年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

伯母の葬儀

2011-04-07 00:00:00 | Weblog
 私の幼少時以来、私がからかうようにして遊んでもらっていたM伯母が95歳で亡くなった。通常天寿をまっとうした、などと表現できる年齢かもしれないが、幸福な最期とは思えない、ほとんど独りでなくなった。施設で未明に息を引き取ったと聞いた。私の父親のすぐ上の姉にあたる。M伯母は障害をもっており普通の会話はできなかった。知的障害の部類だろうと推測しているが、なにせ病院へ行ったなどと聞いたことがないので詳しくはわからない。9人兄弟姉妹の3番目になるけれど、知的障害を持つ伯母に対してまわりのものは、忌み嫌うようにM伯母を自分達の日常生活の端っこにおいて、それぞれが寄せ付けることのないような関係を保っていたように見えた。昔、障害者である娘(伯母)と私の祖母である母親とは、いつも二人で手を取り合って、どこへ行くのもいつも一緒であったことを覚えている。幼少時の私は、祖母の家に遊びに行った際、その二人にくっついて、山に行き畑に行った記憶がある。私が話し掛けると目をしばたかせながら、言葉を発することなくニコニコ笑ったり怒ったりしていた顔を思い出す。しかし私はここ数十年はM伯母に会ったことはない。なぜなら祖母が亡くなってM伯母は施設に入ったけれど、どこにいるのかも知らなかった。M伯母の存在は、遠くにいて気になり、近くにいて邪魔者というような関係を持つような伯母の兄弟姉妹の関係として映ったが、次々と兄弟姉妹が亡くなり、私の父親も亡くなり9人のうち生きている兄弟は、二人だけが今いる状況である。
                         
 昨夜のお通夜は妻が参列した。今日の葬式は私が出席した。きれいな顔をしていた、と夕べ妻から聞かされた。M伯母の遺影は、私が今まで数多く出席した葬儀場で経験した、真中に飾られた写真の顔の目線が出席者に対して真正面であるのに対して、今日のM伯母の目線は斜め上を向き、遠くを見つめているような写真であった。何を見ているんだろうか、伯母は菜の花畑に佇んで、何か遠くを眺めている顔写真であった。若いときから、多い兄弟姉妹の中でも相手にされることなく、ずっと独りで生きてきたが、周りの人に支えられながら生きてきたことが感じられた。なぜなら本人は、ほとんど話したこともない甥や姪やその子ども達、また近所の人たちに大勢野辺送りに来てもらって旅立ったから。合掌。