夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

梅雨の間の暑さの中、亡き作家・徳冨蘆花氏に思いを馳(は)せれば・・。

2009-06-26 16:23:27 | 我が故郷、徳富蘆花氏に尋ねれば・・。
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
いつものように日の出の4時半過ぎに起床し、
煎茶を冷やしていた冷茶を飲んだ後、新聞を読んだり、NHKのニュースを視聴し、
この間にも、主庭のテラスに下り立ち、樹木、草花を眺めながら、
煙草を喫ったりするのが、ほぼ定例のようになっている。

梅雨の時節であるが、ときおり梅雨の間に快晴となることがあり、
昨日と同様に、朝の6時過ぎ22度で迎え、昼下がりは30度前後の暑さと
なり、
夕方の6時過ぎでも26度前後と予測されている。

私は梅雨のしっと小雨が降る25度前後の日中に心身馴染んでいたので、
梅雨の間の急激な暑さに戸惑っている。

いつものように買物、散策は暑さの中しているが、
散策も近回りとなり、汗をふきふき、苦笑している。

そして、ここ5月の下旬より亡き作家・徳冨蘆花氏に物狂いのように、
熱中している。

このことはこのサイトに5月25日に於いて、
【 我が故郷、亡き徳富蘆花氏に尋(たず)ねれば・・。】と題して、
投稿を初めてから、最近まで19回ばかり連載しているが、
初回にこの思いを綴っているので、あえて再掲載をする。

【・・
     第1章

私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昭和19年9月に今住んでいる近くの実家で、
農家の三男坊として生を受けた。

私はこのサイトに於いては、私の幼年期から昨今まで、数多く綴ったりしているが
ここ数年、私の生まれる以前の昭和時代はもとより、
大正、明治時代の我が故郷の実態である情景、生活など知りたくなったりしている・・。


父は昭和28年に病死され、そして祖父も後を追うように昭和29年に死去し、
私としては小学生であったので、
この頃の情景はある程度は鮮明に残っている。

母は無念ながら10年前に他界したが、
私は敗戦前の昭和時代の頃の我が家の出来事はもとより、
周辺の移ろう情景なども聞いたり、教えられたりした。

この間も、親戚の叔父、叔母、近所の小父、小母さんなどに訊(たず)ねたり、
教示されたりしてきた。

そして、図書館などに行き、『郷土史』などを読んだりしてきたが、
つたない私は、この時代を鮮明に整理を出来なかったのである。


こうした思いでいると、私は数キロ近くに『蘆花公園』があることにに気づき、
思わず微笑んだのである。

http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index007.html

正式名所は『蘆花恒春園』であるが、このサイトの公園概要に明記されている通り、

【・・
「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花(健次郎)と愛子夫人が、
後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分と
その周辺を買収してつくられました。

蘆花は明治40年2月まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていましたが、
土に親しむ生活を営むため、当時まだ草深かった千歳村粕谷の地に土地と家屋を求め、「恒春園」と称し、
昭和2年9月18日に逝去するまでの約20年間、晴耕雨読の生活を送りました。
・・】
と解説される。

そして作家の徳冨蘆花氏は数多くの随筆を遺されているが、
千歳村の粕谷(現在:世田谷区粕谷)の地に約20年間生活されていたので、
遅ればせながら、何かこの地域に関する随筆はと探した結果、
『みみずのたはこと』の作品を知ったのである。

私はこの後、数店の本屋で徳冨蘆花の『みみずのたはこと』を探し求めたのであるが、
無念ながらなく、気落ちして帰宅したのである。

そして、ネツトで色々と検索した結果、
著作権の消滅した小説、詩、評論等を収録された無料公開の電子図書館で知られている【青空文庫】で
この作品にめぐり逢えたのである。


http://www.aozora.gr.jp/cards/000279/files/1704_6917.html

そして私は、この三日間ほど、本名の徳冨健次郎で発表された『みみずのたはこと』を読みはじめ、
あの頃の時代は、私の住む近く地域に於いては、このようなことがあった、
と深くうなずいたりし、多々教示を受けている。
・・】

このように投稿した後、
本題の『みみずのたはこと』に描かれた明治40年からの千歳村粕谷の情景、
そして付近の生活実態を転載させて頂きながら、
現在、激しく変貌し跡形もなくなったこの地域と対話ができればと思い、
最新では私なりに19回ばかり連載している。

昨夜もこの『みみずのたはこと』の中の一編である『ヤスナヤ、ポリヤナの未亡人へ』を三度ばかり読み、
深く考え、迷ったりしたのである。

徳冨蘆花氏は若い頃から『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』などで名高いロシアの作家のトルストイを読み、
徳冨蘆花氏も作家となった後でも更にトルストイを精読された後、
トルストイの家に訪問している。
そして、本編はトルストイの突然の死を知り、未亡人となった奥方に手紙形式で綴られている。

私は『みみずのたはこと』に於いて、千歳村・粕谷に住み、
徳冨蘆花自身の思いや周囲の情景を学ぶのであれば、このトルストイの未亡人宛は対象外として、
私は飛ばして私なりの連載を続けようと思ったりした。

或いは、徳冨蘆花自身の千歳村・粕谷に住まわれた中での出来事であり、
氏の心情を深く洞察すれば、軽い気持ちで対象外にもできない、
と思ったりしたのである。
そして、私なりにトルストイの遺(のこ)された作品、トルストイの軌跡を思考したのである。

このような思いで、私なりに大いに躊躇し、
どのようにするか、暑さの中、ぼんやりと考えている。


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