暘州通信

日本の山車

36224 甲良豊後守宗廣

2008年06月23日 | 日本の山車
36224 甲良豊後守宗廣
滋賀県甲良町
□汎論
甲良豊後守宗廣は甲良町法養寺の出身。甲良家は代々宮大工の家系で、京都の吉田神社、近衛家の館門をはじめ、寛永一三年(一六二六)の日光東照宮大造営に尽力があった。
滋賀県に記念館があり、関係資料が展示される。
開館は金土日で、観覧には事前に確認が要る。

□問い合わせ
甲良豊後守宗廣記念館(法養寺)
電話 0749-38-3656


01447 鞆町のお手火神事

2008年06月23日 | 日本の山車
01447 鞆町のお手火神事
広島県福山市鞆町
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)

□祭は七月上旬

□汎論
いまは福山市になったが、以前は鞆の浦といえば兵庫県証とともに「鯛網漁」の屈指の漁場だった。昭和三〇年ごろ、狭い路地の裏で背中に赤ん坊をくくりつけたおばちゃんが七輪に日をおこし、目の下四〇センチもあろうかという大鯛を無造作に焼いていたのを見てびっくりしたのを思い出す。
お正月、いや結婚式でもちょっとお目にかかれない代物だった。
沼名前神社で行われる「お手火神事」は、由緒不明とはいえ、信州戸隠神社の柱祭とおなじものとされ、和歌山県、熊野那智大社の「那智の火祭」、京都・由岐神社の、「鞍馬の火祭」とともに日本三大火祭のひとつに数えられる。


20586 戸隠の柱祭

2008年06月23日 | 日本の山車
20586 戸隠の柱祭
長野県長野市(旧戸隠村)
戸隠神社

□祭は八月
柱祭

□汎論
柱祭は戸隠神社で行われる火祭は、江戸時代までは七月七日に柱祭と称して行われていたという。菅江真澄の著述である天明四年(一七八四)の「久米路の橋」によると、高い柱三本を立て、それを戸隠三社である本社、中社、玉光社に見たて、それぞれの柱の数か所に束ねた柴を結び火を点けると、火が次々と柴に燃えうつってゆく、どの柱が早く燃え上がるかによって、その年の田豊作の吉凶を占ったという。
たとえば、本社の手力雄命の御柱が一番早く燃えれば豊作だというぐあいである。
いまはその名残りとして八月に注連を張っ内に薪をおき、新しい幣束三本を煙にあわせるという神事占いが行われている。

38225 櫛田神社 (松阪市)

2008年06月23日 | 日本の山車
38225 櫛田神社 (松阪市)
三重県松阪市櫛田町七二四
□祭神
大若子命
櫛玉姫命
須佐之男
天忍穂耳
市杵島姫

□汎論
創建
社伝では垂仁天皇(すいにんてんのう)二十二年(紀元前八年)に、ヤマトヒメノミコト(倭姫命)が天照大神を奉祀する場所をもとめて各地を訪れたときに案内した大若子命を祀るために創建したと伝えられる。延喜式に記載される古社。
博多の祇園山笠、博多おくんちなどでよく知られる福岡県福岡市博多区の櫛田神社は、天平宝字元年(七五七)に当社より分祀したと伝えられる。
垂仁天皇二年十月には、纏向(現桜井市か)に珠城宮(たまきのみや)をつくるとあり、同年、任那から人質として渡来していたソナカシチが父の死により国に帰ることを望んだので許している。垂仁天皇は、帰国したら国名を御間城天皇(ミマキテンノウ)の名をつけるようにといい、帰国後国名を「任那(ミマナ)」にしたという。


00536 女河八幡宮祭

2008年06月23日 | 日本の山車
00536 女河八幡宮祭
静岡県湖西市新所
女河八幡宮(めがわはちまんぐう)
□祭は十月中旬
山車(屋臺)を曳く。
□山車
・女河
・中岡
・岡崎
・日の岡、正砂
・吉野、札木
・神明、入江
(順不同)

□汎論
山車の後部に大太鼓を乗せて山車の外から打つ。このような形は愛知県稲武町でも見られる。女河八幡宮の特殊神事は、静岡県の「記録作成などの措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選ばれた。

□問い合わせ
湖西市 
電話 053-576-1155

03984 松原神社祭

2008年06月22日 | 日本の山車
03984 松原神社祭
小田原市本町二-一〇-一六
松原神社
古新宿の龍宮神社
千度小路の龍宮神社
両龍宮神社が加わる

□祭神
松原神社の祭神は、
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
併祀
スサノオノミコト 素盞嗚尊
ウガノミタマノカミ 宇迦御魂神

□祭は五月上旬。
山車およそ一〇臺、祭には数臺を曳く。
・大手前 二十一区
・代官町
・台宿 八区
もとは、神武天皇の人形をのせ、からくり人形戯のある山車だった。
・御幸町 十二区
昭和二十九年の建造。工匠は一寸木峯吉。彫刻は永田謹一郎。
・新宿
・萬町
・宮の前 二十二区
・魚河岸 二十三区
・駅前
休止
・七枚橋 十区
休止

□汎論
松原神社の創祀は不詳で、伝承によれば、平安時代、久安年間(一一四五-一一五一)
近衛天皇が勧請したという。境内には太子堂、境内社に佐々木八幡神社、叶稲荷神社がある。旧、小田原宿総鎮守として長く祀られてきた、いまは氏子二十六町の産土神となっている。
神幸祭は、旧城主だった大久保忠隣(おおくぼただちか)のときにはじまったといい、
「新編相模風土記」には、「浜降り神事」だったことをうかがわせる。
祭には山車を曳き、小田原囃子が演奏される。



03767 麻舞八幡神社秋祭

2008年06月21日 | 日本の山車
03767 麻舞八幡神社秋祭
秋田県横手市平鹿町
浅舞八幡神社(あさまいはちまんじんじゃ)
□祭は九月中旬。
飾山車十臺、踊山車を曳く。神楽の奉納がある。

□山車
・伊勢堂
・栄町
・本町
・蒋沼
・四ツ関
・覚町上
・覚町下
・新町
・宿舘
・田中
踊山車
・仲町
・六日町
(順不同)

□汎論
浅舞八幡神社の秋祭に曳かれる山車には山車各組が趣向を凝らした飾り付けが行われる。人形は土崎祭、角館神明祭、山形県新庄祭などで曳かれたものを借用するが、一工夫を加えた衣装をまとい、紅白の幕で囲われた臺上に飾り付けられる。各場面には藝題がつくが、上に「風流」の文字が加わる。山車には後部で囃子演奏される。

01671 出石神社祭

2008年06月20日 | 日本の山車
01671 出石神社祭
兵庫県豊岡市出石町宮内  
出石神社
□祭神
アメノヒボコノミコト 天日槍命 出石八前大神
境内社
比賣社 祭神麻多島は天日槍の妻。
夢見稲荷社
天神社
ほか。

□山車
だんじり、子供だんじりを曳く。

□汎論
出石神社は但馬国一の宮で、延喜式にも記載される古社。創祀は不詳で、社伝には
谿羽道主命と多遅麻比那良岐によりアメノヒボコノミコト(天日槍命)を祀ったという。アメノヒボコは、朝鮮新羅(しらぎ)の王子であったが、妻との間がこじれ、妻は日本に帰ってしまう。王子は妻を追って難波にきたものの、ここで土地神に阻まれ妻のもとにいたることができなかった。いったん引いて播磨の宍粟邑(現兵庫県宍粟郡)に落ち着くが、このあと宇治川(京都府)をさかのぼって、近江にいたり、近江国の吾名邑(現滋賀県坂田郡)にしばらくと泊まった後若狭(福井県)を経て但馬(兵庫県)に着き、ここで出石の太耳の娘、アタオ(麻多烏)を娶って定着した。
アタオは、但馬諸助(もろすく)を生み、諸助は但馬日楢杵(ひならき)の父となっ
ている。さらに日楢杵は清彦の父。また清彦は田道間守(たじまもり)の父となった

アメノヒボコは息長氏の外戚となり息長帯媛は、のちの神功皇后であるがアメノヒボコノミコトの孫にあたる。

01538 今諏訪の御柱祭

2008年06月18日 | 日本の山車
01538 今諏訪の御柱祭
山梨県南アルプス市
諏訪神社
□祭は六年毎の申と寅年
御柱を曳く。

□汎論
御柱祭は諏訪神社の上社、下社で行われる神事だが、長野県をでるととたんに姿を消し、鳥取県智頭町、新潟県新発田市などに散見される。
南アルプス市にも信州諏訪の御柱とおなじように、「山出し」と「里曳き」とがある。
七年に一回、申と寅年の四月四日御柱を曳く。
里曳きの御柱のまえには、子どもたちの曳く「お舟」がある。青竹で組み、杉葉で船腹をつくり榊が立つ。

02667 杭全神社祭

2008年06月16日 | 日本の山車
02667 杭全神社祭
大阪市平野区平野宮町2-1-67
杭全神社(くまたじんじゃ)
□祭神
素盞嗚尊
合祀
熊野三所権現の、
伊弉冉尊
速玉男尊
事解男尊

□祭は七月中旬。
夏祭りは平野だんじり祭ともいいだんじりを曳く。

□汎論
創祀は貞観四年(八六二)、征夷大将軍、坂上田村麻呂の孫にあたる坂上当道が素盞嗚尊を勧請して社殿を創建したのにはじまると伝えられる。
建久元年(一一九〇)に熊野證誠権現の伊弉諾尊、元亨元年(一三二一年)に、熊野三所権現である伊弉 尊、速玉男尊、事解男尊を勧請して合祀した。
後醍醐天皇から勅額を受け「熊野権現社の総社」とされた。
本殿は重要文化財の指定を受ける
本殿 第一殿 元禄三年(一六九〇)の建立。
旧春日大社の本殿で、一間社春日造、檜皮葺き。
本殿 第二殿 永正十年(一五一三)の建立。三間社流造、檜皮葺き。
本殿 第三殿 永正十年(一五一三)の建立。一間社春日造、檜皮葺き。
日本で唯一連歌所が残る。宝永五年(一七〇八)に再建されたもので、大阪市指定文化財に指定されている。

00489 生立八幡祭

2008年06月15日 | 日本の山車
00489 生立八幡祭
福岡県みやこ町(旧犀川町)
生立八幡宮
□祭は
山車(曳山)二臺、舁山六臺が出る。

□山車
親車
・続命院
・山鹿

舁山
・柳瀬
・古川
・本庄
・大熊
・谷口

□汎論
生立八幡宮は養老七年(七二三)に、豊前国司、宇奴首男人(うののおびとおひと)の創祀になり、仲津郡(犀川町、豊津町、行橋市の一部)の鎮守であった。
八幡宮は神社として一番古く仏教を取り入れ、放生池がつくられたところも各地に見られる。福井県小浜の放生八幡宮、富山県射水市の放生津八幡宮などがそれである、
奈良県東大寺の別当は手向山八幡宮であるが、ここに祀られる僧形八幡神像(そうぎょうはちまんしんぞう)はよく知られるが、当社にも古い神像があり祭神とされて祀られている。応永元年(一三九四)、当時、地頭職にあった西郷高頼が願主となってつくられたと伝えられる。
山車(曳山)は親車ともよがれる。川渡り神事で知られる風治八幡宮の山車と同じように幡がたちならぶ。舁山は現在は担ぎ山となって担がれている。幔をめぐらした「山」に高い二本の柱が立つ。筑前、筑後、肥前、豊前、豊後に見られる華麗な山車の祖形とも考えられる。







00214 盛岡八幡宮例大祭

2008年06月15日 | 日本の山車
00214 盛岡八幡宮例大祭
岩手県盛岡市
盛岡八幡宮
□祭神
誉田別命 (応神天皇)
合祀
春日大神
白山大神

□祭は九月中旬。
山車一〇数臺を曳く。

□汎論
盛岡八幡宮の創祀は、 康平五年(一〇六二)、源頼義が安倍氏を討つとき、戦勝を祈願して京都の石清水八幡より分祀を請けたのにはじまるという。「鳩森八幡宮」とも言い
日戸氏の尊崇が篤かった。
文禄二年(一五九三)に、南部氏が盛岡城を築城し、鎮守の神社として社殿が再建された。
延宝八年(一六八〇)、藩主の南部重信は旧地の青森より櫛引八幡を勧請し、
こちらを「新八幡」、「南部新八幡」とも言ったた。明治期に鳩森八幡宮を新八幡に遷した。明治二十二年(一八八九)に、市内にあった白山神社を合祀している。
風流山車十臺あまりが出る。毎年作り変え、歌舞伎、戦記物などから題が選ばれる。
岩を作り、その上を松、桜、藤、竹、造花で祭神となる人形がのる。
また山車各組ではその姿を精密・巧緻に描いた刷り物が作られる。
岩手県、青森県の各地に毎年更新される山車が建造されるが、盛岡の山車はそれらの祖臺と考えられる。

□問い合わせ
盛岡市観光物産課
電話 019-651-4111
盛岡八幡宮社務所
〒020-0872 
盛岡市八幡町13番1号
電話 019-652-5211
Fax 019-652-5212


24451 深浦円覚寺の厨子

2008年06月15日 | 日本の山車
24451 深浦円覚寺の厨子
青森県深浦町
円覚寺

□汎論
円覚寺の縁起は、大同二年(八〇七)、征夷大将軍坂上田村麻呂の東征時、厩戸皇子作
の十一面観世音菩薩を安置する観音堂を奉建したときにさかのぼる。
のち、清和天皇期の貞観十年(八六八)に、泰澄大徳の弟子で、浄定行者の弟だった円覚法印が、諸国遍歴中に深浦を訪ね観音堂を再興した。この円覚法印を開基としており、山号も法印にちなんでいる。
津軽三十三ヶ所観音霊場の第九番札所で、明治五年に古義真言宗醍醐派となった。
円覚寺の厨子は飛騨の匠の作と伝える。飛騨の匠(工)は、名工の誇りと伝統を伝えるが、各地に赴いて建築、彫刻をのこしているが、明治期以前までは普段の生活はは農耕、山林仕事などにたずさわり、仕事が入るとその規模により個人で、あるいは集団を組んで招聘に応じた。伝統の技は定評があり、施主は飛騨の匠の仕事に満足し自慢した。
このような民間伝承が各地に「左甚五郎伝説」となって伝わる。


01046 矢部八朔祭

2008年06月15日 | 日本の山車
01046 矢部八朔祭
熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)
□祭は九月上旬。
作り物の大山車を曳く。

□汎論
各町内が田の神に感謝して、竹、薄などを使った巨大な作物をつくり大山車にのせて曳く。
中世時代、阿蘇氏の支配下にあり、承暦年間に大宮司、鎌倉期にはその支配が小国、矢部にも及んだ。旧矢部町浜町には承元元年(一二〇七)頃、大宮司の「浜の館」が置かれたが、天正十四年(一五八六)薩摩の島津氏の侵攻により浜の館は破壊された。
天正十五年には、越中立山超え、黒百合伝説で知られる佐々成政が肥後の支配下になっている。
当地の近隣には見事なアーチ型の石橋が見られる。皇居の二重橋もこの地方の石工の手になるという。通潤橋もそのひとつで、水を通すこの橋の完成で、いまも百町歩(約百ヘクタール)の農地を潤している。