物事にはすべて関わりが、繋がっているものなのだ。今朝の場合は、夢のお告げではなく、夢の所為で起床が遅れたと云う事実だ。蒲団から出たのは、今朝も七時になっていた。
大慌てで弁当だ!ご飯を電気釜で炊いていては間に合わぬ。鍋で素早く弁当用のご飯を炊く。今日の菜は「チンジャオロースウー」と決めてあった。大急ぎでピーマンと筍を細切にし、出来合の肉とタレを解凍した。
他には、「冷凍生鮭のソテー」それを中華風の味付けにする。そして、「ネギと若布のヌタ会え」と「スクランブルの卵焼き(刻みホタテ入り)」であった。最後の卵焼きは、時間が足りずスクランブル風にせざるを得なかった。写真の菜も弁当も、長女の分が去った後のものだ。
昨日の午後、来客の予定が急遽延期となった。午後の時間がぽっかりと空いたので、思い立って「神田明神」に参拝することにした。神田明神は、江戸百八町の守護神で、会社の在る日本橋界隈も氏子となある。が、三年前まで詣でていなかった。
三年前、酒場の席ながら某氏が神田明神のお守り「勝守り」を頼りにし、そのご利益に帰依していると言った。どんな神からも仏からも、ご利益に与かった覚えがない私だが、他人様の信ずるものを信じて帰依するのも一興かと、それ以来神田明神の「勝守り」を持つようになった。
神様から借用したままの古いお守りをお返しし、新しいお守りをお借りしますと「神田明神」の御本尊に願い奉ったのである。幸いにも銀座線で二駅、末広町駅で降りればいい。至近とも云える処に在る。然し、この日の午後から風が強くなり急に寒くなった。あたかも、日頃の信心の足りなさを責められているかのような冷たさである。
そんな寒さであったが、明神様の狭い境内は参拝客で賑わっていた。平素の信心不足をお詫びしつつ、二礼二拍、一礼をし、国家安泰・社業繁栄とともに“お宝来来”を願ったのである。多くを願った割にはお賽銭が少なかったかな? そして社務所にて「勝守り」をしっかりと借用した。因みに、その借用料は500円である。
先ほど、渡邊一雄さんから電話を頂いた。奥様の昌代さんが、深夜に亡くなったとの連絡であった。数年前、癌治療ために療養をしているとお聞きして以来、気になっていた。渡邊さんと顔をあわす機会があるたびに様子を尋ねてきたが。年末辺りから入院をされたと耳にはしていたが・・・。
そんな次第で、明日参加を予定していたOB会の七福神めぐりは欠席。「聖ルカ礼拝堂」での渡邊昌代さんの葬送に参列することになった。渡邊一雄さんにとっては、昨年夏のご子息の逝去につづき、辛い年明けになった。覚悟していたとは云え、その胸中を思うと・・・・・。