私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの【ライフハッカー[日本版]】を見ている中で、
【 「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある 】と題された見出しを見た・・。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
このような私でも、「ひとりの時間」は日常生活には欠かせない、と思っている私は、
改めてどのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。
この記事は、【ライフハッカー[日本版]】で3月26日に配信されていたが、 無断ながら大半を転載させて頂く。
《・・「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある
自分自身のことを内向的な人間だと自認していれば、研究成果をわざわざ持ち出すまでもなく、
ひとりで長い時間を過ごすことに、どれだけメリットがあるか知っているでしょう。
しかし、外向的な人は違いますよね?
(略)最近、BBCが研究者とチームを組んで1万8千人もの人たちを対象に、
インターネット上でどのように、何人くらいの人々が休むのかということを調査した結果、
他人から距離を置くことで利益を得るのは、内向的な人だけではないということが判明したのです。
外向的な人もまた、ひとりでいる時間が必要なのです。
調査において、もっとも心が安らぐ活動は、どんなものかという問いに対して、
回答者たちは、読書や自然と触れ合うこと、ひとりでいること、音楽鑑賞、特に何もしていないとき、
といったような孤独な時間を挙げたのです。
そして、これらの孤独な活動というのは、内向的な人よりも、外向的な人にとって、より人気だったのです。
「分析チームは、この調査で回答者によって選ばれた選択肢のトップテンの心休まる活動というのが、
たいていは、ひとりで行われるものだったという観察結果に衝撃を受けたのです」と研究者は述べています。
ひとりでの活動に高得点を付けたのは、内向的な人だけではなかった、という点も意外です。
つまり、外向的な人も、ひとりの時間に価値を見出しているのです。
そして、他の人たちと一緒にいることよりも、心安らぐ娯楽だと思っているということです。
(略)まず、外向的な人と内向的な人の違いは、たいていの場合誇張されています。
私たちの外向、内向の程度というのは、状況やライフステージにおいても変わるものです。
たとえ、私は絶対に内向的だ、という人でも、
外向的に変わっていくことは十分に可能であり、逆もまた然りなのです。
内向型人間(イントロバート)と外向型人間(エクストロバート)の境界線は、
多くの人が思うよりもあいまいなもの、ということ。
注目すべき点は、ひとりの時間は精神を健康に保つために不可欠なもの、ということです。
従来の科学では、私たちは自分を発見するために、ひとりの時間が必要だ、としています。
物事を習得、マスターし、もっとも独創的な考えを思いつくためです
この研究の結論は、比較的シンプルです。
どのようなタイプの人であれ、もっと「ひとりの時間」を1日のスケジュールに組み込んでみましょう。
気分が回復し、精神的な面でも多くのメリットを得られるに違いありません。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
過ぎし12年半まえ、退職後の年金生活に於いては、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
こうした時は紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。
こうした根底には、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中、我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家より遠方の処で、独り住まいとなっている。
そして一昨年の5月より、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしている。
こうした年金生活をしてきた私は、ひとり時間を愉しむ時が多く、
齢を重ねるたびに、独り遊びが上手になったかしら、と微笑んだりしている・・。
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【 「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある 】と題された見出しを見た・・。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
このような私でも、「ひとりの時間」は日常生活には欠かせない、と思っている私は、
改めてどのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。
この記事は、【ライフハッカー[日本版]】で3月26日に配信されていたが、 無断ながら大半を転載させて頂く。
《・・「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある
自分自身のことを内向的な人間だと自認していれば、研究成果をわざわざ持ち出すまでもなく、
ひとりで長い時間を過ごすことに、どれだけメリットがあるか知っているでしょう。
しかし、外向的な人は違いますよね?
(略)最近、BBCが研究者とチームを組んで1万8千人もの人たちを対象に、
インターネット上でどのように、何人くらいの人々が休むのかということを調査した結果、
他人から距離を置くことで利益を得るのは、内向的な人だけではないということが判明したのです。
外向的な人もまた、ひとりでいる時間が必要なのです。
調査において、もっとも心が安らぐ活動は、どんなものかという問いに対して、
回答者たちは、読書や自然と触れ合うこと、ひとりでいること、音楽鑑賞、特に何もしていないとき、
といったような孤独な時間を挙げたのです。
そして、これらの孤独な活動というのは、内向的な人よりも、外向的な人にとって、より人気だったのです。
「分析チームは、この調査で回答者によって選ばれた選択肢のトップテンの心休まる活動というのが、
たいていは、ひとりで行われるものだったという観察結果に衝撃を受けたのです」と研究者は述べています。
ひとりでの活動に高得点を付けたのは、内向的な人だけではなかった、という点も意外です。
つまり、外向的な人も、ひとりの時間に価値を見出しているのです。
そして、他の人たちと一緒にいることよりも、心安らぐ娯楽だと思っているということです。
(略)まず、外向的な人と内向的な人の違いは、たいていの場合誇張されています。
私たちの外向、内向の程度というのは、状況やライフステージにおいても変わるものです。
たとえ、私は絶対に内向的だ、という人でも、
外向的に変わっていくことは十分に可能であり、逆もまた然りなのです。
内向型人間(イントロバート)と外向型人間(エクストロバート)の境界線は、
多くの人が思うよりもあいまいなもの、ということ。
注目すべき点は、ひとりの時間は精神を健康に保つために不可欠なもの、ということです。
従来の科学では、私たちは自分を発見するために、ひとりの時間が必要だ、としています。
物事を習得、マスターし、もっとも独創的な考えを思いつくためです
この研究の結論は、比較的シンプルです。
どのようなタイプの人であれ、もっと「ひとりの時間」を1日のスケジュールに組み込んでみましょう。
気分が回復し、精神的な面でも多くのメリットを得られるに違いありません。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
過ぎし12年半まえ、退職後の年金生活に於いては、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
こうした時は紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。
こうした根底には、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中、我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家より遠方の処で、独り住まいとなっている。
そして一昨年の5月より、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしている。
こうした年金生活をしてきた私は、ひとり時間を愉しむ時が多く、
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