過ぎし2004年(平成16年)の秋、
民間会社のある会社に35年近く勤めて定年退職した・・。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの50代の奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは通夜の時に哀悼をしながらも、動顛してしまった・・。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
過ぎし日に、厚生労働省の公表によると、2016年(平成28年)の時点で、
日本人の健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳と推計され、
平均寿命と健康寿命の差は、男性約9年、女性約12年と報じられている。
自立した生活ができる期間であり、何んとか男性の健康寿命の延長戦の最中かしら、
と思ったりする時もある。
しかしながら私の友人、知人の7人は、すでにあの世に旅立っているし、
或いは私より8歳ご年配の知人は、心身溌剌とされている御方もいて、
あくまで健康寿命も男性の平均であるよなぁ・・と思ったりしている。
こうした中で、
そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
しかしながら自己節制が乏しく、恥ずかしながら多事多難に遭遇してきた・・。
過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病の疑いがありますので、内科に受診して下さい』
と明記されてしまった。
私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
何なりと御指導をお願い致します』
内科の医院長のアドバイスを聴いたりした・・。
軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
野菜を多くした料理を作って貰い、これ以来、朝夕頂いたりした。
8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
この時、医院長より指針とされたことは、
糖尿病の指標となる血液検査項目のHbA1cに於いて、
糖尿病の境界値である6.5%を切れば、糖尿病予備群となります、
このようなことを言われたりした。
と言われる時もある。
このように私は、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、
日本酒の辛口の純米酒に別れを告げたりした。
こうした中、冠婚葬祭、懇親会、国内旅行以外は、
ウィスキーの濃い水割りを夕食の前の晩酌として愛飲したりしてきた・・。
たった1本を呑んで、満足している・・。
過ぎし2019年の新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半過ぎであった・・。
やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。
こうした中、退院の一日前、40代の男性の担当医師より、
『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。
過ぎ去り遠い年、若き大学一年のワンダーフォーゲル部に加入して、
10泊11日間の夏季合宿に於いて、中日(なかび)が休息日であったりした。
こうした中で、先輩がタバコを喫っていて、
私も真似事のようにタバコを喫ったりした。
これ以前に中学3年の時、いたずらでタバコを喫ったりしたが、
担当の先生より、これから志望した高校は、退学になるから・・、
と私は忠告を受けたりしたので、
これ以降は、もとよりタバコは無縁となったりした。
この夏季合宿した後、タバコを喫い始めて、
まもなく映画、文学青年の真似事をしている時、
やがて敗退した後の長きサラリーマン時代の34年間に於いて、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。
こうした習性が長年続き、タバコを禁煙したならば、
言葉とか文章が、脳裏より舞い降りて、こなくなるかもしれない、
と危惧したりした。
或いは定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた後、
中学時代の同級生の有志により、私の退職祝いを開催してくれたりした。
この時、同級生の好感している女性のひとりから、
XXくん・・タバコをまだ喫っているの・・、
と言われたりした。
或いは男性の同級生より、
俺は・・孫が出来た時、3年前にやめたょ・・、
と私は言われたりした。
やがて65歳の頃、健康診断の時、女性スタッフより、
XXさん・・タバコをおやめできませんか・・、
と私は言われたりした。
こうした時、タバコは・・一生のお友達ですから・・、
と御苦笑しながら、抗弁したりしてきた。
こうした経過もあり、4年前の入院先で、ベットに腰掛けていた私は、
担当医師より、『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・
貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。
私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます』
と私は担当医師に向かって言ったりした。
そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。
こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった。
こうした根底のひとつには、
そして
友人、知人の中に、要介護、難病、そしてあの世に旅立たれたことを思い馳せると、
こればかりは神様か仏様が采配する世界だ、と思ったりしている。