年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

河馬に噛まれる

2011-04-17 20:17:34 | Weblog
 どうも浮気っぽい性格かもしれない。つい最近まで=先日も「橋ものがたり」を読んではいたが=夢中になって開いていたのは藤沢周平の本であった。たぶん出しているものの9割は読んだと思う。下級武士の悲哀に焦点をあてた時、そのプロセスは男女の織り成す感情であったり、上司との絡み合いであったり、友人や親兄弟の絆であったりする背景を丁寧に描いての悲哀感漂う作品にしている、それらが妙にマッタリとしていて、心地よくたまらなく藤沢本に引き付けられる理由になるんだろう。
 階段の電球が切れたのでホームセンターに買いに行った。すると店の中に中古本フェアのコーナーがあった。とりあえず懐かしい品があるか、などと1冊1冊見ていると、ヤッパリ買い物篭に入れてしまった。箱入り「風の又三郎」そして大江健三郎「河馬に噛まれる」いずれも300円。大江健三郎を夢中に追っかけていたのはいつだったか、と思う。「万廷元年のフットボール」までは、新版をきちんと追いかけていたけれど、以後は頭が回らなくなり、手に取ることがなかった。ところが私が、10数年前、少し穴ぼこにボチャンと落ち込んだ時期があり=自律神経失調症の診断が精神科医師から下された=日常生活の落ち込んだその穴からもがいて抜け出そうとしていた時に、目にとまり面白く読み耽った本が河馬の本であった。河馬の糞尿の効用など河馬は、やっぱりエライなどと、そしてどうすれば穴から這いあがれるのか・・・と。以後「『自分の木』の下で」などは、キャりア形成の仕事に携わることになる今の仕事に大変参考になった(特にドイツの日本人学校における作文指導などは、応募書類の中の志望動機の書き方指導に役立った)。
 先週の日曜礼拝において新しい牧師が、大江健三郎ファンであると話されたので、久しくも私も熱中した当時を思い出して、目にとまったのである。大江健三郎⇒吉本隆明・高橋和巳⇒藤沢周平と熱中対象が変わった。なんだか昔入れ揚げていた人を懐かしむような感覚。
                      
 2週連続で教会に行くのは、何年振りだろうか。今日の上川牧師も熟れた説教内容だと思う。聖書の活字から普遍して、日常生活の中に聖書の御言葉を散りばめるような内容であった。
 近頃身体が疲れているのだろう、集会後、病院へ透析終了後の弟を迎えに行き、家まで送ると、急に眠気が来た。弟の家でコタツに入ると即寝てしまう有様。起きると5時前である。慌てて母親を約束していた温泉に連れて行くことにする。湯上がりの母親は、浴槽内で言葉を交わした若いご婦人が、札幌から転勤でやって来られたと聞き、私の孫夫婦も札幌にいる、などと話が弾んだよ、とニコニコ顔で帰りの車中で話してくれた。