1/6(水) 昨夜は荷物が届く予定があり、酒場巡りもせずに帰宅した。新年早々から酒場に顔出しをせぬ宵があるとは、春から縁起がいいか?。帰宅したのは午後八時過ぎ、暇なので晩飯を作って喰ってしまったが、これが喰い過ぎと云う笑えぬ始末となった。
そんなことで、蒲団に入ったのは23時頃と、お利口な坊やであった。CDを聞きながら、本を読むうちに眠り、目覚めたのは五時前。目が覚めた途端に咳が出始めて、飛んだことになった。咳き込むのは年中のことかもしれない・・・、会社でもよく言われる。
生来喉が弱い私は、よく咳をするのだ。サラリーマン時代、咳を席ですると、直ぐにお茶や水を持ってきてくれた時代もあったのだが・・・。今じゃ、時折AOKIが飴をくれるぐらいだ。その程度の価値しかねえのは間違いなしだが。人間、落目にやぁなりたくねえもんだ。
訳の分からんボヤキはその程度にして、今朝の弁当に入ろう。早くから蒲団を出て、弁当作り。今朝のメニューは、ハンバーグがメイン。これは昨夜のうちから決めてあった。冷凍の挽肉を取り出し、タマネギを刻んで準備をする。おっと、その前に炊飯だった。三合の米を磨いで、電気釜を仕掛けた次第。
他の菜は、豚肉の野菜包焼き。シメジ・タマネギ・人参を豚薄肉で包視、オリーブオイルで焼く。味付けは塩胡椒と醤油をポタリ。そして、パスタサラダだ。これは、生パスタとブロッコリ・人参・スナップエンドウを茹で、オリーブオイルと塩胡椒、仕上げにマヨネーズをニュロ~ニュロと。焼きものは「紅鮭のカマ焼き」。最後に定番の卵焼きでお仕舞のはずだが・・・。
弁当に詰める段になって、レタスを千切りモヤシを少々炒めて、ハンバーグの下敷きに。何かと考える分けだ、最後まで。
― 年賀状 ―
正月と云えば「年賀状」、年賀状と切っても切れぬ縁となったのは、サラリーマンになってからだ。あの当時、サラリーマンになった当初のことだが、同じ職場の人とのやりとりが結構頻繁だったように記憶する。そんなことから、字の下手ね私も書くようになったのだろう。今は楽だね、パソコンだから。
年末始、年賀状を書きながら、或いは頂いて。一人ひとりの顔をボケ頭に描きながら、関わりを思い出して一枚の葉書に見入る。これが結構好きなんだ。
中には何十年も会ってない方、しょっちゅう顔を合している方と、其々ながら興味深い。年賀状だけのやりとりがつづき、在る会場でバッタリ出会うこともある。が、顔では誰だか分らず名札を見てお互いに認識する。そんなケースもあるが、年に一度の一枚の葉書の情報だけで親しみと親近感のわき方が違う。
年末前、喪中欠礼と届いた案内は今年も数十枚。中には、奥様を亡くした方、ご本人が亡くなり、ご家族からの通知もある。日頃のお付き合いがあれば、たいていの事情を知るが、交流の薄い、或いは遠方の方の状況を知るのは、年末始め一枚の葉書である。
今年も一枚、かつて席を並べた先輩が亡くなったとの知らせがあった。三十数年前、東北から来ていた先輩と1年程席を隣合せた。先輩が、仙台に戻られた後、会う機会はなかった。が、年賀状だけの交流は続いていた。三歳程年長で、素朴な印象だった先輩の浮かぶ顔は当時のままだ。当時のままの「千葉正樹」さんが、私の中に残っている。
そして毎年、「年賀状は今年で最後に致します」との案内も数枚届く。夫々の思ひがあろう由、それはそれでいいと思う。私はなるだけ、出せる限り出したい。或る意味、「俺は生きてるぜ、未だ」と云う証明、生存証明のようなものだとも思っている。少なくとも、社会とかかわって生きている限り。このBLOGも同様だが・・・。