第1章 旅の始まりは、北海道限定ビール
私たち夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。
今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、市内のホテルに宿泊することとなった。
旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。
ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあ(義母)さん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。
ホテルにチエック・インをした後、遅い昼食を取るために、
旭川の街並みを歩いた。
これといった当ての無い食事処であったので、結果として寿司屋に入った。
座敷に上がり、家内の母は、
通常はアサヒビールのスーパードライを飲んでいるので、
北海道限定の『北の職人』を注文した。
私は北海道に来た時は、サッポロビールの北海道限定『クラシック』を吞み、
地酒は『男山』、『国士無双』の純米酒が殆どである。
私たち3人は、『北の職人』をグラスに注ぎ、
『おかあさんの・・初めての・・北海道・・乾杯ね・・』
と私は明るく言った。
こうして家内の母は、
初めての飛行機の搭乗を羽田空港から旭川空港の旅路を終えて、
初めての北海道観光のはじまりとなった。
尚、この寿司屋の味は、私は美味しい感じ、『大番寿司』という名の店であった。
第2章 雨、そして風の中の層雲峡
旭川の明け方は、霧雨だった。
家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。
駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。
終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。
先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。
昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。
やむなくホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。
私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。
露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、これ以外はすこぶる快適であった。
家内達が部屋に着いたのは、3時過ぎであった。
やはり旭山動物園も雨が強さを増したので、早めに引き上げてきた、
と家内は呟(つぶや)いていた。
夕食の時、オリジナル創作料理と称して、
タマネギの中身をくり抜き、ビーフシチューを詰め込んで焼き上げた料理は好感した。
ありふれた料理でも、少し工夫すれば、
このような夢のある形、味わいが増すということである。
第3章 遙かなるオホーツク海
快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。
エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。
『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。
北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。
網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、北海道らしい景観となる。
私は冬の季節、流氷を追い求め、初めて流氷を眺めな時、
厳粛な心持になったことを想いだしていた。
知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。
宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。
第4章 『知床~それは命の営み』
夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。
標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。
宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。
私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。
斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。
厳粛・・と云うしか言葉が見つからず、
海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。
防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。
厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。
家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。
その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。
帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。
私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。
私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。
ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。
まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。
《つづく》
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私たち夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。
今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、市内のホテルに宿泊することとなった。
旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。
ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあ(義母)さん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。
ホテルにチエック・インをした後、遅い昼食を取るために、
旭川の街並みを歩いた。
これといった当ての無い食事処であったので、結果として寿司屋に入った。
座敷に上がり、家内の母は、
通常はアサヒビールのスーパードライを飲んでいるので、
北海道限定の『北の職人』を注文した。
私は北海道に来た時は、サッポロビールの北海道限定『クラシック』を吞み、
地酒は『男山』、『国士無双』の純米酒が殆どである。
私たち3人は、『北の職人』をグラスに注ぎ、
『おかあさんの・・初めての・・北海道・・乾杯ね・・』
と私は明るく言った。
こうして家内の母は、
初めての飛行機の搭乗を羽田空港から旭川空港の旅路を終えて、
初めての北海道観光のはじまりとなった。
尚、この寿司屋の味は、私は美味しい感じ、『大番寿司』という名の店であった。
第2章 雨、そして風の中の層雲峡
旭川の明け方は、霧雨だった。
家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。
駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。
終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。
先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。
昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。
やむなくホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。
私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。
露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、これ以外はすこぶる快適であった。
家内達が部屋に着いたのは、3時過ぎであった。
やはり旭山動物園も雨が強さを増したので、早めに引き上げてきた、
と家内は呟(つぶや)いていた。
夕食の時、オリジナル創作料理と称して、
タマネギの中身をくり抜き、ビーフシチューを詰め込んで焼き上げた料理は好感した。
ありふれた料理でも、少し工夫すれば、
このような夢のある形、味わいが増すということである。
第3章 遙かなるオホーツク海
快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。
エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。
『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。
北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。
網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、北海道らしい景観となる。
私は冬の季節、流氷を追い求め、初めて流氷を眺めな時、
厳粛な心持になったことを想いだしていた。
知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。
宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。
第4章 『知床~それは命の営み』
夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。
標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。
宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。
私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。
斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。
厳粛・・と云うしか言葉が見つからず、
海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。
防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。
厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。
家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。
その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。
帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。
私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。
私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。
ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。
まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。
《つづく》
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