夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

淡紅色の秋海棠(シュウカイドウ)の思い・・♪

2007-09-08 17:32:00 | 定年後の思い
ベコニアの花や葉に少し似ている秋海棠の草花があるが、
昭和53年の春、家内が師事していた茶事の先生から頂いた花のひとつであり、
我が家の庭で彩(いろど)っている。

私達夫婦は主庭の紅梅、もみじの周囲に、下草がわりに植え込んだ。

8月の初めの頃から淡紅色した花がひっそり咲き初め、
ハート型した葉は、大小は不揃いであったが、
茎まで恥らうように淡い紅色に染めている。

微風を受けると少し首を傾げた揺れるのを見かけたりすると、
私なりに風情を感じたりしている。

そして、少女が大人になりかけたしぐさ、表情に似ている、と思いを馳(は)せたりしている。


私は最初に感じたのは、
あの頃に歌手の岩崎宏美が唄っていた『思秋期』(作詞・阿久 悠)を聴いたりしていたので、
この花への想いを重ねてしまうのである。

江戸時代の前期、日本の文化史上に確固たる点を残されたは俳人の松尾芭蕉は、

   秋海棠 西瓜(スイカ)の色に 咲きにけり

と爽やかな色合いを詠んでいるが、
私としては、有数な歌を残された俳人としては、この作に関しては駄作と感じたりした。


ここ10数年、拡散し、庭の外れの道路に面した垣根の根元付近、
家の裏の狭い路地にも群生し咲いている。
半日陰を好むので、まるで壁の花のように、恥らうようにひっそりと咲いている。

過日、ある地方の川べりで帯のように並列して盛大に咲いている情景をテレビで視聴したが、
まるでベコニアのように感じ、私なりの本来の秋海棠の魅了を粗末にし、
風情のかけらもないと思ったりしていた。

草花の愛好の人々は、秋海棠・・片思い、と花言葉として命名されて折、
私は素直に微笑(ほほえ)んだりしている。








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真夏のような朝を迎えて・・♪

2007-09-08 07:20:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、雲ひとつなく澄み切った青空となり、
真夏の朝のような陽射しを庭に差し込んでいる・・。

台風が通り過ぎたので、このような状況が古来から多いが、
台風は北海道に上陸し、通過中で道民の方達はお気の毒、
とニュースを見ながら思ったりしていた。

私の住む街は、日中は34度前後の暑さとなり、
再び真夏日こんにちは、という心情である。

蝉(セミ)が元気を取り戻し、なごりほしそうに盛んに鳴いている。

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