暘州通信

日本の山車

30001 山車の定義

2008年06月29日 | 日本の山車
30001 山車の定義
山車とは。
山車について各地にお邪魔し、また叙文についていろいろな場所でよく質問を受ける。一番多いのが車がなくても「山車なのか?」と。
次に多いのが「山車」という語彙。
三番目は、祭で曳かなくても「山車なのか?」
四番目は、「仏教関係の山車があるのか?」
五番目は、「飛騨の工とは?」、「左甚五郎について」の問い。
六番目は、「山車を造ってくれ」という相談。
筆者が執筆していく上で「山車」として定義しているのは、
一、古代からの信仰に起源をもつもの。
正月の門松、左義長、お松曳き、道祖神祭、地鎮祭の柱など「まつり」ではあっても、「御祭礼」とはよばないものが多い。山口県蓋井島の山の神祭。
二、神社の祭に属するもの。荘厳され、工芸の極致ともいえる華麗なものが多い。
三、神社に属しない「山車」で、市民祭などで曳かれる山車。各地の夏まつりなど。浜松の御殿屋臺は中島砂丘であげる凧を運搬する車として曳かれはじめている。
仮に三大別したが、これは筆者の見解である。
戻って「山車とは?」ということになると、それは「一本の柱」に始まる。伊勢神宮の「真の御柱」、「松上げ神事の柱」、「幣束や御幣」、「竿燈」、「明かりを入れて曳く」単年使用の山車、北陸地方に見られる「夜高」、みちのくの「ねぶた、ねぷた」はその
代表といってもよかろう。
これらは複数が組合わせられることがある。また、長唄、端唄、浄瑠璃、お囃子、民謡などと音曲と結びついたものも多い。
大まかに概念を述べたが、折に触れて詳述する。

◆谷口與鹿と草場珮川

2008年06月29日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿と草場珮川
 草場珮川(くさばはいせん)は、天明八年〈一七八八〉正月七日の生まれ、慶応三年〈一八六七〉年十月二十九日没、享年八十歳の長命であった。
字は棣芳、通称瑳助、珮川は後に佩川と書き号である。肥前の多久の人で。二十三歳で江戸湯島の昌平黌に学び、古賀精里に師事した。多久侯に仕え、佐賀藩の儒員となり、藩校の弘道館教授をつとめている。漢詩集に『摂西六家詩集』、『佩川詩鈔』(嘉永六年刊、四巻四冊)があり、『文久二十六家絶句』(文久二年刊、三巻三冊)にも選ばれ、諸家より詩文集の序文、跋文、評語などを依頼されている。
師の古賀精里が幕命を受け、朝鮮通信使にあうため対馬に随行し、約二ヶ月間の見聞を記した『津島日記』があるほか、鍋島藩の命でしばしば対馬に渡り、朝鮮からの使節との通詞にあたっている。
若いとき使節と筆談を交わしているが、のちには不自由なく朝鮮語で話せたという。また日々の出来事を記した『草場珮川日記』が知られる。安政四年に谷口與鹿と橋本香坡は西遊からの帰りに佐賀の草場珮川邸を訪れている。この応酬を知りたいと思い旧佐賀城内にある県立図書館を訪れ、渉猟したが見当たらず、図書館の司書の方が佐賀大学に連絡してくださり、ちょうどその時期は草場珮川が藩主の命で対馬に赴いていたことがわかった。草場珮川とは会うことができなかったのである。
橋本香坡は、篠崎小竹門の後藤松陰とともに摂西六家詩抄の編集に関わっており、谷口與鹿とともに伊丹郷町で酒を酌んでいる。
逢えなかったのはさぞ残念だったろうと思われる。


38823 韓国の神社

2008年06月29日 | 日本の山車
38823 韓国系の神社
朝鮮国史似よく引用される『三国史記』によると、新羅の初代王とされる赫居世始祖として廟に祀ったのは西暦六年とあり、およそ五百年を経た西暦五〇八年に、新羅の第二十二代の智証王九年により「神宮」に祀られたと記録される。つまり、古代には韓国にも祖先を神として祀る「神宮」が存在した。
赫居世の「居世」とは神を意味しており、「コセ」、「コソ」、「キソ」はみなこの範疇に含まれ、わが国の「コセ」は御所(ごせ)、巨瀬(こせ)、小瀬(こせ)、古瀬(こせ)、高僧洞(こそぼら)、木曾(きそ)、伊太祁曾神社(いたきそじんじゃ)などは、古代の神を祀る場所であったと考えられよう。朝鮮のアメノヒボコのもとを去って難波に帰ったとされるアカルヒメを祀る神社は姫許曾神社(ひめこそじんじゃ)。
新羅神社、韓国神社、辛国神社、韓神社、百済神社、高句麗神社、高麗神社、高来神社、白髭神社、白鬚神社なども渡来系の祖神を祀る廟處であろう。
八幡神社、出雲大社、稲荷神社、松尾神社、大貴己神社、諏訪神社なども朝鮮から渡来した氏族が祖先を祀る神社である。
わが国の神社の嚆矢は朝鮮半島から渡来した氏族にはじまるといっても過言ではないだろう。一方、朝鮮半島からは神社が消え、いまはおそらく一社もないのではないだろうか。

31145 稲荷神社

2008年06月29日 | 日本の山車
31145 稲荷神社
稲荷神社は日本各地に普遍的に存在し、あるときは神に、あるときは仏として祀られる。推論だが、稲荷神社は日本に祀られた神社のうちではもっとも古く、おそらく弥生氏族の祀った氏神であろう。弥生民族とは出雲民族である。