暘州通信

日本の山車

論攷 斐太ノ工 十二

2010年04月30日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 十二

 「これは仮説である」
 蘇我氏と物部氏の対立は、丁未の役(五八七)により、蘇我馬子が、武力をもって物部守屋を滅亡させ決着したとされる。
 大阪府の八尾市太子堂の国道二十五号線に面して物部守屋の墓がある。近くには「迹見赤檮(とみのいちい)が樹上にいた守屋を鏑矢で射た場所、大聖勝軍寺の山門前には、秦河勝が物部守屋の首を洗った池などがあり、物部守屋の終焉の地とされているが、史実とはなりえない説話がある。
 物部守屋はわずかな供とともに美濃を経て旧地の飛騨にいたり、飛騨八景のひとつとしても知られる秀麗な神南備山である、錦山にしばらく隠棲し、然る後に信州諏訪に庇護をもとめ、余生を信州で送ったというものである。物部守屋に従った従者の一人は鞍作止利(くらつくりのとり)で、錦山の麓には物部守屋を祭神とする【錦山神社】がある。
 鞍作止利(くらつくりのとり)は、法隆寺金堂の釈迦三尊像の佛師としても知られるが、六二三年の造顕とされる金堂の中央に安置される本尊は聖徳太子の冥福を祈って造った」といわれる。飛鳥様式に入れられる推古佛であるが、中国の北魏様式を曳き朝鮮半島を経ずに渡来した形式と考えられる。司馬達等の孫にあたる。鞍部多須奈の子で、その子には福利、人足、真枝がある。司馬達姓を名乗り、中国からの渡来人と推定されるが詳細は不明。岐阜県飛騨市(旧吉城郡河合村)に泉鏡花の「高野聖」でも名高い【天生(あもう)】はその出身地で、斐太の工のひとりにも上げられるが詳細は不明である。

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「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
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◇薯童謡 ソドンヨ/百済の武王-2 
2010/3/16(火) 午前 2:07
... (元興寺縁起) 584年 蘇我馬子が司馬達等の娘 善信尼ら三人を出家させる(日本最初の尼)。 584年 新羅に難波吉土木連子を遣わす。 585年 蘇我馬子、塔を大野丘の北に建て、法会を行う。物部守屋、塔・仏殿を焼き、仏像を難波の堀江に捨る。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/gekiyasu_lohas/59215024.html

◇蘇我馬子
2009/4/22(水) 午後 5:33
... 妻は大連物部守屋の妹、鎌姫大刀自です。 子供は蝦夷(豊浦大臣)、刀自古郎女(厩戸皇子妃)、河上郎女(崇峻天皇妃)、善徳、法提郎女(舒明天皇妃) ... それが 善信尼(司馬達等娘、飛鳥寺や法隆寺の仏像を作った鞍作止利仏師の叔母にあたります。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kaedesoyosoyo12345/15363804.html

◇磐船神社
2009/2/9(月) 午後 4:36
... (?)の御代に中国人の司馬達等が仏像を携え来日したが ... このことをきっかけに蘇我氏と物部氏の亀裂が深まり、蘇我馬子は物部守屋を殺し、厩戸皇子とともに仏教を奨励し、これより仏教が盛んとなる。 2.蘇我氏と物部氏の争い 当時朝廷於いて最も勢力があっ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dakartake/29182581.html

◇11月14日、醸造安全祈願祭
2006/11/14(火) 午前 6:00
... 仏像を海に投げ込ませ、馬子や司馬達等ら仏法信者を面罵し ... 赤檮(とみのいちい)が大木に登っている守屋を射落として殺すと、寄せ手は攻めかかり、守屋の子らを殺し、守屋の軍は敗北して逃げ散った。守屋の一族は葦原(物部氏の領地)に逃げ込んで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23609186.html

◇蘇我馬子・日本最初の仏教寺院<飛鳥寺>を完成「その時歴史が動いた」(上)
2006/1/21(土) 午後 6:45
... 付録の冊子で司馬遼太郎と対談している。当時は大阪市大助教授。「司馬さんは大和のご出身とうかがっていますが ... 神事、軍事を司る物部守屋。大臣(おおおみ)の馬子と大連(おおむらじ)の守屋とは事毎に対立した。本来は天皇を支える両輪。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/23330563.html

論攷 斐太ノ工 十一

2010年04月30日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 十一

 「これは仮説である」
 物部氏、中臣氏は古代国家における祭祀を司った氏である。大和朝廷成立時の初期においては、物部氏が有力者であり、五世紀ころから中臣氏が強い勢力を持つようになったと考えられる。とくに中臣氏は、大和多武峰(とうのみね)の談山神社裏山で策を練ったとされる【大化の改新】と、その後の功績において【藤原姓】が与えられのちの藤原一門の栄達の道をひらいた。
 しかし、四-六世紀ころにかけて、佛教が伝来したと考えられるが、日本の【佛教公伝の通説】となっている、六世紀中頃の、欽明天皇期(五三九-五七一)に、朝鮮の百済王の勧奨をうけ、仏教を受け入れるか否かを臣に問うたところ、物部尾輿や中臣鎌子らはこれに反対し、蘇我稲目は賛成して意見は二分した。欽明天皇はこれをうけて仏教への帰依をとりやめ、百済王から贈られた仏像を下賜し、蘇我稲目に対しは礼拝や寺の建立を許可した。このあと、疫病が流行したこともあり、これは、異教(佛教)を受けいれようとしたことへの神の瞋恚であるとの臣下の意見に、欽明天皇も従わざるを得ず、佛像の廃棄、寺の破却や焼却を許した。
 しかし、佛教受け入れの趨勢は衰えず、
 推古天皇元年(五九三)には、聖徳太子による大阪四天王寺の建立が始まり、聖徳太子は自ら山に分け入って杉の木を伐り四天王寺の用材にあてる姿は、京都祇園祭の山【太子山】の人形にもなっている。
 わが国に建立された最古の寺院は、四天王寺の東部にあったとされる【百済大寺】とする説がある。所在を大阪市生野区の百済の地にあてる説があるが、資料や記録を欠き不明の点が多い。欽明期に償却された寺院であろうか。
 さらに七世紀の初頭、推古天皇九年(六〇一)には、聖徳太子は大和斑鳩の地に斑鳩宮を建て、居所の近くに建立したのが【法隆寺】だとされる。異説もあるが、法隆寺金堂東の間の銅造薬師如来坐像光背銘には、「用明天皇は自らの病気平癒を祈願して伽藍を建立したが、天皇が間もなくなくなられたので、その遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子が、推古天皇十五年(六〇七)に完成した」旨が記される。この記録に従えば法隆寺の完工は六〇七年ということになる。
 しかし、当時は新しい宗教である仏教を受け入れるか否かについては熾烈な争いとなった。
 用命天皇期(五八五-五八七)、用命天皇は佛教に対する帰依の念が篤く、妃が蘇我氏の娘だったこともあって、佛教を擁護したがこの時期に再度病が流行し、天皇もこれに罹患して世を去った。これは物部氏らの口実となったが、蘇我氏と物部氏の対立はさらなる皇位継承問題とも重なり深まるばかりであった。
 しかし、この対立はやがて丁未の役(五八七)により、蘇我馬子が、武力をもって物部守屋を滅亡させ決着した。これにより、物部氏の凋落がはじまる。

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◇奈良世界遺産の旅―⑨ 
2010/4/18(日) 午後 6:13
... 一方、保守派の物部氏は排仏を固執して両者の対立が次第に激しくなり、仏教も色々な迫害を受けることになる。しかし用明天皇二年(587年)になって蘇我馬子は、甥の子であり娘の婿に ... 飛鳥の地に初めて正式の仏寺建立に着手(588年)した。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rhje63/13460741.html

◇天皇も筑紫では、仏教でした。
2009/12/12(土) 午後 0:36
観世音寺の建立で 斉明天皇も天智天皇も太宰府に於いては、 仏教を信仰され、仏心を持っていらしたということです。 磐井の乱で物部荒斐が、筑紫に入り物部氏がいます。 宗像の君も栄えています。 これら北部九州の天皇の臣下や 皇祖神・天照大神の妹 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/v88_88v/49866571.html

◇22-05 法興寺(飛鳥寺)の建立
2006/10/26(木) 午後 4:21
... 日本書紀によれば、崇峻天皇元年の条にあるように即位前紀に厩戸皇子、蘇我馬子大臣らが物部守屋大連を攻めた際、大臣は「凡諸天皇、大神王等、助衛於我、使獲利益 ... 壬辰朔丙辰にもみえるように塔婆の建立も着々進捗していた様子を知ることが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/41498745.html

◇23 東大寺大仏殿建立の意味
2006/8/30(水) 午後 5:47
... 消極的な物部氏が争い、蘇我氏が勝利すると ... そして、藤原氏と関係の深い、聖武天皇は、仏教の優れた学問や技術(つまり文化)によって、日本の国をまとめようとして、東大寺と大仏殿を建立しました。  つまり、東大寺大仏殿の開眼供養会(752年)は ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nono5552katch/18612142.html

◇「鉱脈探査と指標植物と秦氏と物部氏などなど」
2006/8/12(土) 午前 1:57
... 石山寺の建立にともない、多くの修験者 ... 物部氏に関してはHP映像の古代祭祀・「物部氏・ニギハヤヒのきたみちを歩く」でも書き込んだが ... そこで豊後国風土記の景行天皇がどうもそれではないかと思えるが、では景行天皇が後の大分の君かと言わ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/16969527.html

論攷 斐太ノ工 九

2010年04月29日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 九

 「これは仮説である」
 史実は措いておいて、古事記、日本書紀その他の諸説による通史によれば、皇紀は、西暦紀元前七一一年に生まれた神武天皇にはじまり、即位は西暦紀元前六六〇年二月十一日と比定され、二月十一日は、日本建国の記念日となっている。
 イワレヒコ(磐余彦・いわれひこ)後のジンムテンノウ(神武天皇)は、四十五歳までは日向の高千穂にいたが、兄のイツセノミコト(五瀬命)らとともに船で東征することになった。高千穂を出立して日向から海路を筑紫の宇佐に向かい、速吸之門まで来たとき、宇佐津彦、宇佐津姫に招かれたが、このとき侍従の天種子命と宇佐津姫を娶わせ(結婚させて)ている。宇佐津彦、宇佐津姫の住まいを「宮」としているのは、このころはすでに宇佐は神宮であったことをうかがわせる。
 筑紫国崗之水門を発ち、安芸国【埃宮】に到達した。埃宮とは【多家神社】だとされる。イワレヒコ(磐余彦)らは、安芸を発ち吉備国に入り、高島宮に行宮をつくって三年滞在したとされる。吉備の高島宮は、高嶋宮ともいうが、特定できず、岡山県岡山市南区宮浦の高島神社を有力な神社とされるものの 、ほかにも高島神社があり論社となっている。安芸、吉備いずれの国にもすでに神宮があった。
 宇佐津姫はイワレヒコの軍勢に従っていたが安芸の国で死去している。儚い人生であった。
 やがて吉備の国を出立し、浪速の国、茅渟の海にいたり、ここから河内国を大和川沿いに遡上し、龍田まで至ったが道が険阻で先に進めなかったとある。龍田まで至ればそこはもう大和盆地で先にすすめめないような
険阻な地ではない。おそらくここでも地元有力者らの強固な反撃に遇ったのであろう。
 イワレヒコらはいったん兵を退き、生駒山の西麓を北に進み、生駒山を経て中州へ向かおうとしたが、ここで、迎え撃ったニギハヤヒ(饒速日命)、ナガスネヒコ(長髄彦)らの軍勢と孔舎衛坂(くさえざか)で激しい戦闘になり、この戦いでイワレヒコの兄、イツセノミコト(五瀬命)は重傷を負い、やむなくイワレヒコは茅渟の海まで兵を引き、ここからの上陸を断念して海路を南にとるが、イツセノミコトは受けた手傷が重く、紀伊国竃山で死去した。イワレヒコらはさらに南下し、熊野の地で陸に上がり、八咫烏の道案内で莵田の地に入った。大和に入るとふたたびナガスネヒコ(長髄彦)との戦闘になった。
 戦はイワレヒコに不利であったが、たまたま現れた金色の鵄(とび)がイワレヒコの弓にとまったことから戦況がかわり、ナガスネヒコ(長髄彦)の妹であるミカシヤヒメ(御炊屋媛)を妻に迎えていたニギハヤヒノミコト(饒速日命)は、義兄であるナガスネヒコを殺してイワレヒコの軍門に下った。

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◇八咫烏神社    2009.8.7
2010/2/8(月) 午後 2:10
... 秦氏、加茂氏と関わりの深い神社のようです。           【 日本 ... その後、ナガスネヒコと戦い、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)と戦いました。  そのさなか、イワレヒコより先に天降っていた天津神・邇芸速日命(ニギハヤヒ)が参上し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/katukarei81/32198057.html

◇(ポタ)二色ノ浜から池上曾禰遺跡
2008/6/15(日) 午後 5:26
... おきながたらしひめ命(この4名は住吉神社と同じ神様) 神武東征の話です。 神武軍が大阪湾に上陸した時に「ニギハヤヒ」の部下の「ナガスネヒコ」の軍勢に襲われ 大和入りを拒まれます。 その時、神武「イワレヒコ」の兄の「イツセヒコ」が矢傷を負い ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/willow_wind202/55710004.html

◇日本の真実
2005/2/27(日) 午前 2:23
日本神話を歴史に書きかえれば以下の如し(神社傳承学より)  大陸より來た? スサノオノミコト ... そののち天照大神の孫のイワレヒコがスサノオノミコトの五男ニギハヤヒの娘 ... この時ニギハヤヒの妻の兄ナガスネヒコが猛反対して神武天皇一行が大きな災難を ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/asihippari/241234.html

論攷 斐太ノ工 八

2010年04月29日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 八

「これは仮説である」
 古代に祀られた日本の神を概観すると三氏族の祀神は共通点があるものの、氏族によりその祭祀と祭神の扱いに差異がある。
 海神氏が 祀ったと推定される神には、
志賀三神
 ウワツワタツミノノカミ 上津綿津見神
 ナカツワダツミノカミ 中津綿津見神
 ソコツワダツミノカミ 底津綿津見神
トヨタマヒメ 豊玉姫命
宗像三女神
 タゴリヒメカミ 田心姫神
 タギツヒメカミ 湍津姫
 イチキシマヒメカミ 市杵島姫神
アマテルカミ、オヒテルカミ(天□留神(□は文字なし、抵の右の旁)
ほかがある。福岡市東区三苫六丁目の【綿津見神社】には、本地佛として大日如来があるが、これは後祀であり、創祀時はアマテルカミ、オヒテルカミだったろうと推察される。兵庫県神戸市垂水区宮本町五-一にある【海神社】は延喜式神名帳に記載される古社内社(名神大社)であり、伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社に数えられているが、創祀には神功皇后が揚げられている。注目すべきは、祭神が海神三神である、ウワツワダツミノカミ(上津綿津見神)、ナjカツワダツミノカミ(中津綿津見神)、ソコツワダツミノカミ(底津綿津見神)であり、住吉三神の、ウワツツオノカミ(上筒男之神)、ナカツツオノカミ(中筒男之神)、ソコツツオノカミ(底筒男之神)ではなく、さらに古くは、あまじんじゃ、たるみじんじゃ、とよばれ、日向大明神の称号もあったといわれる。神功皇后の創祀よりさらに古い海神氏、あるいは一族である物部氏により祀られた神社だったかもしれない。
 京都府宮津市の【籠神社(このじんじゃ)】の祭神には、アマテルミタマノカミ(天照御魂神)アマテルクニテルヒコホアカリノミコト(天照国照彦火明命)、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)の名がある。物部氏の創祀になる神社だったと推察される。また、宮津市からあまり遠くない、京都府加佐郡大江町には、皇大神社、通称「元伊勢神社内宮」、「元伊勢神社外宮」があり、内宮の祭神は、アマテラスオオミカミ(天照皇大神)となっている。三重県のお伊勢さん「伊勢神宮」の元伊勢の意味とされているが、大江町の伊勢神社の創祀は三重県の伊勢神宮の創祀より七十七年古く、元の祭神がアマテラスオオミカミ(天照皇大神)だったとは考えにくい。創祀時の祭神は籠じんじゃとおなじようにアマテルミタマノカミ(天照御魂神)アマテルクニテルヒコホアカリノミコト(天照国照彦火明命)、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)などの祭神が祀られる物部氏の創祀になる古社だったと推定される。


枚聞神社のご祭神
2010/1/3(日) 午後 3:52
... 鹿児島県南九州市知覧町  豊玉姫神社   鹿児島県指宿市今和泉   豊玉媛神社 枚聞神社のご祭神が豊玉姫であるとする白尾国柱の考えはなかなか興味深い。豊玉姫は綿津見神の娘。山幸彦(火遠理命・天津日高日子穂穂手見命)の妻。 ...
三苫・綿津見神社/八大竜王神
2009/6/14(日) 午後 2:32
三苫・綿津見神社   鎮座地・筑前国糟屋郡三苫郷(福岡市東区三苫)  祭神  志賀三神 豊玉姫命   末社  竈門神社 須賀神社 黒津神社 稲荷神社 三寳大荒神社 若宮社 虚空蔵菩薩       大日如来  祭礼  元始祭 1月7日 祈年祭 ...
綿津見神社(三苫)
2009/3/18(水) 午後 6:13
次は、綿津見神社(三苫)に向かいます。 海沿いの農道をクネクネ行くと2分ほどで到着! 祭神は志賀三神(底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神)、豊玉姫命でした。 境内裏に回って階段を下りていくと、三苫海岸が眼前に広がりますヽ(^o^)丿 気になる ...
三苫・綿津見神社の巻一
2009/1/14(水) 午前 7:56
@  三苫海岸に面した丘陵に座す綿津見神社  ご祭神は       志賀三神 豊玉姫命 竈門神社 須賀神社       黒津神社 稲荷神社       三寳大荒神社 若宮社 虚空蔵菩薩 大日如来  境内に記された 「 鎮座由来 」 は以下  香椎 ...
三苫の綿津見神社
2008/12/9(火) 午前 11:55
昨日の八大龍王さんがいらっしゃる綿津見神社の本殿です。 昔は、神も仏も民衆にすれば同レベルでしょうから、救ってくれれば誰でもいいわけで。 明治政府が勝手に分けただけの話ですよね。 祭神は スサノオ 志賀三神(宗像三女) 宇迦之御魂 ...



論攷 斐太ノ工 七

2010年04月27日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 七

 物部氏の擡頭
 
「これは仮説である」
 紀元前二千年頃から稲作農耕は次第に北にひろがっていったと考えられるが初期においては、大国主命(大己貴命)が躍進した。その集落には出雲系の神である、オオナムチノミコト(大己貴命)、コトシロヌシノミコト(事代主命)、スクナヒコナ(少名彦名命)、イソタケルノミコト(五十猛命)、ウカノミタマノミコト(倉稲玉命)、ムナカタノカミ(宗像三女神)をともない、これらの神を氏神(産土神)として、単独で、あるいは併祀された。紀元前およそ二千年におよぶ長い歴史の中で、大己貴命は世襲を繰り返す複数の神だったと推定される。出雲氏と海神氏のあいだには、おそらく強固な同盟関係が成立して、大己貴の子である、タケミナカタノカミ(建御名方神・諏訪神)が信濃に根拠を置くようになってからもおなじ信濃に海神氏(安曇氏)の【穂高神社】が存在する。あるいは穂高神社のほうが先祀かもしれない。前後して和歌山に本社のある出雲系神社である伊太祁曾神宮の末社がが祀られた形成がある。こちらは信濃を出て、西の飛騨に数社があり、信濃・飛騨国境の北アルプス乗鞍岳山頂に祀られる。輻輳するのでここではこれ以上言及しない。
 海神氏、出雲氏による覇権は起源〇世紀ごろまでには北海道、沖縄をのぞいてほぼ全国を制覇したと推定されるが、両氏の時代が弥生時代であろう、弥生時代は、初期においては縄文文化と馴化、同化した複合文化で
あり、弥生時代の中期、後期に至って、物部氏が擡頭した。大物主命は、大己貴とおなじとする説があるが、
物部氏の祖神として、ニギハヤヒで(饒速日命)とともに祀られる例が多い。
 物部氏の根拠は大和三輪(奈良県桜井市)にあり、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)を【日の神】として祀る日ノ本の國【日本國】だったと考えられる。ヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛)は日ノ國の媛といえよう。
 
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◇マナ
2010/4/25(日) 午後 8:55
... さらに物部氏の祖の海部氏の祀る丹後一宮の籠神社の奥宮には真名井神社があり、「真名(マナ)」という言葉が神に関係している。真名井の「真」は鑑真の「真」であり ... 山幸彦は海神ワタツミから塩盈珠と塩乾珠を授けられた。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/roro2734/60581686.html

◇代々木八幡?
2010/4/17(土) 午後 9:21
... モノは大物主神、物部のモノで、ミは山祇(やまつみ)・海神(わだつみ) のミである。これらの古語も、今日では意味の別が定かでない。 ... 神霊を神社、祭場に送迎したり、別処に神社を設けたりする場合に用いる 専門の語である。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/izawadono/13526624.html

◇水度神社(京都府城陽市)
2009/3/20(金) 午前 10:59
... 城陽市に鎮座する 水主神社 と 水度神社 、また京田辺市に鎮座していた 樺井月神社     (かばいつきじんじゃ) の旧社地は同一 ... 水沼氏は  宗像神(海神)に仕えたので「み ... 水沼氏も水間氏も物部一族のようで、美努王は三野物部とも関わりがあることから ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/itigonnusi/51150293.html

◇(ポタ)「石切神社」、「枚岡神社」
2008/12/21(日) 午後 7:06
... 森閑として、神社本来の趣きが漂い、厳かな社を形成しています。 この神社一帯は物部氏、中臣氏、藤原氏、穂積氏ら同属一門の聖地で、 饒速日命の天孫降臨神話と大和王権設立 ... 身代わりとなって海に身を投じて海神の怒りを鎮め、 夫の無事成功を祈願したことが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/willow_wind202/58012551.html

◇全国有名神社。改造します。しばらくお待ちください
2007/7/5(木) 午後 3:36
... 町(石清水八幡宮の分霊) 阿蘇神社=熊本県一ノ宮町 諏訪神社=長崎県長崎市上西山町 天手長男神社=長崎県郷の浦町 海神神社=長崎県峰町 千栗八幡宮 ... 水若酢神社=島根県五箇村 物部神社=島根県大田市川合町 八重垣神社=島根県松江市佐草町 熊野大社 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/aruku42/11728266.html

論攷 斐太ノ工 六

2010年04月26日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 六

 「これは仮説である」

 自然発生的に生まれた宗教の原始のすがたは【日】、【水】、【土】の三元神であろう。天御中主神は
最も存在の大きな神と謂えようが、神道教理を哲学的に究めるところから生まれた観念的な神ともいえるだろう。このゆえか、古代においてはあまり取り上げられていない。
 弥生時代の神は【オヒ・テル】それに【ワダ・ツミ】と【ヤマ・ツミ】であろう。
【オヒ・テル】は【アマ・テル】であり、これがのちに【アマテラスオオミカミ】に発展した。
【ワダ・ツミ】は【海神】。
【ヤマ・ツミ】は【山神】で、これはのちに【大山祗】となる。
その神を祀る氏族は「海神氏であり、物部氏は海神氏の【齋祝部】だったと考えられる。スサノオノミコトとアマテラスオオミカミが不仲になり、海神氏はつぎの三氏族に分裂した。
海神氏。
出雲氏。
天皇家。
海神氏と出雲氏のあいだは早い時期に和睦が成立したが、対天皇家との確執は、七世紀ごろまでの長期に及んだ。
 物部氏は、海神氏に従い、出雲氏に従ったが、その一氏族は、祖神に【ニギハヤヒノミコト】をたてて、大和大三和(奈良県桜井市)に天下ったと考えられる。
 祭祀の社殿建立に関わった斐太ノ工は北九州に興り、物部氏に追随したと考えられる。つまり、海神氏、出雲氏に従う工人、大和大三和にしたがう工人があった。
 この時期はジンムテンノウ(神武天皇)がまだ畿内に至るより以前である。




論攷 斐太ノ工 五

2010年04月26日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五

 「これは仮説である」
 古代の国家における【政治】とは、「神をまつらう祭祀」と、水を治める「治水」だったであろうと考えられる。「まつり」の対象となる神とは、【日】、【水】、【土】の元神であり、これに【祖神】がつづく。
 北海道から沖縄にかけて存在した縄文人の縄文文化は、通説に従えば前期、中期、後期あわせておよそ五千年近くわが国に存在した。縄文人は宗教を持ち、土偶や、山上に縄文遺物が出土することから、山上に祭祀を行う祭壇を設けて祭祀を行っていたことも考えられよう。
 山上に巨石を積み上げた石造祭祀址は一様ではなく、支石墓(ドルメン)や環状列石(ストーン・サークル)が混在する。これらはヨーロッパに起源を持つことはすでに定説であろう。そうすると有史以前すでに外来文化が縄文社会にもちこまれ、しかも縄文人らとの間で同化、融和していたことになるのではないか。
 紀元前およそ二千年くらい前から紀元〇年におよぶ紀元前およそ二千年間は海神氏、出雲氏による【弥生時代】であり弥生文化の栄えた時代と考えられる。弥生時代を特徴付ける最大の文化は【農耕】による稲作といってよかろう。
 農産物は人為的努力のまえに、自然支配による要素は大きく農産物の豊作を願い、自然災害をまぬがれるために敬虔な祭祀が営まれたことは想像に難くない。

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◇弥生時代(7)  後期①
2010/2/27(土) 午後 3:53
... 日本海を一望する標高 100~150m の晩田山上(面積:156ha以上)     弥生中期(1C ... 鉄の普及と共に、      やがて祭祀に用いられるようになる?      北九州で ... 古代イズモには 王国、或は文化圏が      存在した?    山陰型甑 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/63100404.html

◇吉野山の御神体
2009/6/20(土) 午後 11:47
... この姿を桜に刻んで、山上ケ岳   (現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開   創と伝えられています。  明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一   時期 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27852639.html

◇「秋の七草」の文化史的知識はこの本で
2008/10/25(土) 午後 10:51
[新刊] 有岡利幸著『秋の七草』ものと人間の文化史(法政大学出版局)       ~文化の匂い豊かな「秋の七草」専門書~  秋の七草と ... 七草の花をひ とまとめにして祭祀に用いられることもあった。 ... 『万葉集』で山上憶良が旋頭歌に詠んだ秋の七草は ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/masazumi_kenmochi/26627517.html

◇高山神社(品川)
2007/12/13(木) 午前 10:52
... 分霊・正一位福聚稲荷大明神の御神霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ500年前当地域に ... 丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝え ... 平成6年3月22日 東京都港区文化財総合目録登録(ネットより ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/today_kids/39231675.html

◇金峯山寺 蔵王堂
2007/9/17(月) 午後 10:13
... この姿を桜の木に刻んで、山上ケ岳(大峯山寺)と山麓の吉野山(金峯山寺)にそれぞれ祭祀されます。これが金峯山寺と大峯山寺の始まりと伝えられています。   そのため今では別の寺院になっ ... 日本最大の秘仏で重要文化財に指定されています。 3体の金剛蔵王権現 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/36656062.html



論攷 斐太ノ工 四

2010年04月25日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 四

香取神宮と鹿島神宮
千葉県香取市香取
香取神宮
□祭神
フツヌシノオオカミ 経津主大神

鹿島神宮
茨城県鹿嶋市宮中
□祭神
タケミカヅチノオオカミ 武甕槌大神

 香取神宮は千葉県に鹿島神宮は茨城県に祀られる由緒ある古社である。異県に祀られる神社であるが両社はきわめて近い距離にある。香取神宮は下総国一宮、鹿島神宮は常陸国一宮であり、延喜式神名帳に記載される古社であり且つ、延喜式神名帳に【神宮】と記載されるのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社
のみである。奈良市の春日大社は、香取神宮からフツヌシノオオカミ(経津主大神)、鹿島神宮からタケミカヅチノオオカミ(武甕槌大神)、東大阪市の枚岡神社(ひらおかじんじゃ)からアメノコヤネノミコト(天児屋根命)とヒメガミ(比売神)の各祭神を勧請して創祀されている。
鹿島神宮の祭神、タケミカヅチノオオカミ(武瓱槌神)は、また「建御雷之男神(建御雷神、建羽雷神)であり、香取神宮のフツヌシノオオカミ(経津主大神)とおなじ神とする説がある。東大阪の枚岡神社も物部氏の創祀になる神社であるが、「日の立つ国である常陸」に建立された創祀時の社殿は、おそらく斐太ノ工によると推察される。

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◇鹿嶋へ
2009/3/29(日) 午後 10:48
... (^^) 神社名は「鹿島」なのに、市名は「鹿嶋」なんですね。初めて知りました。 ... (*^^*) 御祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)。 日本全国を平定して巡った武の神だそうで、御利益も 「国家鎮護、開拓、武道、商工業、交通安全、安産、縁結び ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yasuimprezza/47592258.html

◇日本のメジャー級神社の鹿島神宮!!・・・此処は超~奥が深いぜ!とにかく奥に行くほど素晴らしい!!NO,1
2007/9/19(水) 午後 0:16
今回は日本のメジャー級神社の  鹿島神宮  に行って来ました。この神宮の由来や御祭神は下記の とおりで、素晴らしいこの日本を創るのに大切だった太古の神代の昔 ... そこでこの神宮の御祭神(タケミカヅチノオオカミ)がその中心になって太古の 神代 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mistyr32600sp/3010788.html

◇香取神宮
2006/9/27(水) 午後 11:51
... (フツヌシノオオカミ)」です。あまり聞いたことないですね。 鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)と共に、 出雲の国の大国主命(オオクニヌシノミコト)から国譲りを受け ... ものということです。 さぁ、次はどこの神社へ行こうかな。
 http://blogs.yahoo.co.jp/namisan_2006/20674557.html


論攷 斐太ノ工 三

2010年04月25日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 三

唐松神社と唐松山天日宮
秋田県仙北郡協和町境
唐松神社
□祭神
唐松神社 
カグツチノミコト 軻具突命
オキナガタラシヒメ 息氣長足姫命
トヨウケヒメノミコト 豐宇氣姫命
タカミウスビノミコト 高皇靈命
カミムスビノミコト 神皇靈命

唐松山天日宮(日天宮)
□祭神
ニギハヤヒノミコト 饒速日命
タマホコノカミ 玉鉾神
アイコノカミ 愛子神

 大仙市(旧協和町)の唐松神社と唐松山天日宮は、同じ場所に祀られる二社である。いずれも、物部氏の創祀と伝えられる古社であるが、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)は雄物川から更にその支流である淀川を遡り、鳥海山(鳥見山)の「潮の処」に降臨したといわれ、日殿山(唐松岳)に「日ノ宮」を祀ったともいわれ、「韓服神社」の古社名(旧社名)があったと伝わる。物部氏の天祖三神を日殿山に祀り、十種の神宝を安置して日宮と称したのを創祀としている。その後饒速日命は畿内に降り、後裔の物部氏子孫は神功皇后の安産祈願と香具土神、宮毘姫命の御霊代を併せて祀り、大和に社殿を建立したとあって、大和に一大勢力をもつにいたるのは秋田県の降臨よりあとだったと記す。
 物部氏の天祖三神とは「大神祖神、天御祖神、地御祖神」があげられ、「十種の神宝」とは、羸都鏡、邊都鏡、八握劔、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比禮、蜂比禮、品物比禮のあわせて十種だという。
 天日宮(日天宮)三神および饒速日命は斐太ノ工の祭神でもある。
 現在の天日宮は、延宝八年、秋田藩主佐竹義処により、山頂にあった社殿が現地に遷されたと伝えられるが、不思議な神社で、堀を引き回した円形の地の上部には、丸い二段の葺石で覆われるが、上談は小石、下段はやや大きな丸石で、あいだには小道状の帯地がある。古来子授け、安産を願う婦人の信心が篤く、近隣のみならず広範な遠方よりも多くの参詣者があったといわれ、参詣時には男性は社殿を右廻り、女性は左廻りに社殿を一周するのだそうである。
 唐松神社には、古い『秋田物部文書(仮題)』が伝わるといわれるが、公刊にはいたっていない。近年その一部が、秋田県大仙市(旧協和町)の進藤孝一氏により『秋田物部文書、伝承・無明社』として紹介された。

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◇式内社(天村雲神伊自波夜比賣神社)比定① 天村雲神社 吉野川市
2009/5/27(水) 午後 2:50
... その孫天日別命(天日鷲命)は神武朝 伊勢国造 となれり 」 と、記されている。 さらに、籠神社の海部氏系図 『 勘注系図 』 によれば、倭宿禰命 の父が 天村雲命 となっている。 ... 饒速日命(一般に物部氏の祖と言われている)の直系でありながら ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/48062784.html

◇宮城県登米市――佐沼城に見たアテルイの正体――
2009/5/9(土) 午前 8:08
... 佐沼城は、現在公園となっており、本丸には神社がありました。扁額を見ると「出雲神社・照日権現」とあります。  私はこれを見た瞬間「あ!」と ... 瀬織津姫か?――」とも「天日神」とも言われているのですが ... すなわち物部氏が主張するところの"真の天照大神 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/16229711.html

◇大仙路観光資源発掘モニターツアー(2)
2008/9/6(土) 午前 6:17
... 秋田自動車道大曲IC → 協和ICを降りて、協和の唐松神社に向かう。 唐松神社参道の大杉 唐松神社庭園 唐松神社 安産の神様として知られている。 唐松神社、唐松山天日宮 hp 一組の若夫婦の祈祷が終わって、宮司の物部さんがこの神社の成り立ちについ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/aquakun2005/54934431.html

◇櫛玉比売命神社 他(愛媛県松山市)
2008/7/1(火) 午前 9:15
... 対馬県主祖・天日神命(対馬・阿麻氏留神社祭神)は、   饒速日命の天上で ... 櫛玉比売命神社の場所       国津比古命神社(愛媛県松山市)    國津比古命神社は、応神天皇の時代に物部阿佐利が國造に任命され、祖神である 櫛玉饒速日尊 と ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/itigonnusi/40950393.html

◇~唐松神社編~
2005/6/19(日) 午後 11:44
... 宮司の物部家には古事記の時代までさかのぼる伝書が残さ ... (より) この写真は神社に行く途中に撮った写真です。真ん中のあたりに神社が見えます。 境内の中に唐松山天日宮があります。歴史の授業に出てきそうな円墳の形でした。 その社殿の後ろに ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nao10popo/5124544.html

◇とうほくふたり旅~其の壱・秋田観光編~
2010/4/12(月) 午後 11:13
... くしゃみしまくりでようやく気付きましたorz      参道の途中にある 【唐松山天日宮】 。水に囲まれた不思議なお宮さんでした☆         ・・・あ、 肝心の【唐松神社】の写真撮るの忘れた(爆)←ぉぉおいっ!! というワケで気を取り直して続き ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabukiti_spanish/52009451.html


◆27334 水系と歴史文化

2010年04月24日 | 日本の山車
◆27334 水系と歴史文化

 各地を歩いていて気づくことがある。水系が変わると風俗、習慣、言語、人情や気質までもが微妙ことなってくる。
 たとえば、富山県の神通川、この河川は高山市(岐阜県)市中を北部に流れ、同じ岐阜県東部を北アルプスに水源を持つ高原川と合流して神通川となる。合流地点は富山県の猪谷地域のようだから、正確には岐阜県には神通川は存在しないのかもしれない。神通川はさらに北部に流れて富山市内を流れ、岩瀬で日本海にそそぐ。だが、宮川(神通川上流)と神通川はおなじ水系であり、いまも多くの共通の歴史文化がある。
 だが面白いことに、神通川の呼び方は、岐阜県では「じんつうがわ」であるが、富山県の方たちの呼び方を聞いていると「じんづううがわ」で、「通」が濁音となる。同じような例は「庄川」でも見られる。
 近年の合併で「荘川村」は高山市になったが、この地域に水源を持つ荘川のよみは「しょうかわ」、その下流域地域は「しょうしらかわ」と清音でよばれるが、富山県にはいると「しょうがわ」と神通川と同じように濁る。
 北アルプスの「穂高」は長野県の呼称では「ほたか」であり、安曇野や松本平あたりではみなこのようによんでいるようである。
 しかし、高山市やその近隣では「ほだか」と濁る。長野県と同じように「ほたか」とよべばよさそうだが「北穂高」は「きたほだか」、「奥穂高」は「おくほだか」、「前穂高」は「まえほだか」であり、ひとつの例外もない。荘川(庄川)や宮川(神通川)とおなじように清音で呼べばよさそうであるが「穂高」の呼称は「ほだか」と濁音でよんでいる。



論攷 斐太ノ工 二

2010年04月23日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 二

 「斐太ノ工」の遠祖はどこまで遡れるか。これは政史からややそれるため、資料を渉猟してみてもはなはだ少ないことがわかる。日本史とは伝統的に皇国史をたててきており、国史の研究には、いま猶その傾向がつよい。史論はどのように立派な論をたてても、実証される史実が明らかになれば、一夜にして覆される。
 たとえば、大国主命と大物主の命は同じ神か、異神か。近年著名となった高松塚古墳の被葬者は、中国人か朝鮮人か、壁画の人物は中国か、朝鮮か。論議はいろいろなされても断定できない期間が長すぎる。つまり、わからないということだろう。
 また、「邪馬臺國」はどこにあったか。邪馬台国に関する研究書ははなはだ多いが、いまだに畿内か、九州かさへ不明のままである。研究が史論にまで昇華しない。卑弥呼を埋葬した墳墓が見つかれば実証され。どのような立派な考察や、論議も実証された結果の前には霧消することになる。
 ゆえに、歴史学者は臆病になる。もっと大胆な推理や、研究が出てきてもいいのではないだろうか。

 筆者は、【日本の山車】を考える上で、「これは仮説である」と前置きして、これまでも諸問題をとりあげてきた。このたびの「論攷 斐太ノ工」もその思惟と思想の延長上にある。誤りをただすにはやぶさかではないので、ご意見や異論のある方はご遠慮なく指摘していただきたい。
 
 いささか飛躍するが、はじめに概説して方向を示すと、斐太の工の遠祖は物部氏とおなじ、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)と推察する。そして、古代においては、大物主の命、物部氏、カモ氏と共存関係にあったと考えられる。これが時代が下がるにしたがって、中臣氏と強く結びつき、また石上氏と強いてゆくが、権力の抗争からは距離を起き、カモ氏と同じように一族安泰の方途をとっている。

論攷 斐太ノ工

2010年04月20日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工

 斐太ノ工は大和の都の建設にあたり、律令税制で定められた租と庸を免じられ、「調」として、斐太から多くの工が徴用されたというのが通説になっている。
 しかし、それ以前すでに斐太の工は技術集団(テクノクラート)として各地に居住していたと考えられる。
神を山から迎えて祀る拝殿が里に作られるようになったとき、その神殿や拝殿の建造に関わった氏と民、それが「ヒ氏」だったと推定される。「ヒ氏」の出自は不明であるが、按ずるにそれは「日氏」とも推定され、
常陸(日立)、斐伊、氷上、氷見、氷川、簸川、樋川、日田、日吉、比叡、日向、日の岡、斐太、飛騨など「ヒ」と結びついた地は「ヒ氏」が古くから定住した地であろう。ほかにも「ヒ」のつく地名はたくさんある。
 それは、さらにはやくから古代出雲氏と褶合し、行をともにしながら各地に展開した痕跡が多く認められる。

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◇石上神宮(奈良県天理市)
2010/1/18(月) 午前 4:15
... 混乱をきたす説明によれば日本の各地の小王国の祭祀権を奪って、石上坐布留御魂 ... 右にまわって神門をくぐります。 拝殿です。 賽銭箱には菊の御紋が 拝殿の後ろに本殿があります。 創建時にはなかった本殿です。 ... 古代の朝鮮語などの解析から推定しています。
 http://blogs.yahoo.co.jp/bcnks330/31981501.html

◇楽寿園から三嶋大社へ
2009/12/17(木) 午前 8:03
... ソーラーは33℃ 各地から雪の便りが届くようになりました。 寒い朝です。 先日行った大瀬崎。 ... 楽寿園から三嶋大社へ 立派な拝殿の後ろに本殿があります。 三嶋大社に ... 樹齢は1200年を越えると推定される巨木で、日本では最も古く大きな ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/midorinosanpomiti/60683782.html

◇安行と新郷 18 峯ヶ岡八幡神社
2008/10/28(火) 午後 6:41
... 東国の各地に氏守である八幡神社を建立し、    主従関係 ... 岡八幡神社・拝殿と奥殿      峯が岡八幡神社・拝殿より稲荷神社末社を。      御神木のイチョウの大木〈川口市指定の保存樹木〉 推定樹齢500年という。      隣のタラヨウと ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/18500900.html

◇西宮市、甲子園、素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)のご紹介です。
2008/1/5(土) 午後 1:42
... 三百数十年以前の創建と推定されております。の昔は、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)といわれ、三角州の要の地の大樹に囲まれた荘厳な神域に中で、各地からの参詣が多く、崇敬されていたようです。 ... 境内には、野球塚の石碑が拝殿の右側にあり、書は ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/39353143.html

◇諏訪大社上社・本宮
2007/5/10(木) 午後 4:07
... 建物は(拝殿、右片拝殿、幣殿,脇片拝殿、左片拝殿、四脚門]重要文化財に なっています。    拝所 石畳の右に梶(御神紋)の木が ... 奈良時代以前(推定)に創建された神社と云われ、当時からの社殿が ... また、各地の大社の末社でも「小宮(こみ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/today_kids/32568697.html


◆23096 天宮神社の十二段舞楽

2010年04月17日 | 日本の山車
◆23096 天宮神社の十二段舞楽
天宮神社
静岡県周智郡森町
□祭神
タゴリヒメノミコト(田心媛命)
タギツヒメノミコト(湍津媛命)
イチキシマヒメノミコト(市杵島媛命)
ヒメミコト(大国主命の妃)

□汎論
 天宮神社の創祀は、欽明天皇期(五三九-五七一)とされる古社で、宗像三女神と大国主命妃を祭神とする。境内のナギは雄岡県指定の天然記念物である。ナギは島根県に自生があり、奈良県の奈良公園にもあるが、これはナギの実を絞って燈明の油とするために植栽されたものだろうと推定されている。
 天宮神社十二段舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。平安末期~鎌倉初期に伝割ったと伝えられ、江戸期以後は一宮大禰宜の鈴木左近家が代々舞楽師匠方として指導にあたり、明治以降は、氏子の有志が勤めていた。現在は天宮地区の青年団「天社轂 ( てんしゃこく )」、「天宮神社舞楽保存会」が
保存につとめている。境内の神宮寺は旧天台宗蓮華寺の末寺だったが、いまは舞楽の練習場にあてられている。

十二段舞楽次第
一番 延舞(えんぶ)
二番 色香(しきこう)
三番 庭胡蝶(ていこちょう)
四番 鳥名(ちょうな)
五番 太平楽(たいへいらく)
六番 新靺鞨(しんまか)
七番 安摩(あま)
八番 二の舞(にのまい)
九番 陵王(りょうおう)
十番 抜頭(ばとう)
十一番 納曾利(のそり)
十二番 獅子(しし)

 天宮神社の本殿と拝殿は、元禄十年(一六九七)に、斐太の工(飛騨の匠)の系譜を曳く近江(滋賀県甲良町)の甲良豊後守四代目、源宗賀により造営された由緒あるもので、静岡県の文化財に指定されている。甲良豊後守は、日光東照宮、信州善光寺本堂などに関与し、江戸千代田城の修理にも関わっている。
 凱生社は天宮神社の氏子で山車があるが、天宮神社は山車を曳かないので三島神社の秋祭に曳いている。

□外部リンク
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◇森町太田川の桜、のはずが・・・
2010/4/9(金) 午前 11:30
先日、舞楽を見に行った。天浜線の戸綿駅で下車し、天宮神社に向かう。  太田川の、緩やかに蛇行する流れ、背景の山、桜の組み合わせが私の好み。  その昔の、日本の田舎ってこうだっただろう~。そういう感じ。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/uminekoniwa/13651579.html

◇祭り2
2010/4/2(金) 午前 10:21
... 230_225 alignRight" width=230 height=225)]] 周智郡森町天宮の 天宮神社大祭 十二段舞楽 というものがあるそうです。 餅まきもあるよ また、小國神社にも桜祭りがあるから、今週は、森町が あつい 小國神社のHPです  十二段舞楽 ...
 blogs.yahoo.co.jp/ushimaruchan/13590739.html

◇舞楽練習
2009/4/1(水) 午後 10:32
... 再来週には、再び、神社に泊まっての練習が始まります。 今週末には、森町の中心部では、『町並みと蔵展』              太田川河川敷の桜は見ごろとなり、       天宮神社では、十二段舞楽の奉奏が行われます。 皆さん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/pekoe1404mr_tee/25482111.html

◇「萩まつり」開催案内
2008/9/14(日) 午前 6:41
... 開催日時 2008年9月21日(日)10時から16時まで まつりの当日は、国の重要文化財に指定されている天宮神社十二段舞楽の一部を披露するほか、一面に咲く萩を観賞しながら琴や津軽三味線などの演奏が楽しめます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nsqqm568/25290616.html

◇★遠州の小京都/なぎの里 天宮神社★
2008/4/1(火) 午後 10:25
... 天宮神社(あめのみやじんじゃ) 文武天皇の時代、京都から神官が着任した折に舞楽奉納したことから、現在でも十二段の舞が継承されて いるとのこと 杉檜に囲まれたこじんまりとした神社です。 御神木としてなぎの古木が祭られている。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kuniji_tr4/22192034.html


◆00561 三島神社祭

2010年04月17日 | 日本の山車
◆00561 三島神社祭
静岡県周智郡森町仲横町
三島神社
□祭は十一月上旬。
□山車(屋臺)
・水哉社 本町
現在の山車(屋臺)は、昭和五十五年の建造。工匠は太田昭夫。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)志村孝士。
創建は江戸時代。幕末文久三年の大喧嘩で廃臺となる。
明治二十四年に再建。
大正十一年建造の山車は、鳳雲社(大門)を経て菊川市(旧菊川町)へ。

・谷本社 城下
現在の山車は三代目か?
昭和五七年の建造。工匠は鈴木久一、戸塚由夫、岩本三郎。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)井波彫刻協同組合の中山亮策。
明治二十五年建造の山車(屋臺)は菊川町日之出一丁目に譲渡された。

・凱生社 天宮(あめのみや)
現在の山車は二代目か?
昭和十一年の建造。
工匠は鈴木久吉、松浦定吉、松浦寅次郎、山本一太郎。
彫刻は中山由太郎政勝。

・北街社 新町
現在の山車は四代目か?
工匠は寺田勝郎。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
嘉永年間建造の言い伝えがある山車は、菊川市伊達方を経由て菊川市(菊川町)堀の内東栄町に譲渡された。
明治二六年建造の山車(屋臺)は春野町熊切へ譲渡。
昭和四年建造の山車(屋臺)は若宮団地に譲渡。

・明開社 明治町
明治一八年に町が開かれた。
開町わずか四年後の明治二十二年に山車(屋臺)が創建される。
現在の山車は二代目か?
昭和九年の建造。
工匠は小栗富太郎、内藤新平他。
彫刻は早瀬利三郎。
漆塗は初代村松定助。

・比雲社 仲横町
山車の創建は、明治二二、三年頃と伝わり、現在も金守神社に保存されている。
現在の山車は二代目か?
平成五年の建造。工匠は森町栄町の山本建築。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の井波彫刻協同組合。

・鳳雲社 大門
蓮華、西脇、西金屋、森山の四地区合わせて大門という。以前は延命寺の五地区を大門と称した。
平成元年一〇月製作。工匠は森下伸之。彫刻は吉江立最、早瀬宏。
先代は昭和五十五年本町より譲り受けたが平成元年に菊川市(旧菊川町)に譲渡されている。

・龍生社 西幸町
昭和四十八年に開かれた新しい町。
昭和五十五年の創建、工匠は小栗新太郎。
彫刻は早瀬宏。

・湧水社 南町
昭和五十九年に栄町より分離独立した。
昭和六十年の創建。工匠は寺田勝郎。
車工匠は村松利雄。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
漆塗は村松菊郎。

・睦栄社 戸綿
現在の山車は、昭和五十三年の建造。工匠は花島辰男。車工匠は村松利雄。彫刻は山田峨聖。
初代の山車は、大正十四年に下宿の山車を譲受けたが、車輪は仲横町から譲り受けたもの。菊川市(旧菊川町)の日吉町へ譲渡されている。

・藤雲社 栄町
昭和六十二年の建造。工匠は山本庄平、和夫親子。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
車は村松利雄。

・桑水社 下宿
現在の山車は三代目か?
大正十三年の建造。
工匠は松浦清太郎ほか七名による。
彫刻は宮本丹次。
昭和五十九年に大改修が行われている。工匠は山本庄平。
創建は江戸時代後期と伝わる。
明治初期に再建。

・沿海社 川原町
昭和二年の建造。
工匠は太田寅太郎、太田亮平、太田徳太郎他。
彫刻は早瀬利三郎。
漆塗は初代の松村定助。
昭和五十六年に大改修が行われた。工匠は山本庄平。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士、および中山亮策。
創建は明治十九年。

・慶雲社 向天
昭和六十一年の建造、工匠は鈴木弥平、芳彦、考治郎、敏広。
車は村松利雄。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士、および中山亮策。
漆塗は初代松村定助。
創建は昭和二年。飯田城北に譲渡された。
(順不同)

□汎論
 三島神社の創祀は遠州森の宮山にある三島神社。一説に、創祀は平安期頃まで遡るといわれるが詳細は不明。
 静岡県三島市の三嶋大社は、オオヤマツミノカミ(大山祇神)、コトシロヌシノカミ(事代主神)の二神を祭神として「三嶋大明神」と総称する。阿波神(三嶋明神の后)、伊古奈比命(三嶋明神の后)、楊原神が配祀されている。延喜式神名帳には名神大社と記載される古社。伊豆國一宮で、総社でもある。
 伊豫の大山祇神大社は、愛媛県越智郡大三島町三浦(宮浦)にあり、延喜式神名帳には名神大社と記載され、大山積神社、三島大明神、大三島神社などともよばれる古社。祭神はオオヤマツミノミコト(大山祗命)である。伊予國一宮である。
 オオヤマツミノミコト(大山祗命)は、アマテラスオオミカミ(天照大神)の兄にあたり、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛)は、オオヤマツミノミコトの娘、姉にイワナガヒメがいる。コノハナサクヤヒメは、神話ではニニギノミコトの妃で、ホデリノミコト(海幸彦)と、ホスセリノミコト(山幸彦)の母とされている。
 静岡県三島市の三嶋大社と、伊豫の大山祇神大社は、その創祀について諸説があるが、筆者はオオヤマツミノカミ(大山祇神)は、古代の海神氏に近い「カモ氏(賀茂氏、加茂氏、鴨氏)が祀る神社として、カモ氏の名称が付けられた古い地はカモ氏系の三島神社が祀られたと推察する。祭祀の前後を考慮すれば、おそらく、伊予國の大山積神社が先であろう。

 遠州は広沢虎造の浪曲「清水次郎長列伝」なかでも「三〇石舟」はよく知られる。往年の人気者だった森の石松の出生地であり、静岡県には古い人ならよく知られた「遠州〇〇、伊豆◇◇」の俗諺がある。森祭は威勢のよい「遠州森の喧嘩祭」として名高い。
 森の三島神社は、森祭が行われる神社で、その所在地である宮山は、森町の地名のもとになっている。長い歴史を経て発展してきた森町は周辺各地にあった集落が統合され、祭も併合され、合同祭のようになっている。山車が曳かれるようになった歴史には不明なことが多いが、江戸時代文久三年の大喧嘩は今も語りつがれる喧嘩として知られる。このとき、本町の山車(屋臺)が大破した記録があり、幕末期には山車(屋臺)があったことは確かである。現在見られる森の山車は二輪、屋根のない露臺式の山車で上臺に人形が飾られる。前面は正面に御簾を懸けその周りを桁状笠木がのる框枠で囲まれる。框枠は素木、黒漆塗り、中には青貝の螺鈿研ぎ出しの優美なものもあり、左右には自慢の彫刻が立つ。
 喧嘩の多かった江戸末期から昭和中期ころまでは、山車も相当乱暴な曳き方をされてていたと推察されるが、近年は、きびしく規制されている。これにともない三社も次第に豪華賢覧に仕立てられるものが多くなり、一定の形式に集約されているようある。
 山車囃子は、地元の曲のほかに江戸の三社囃子の系統をお曳くものがある。半纏(法被)には、「吉原つなぎ」の紋様が見られ、ここにも静岡県各地に見られる江戸の祭の影響が及んでいる。
 神社では、舞児による「舞児還し」が行われる。舞楽を奉納する子供を「舞児(まいこ)」と呼び、毎年各町から一名が選ばれ、三島神社で舞楽を奉納する。舞児は祭の最終日は神社から自宅までの帰道を歩行
によらず若衆が屋臺と肩車で送る。京都祇園祭長刀鉾の稚児、北陸地方各地で行われる子供歌舞伎の役者とおなじように神格化した姿が見られる。
 取材に当たっては、地元の岩本氏のご好意にあずかった。誌して感謝の意を表し、厚くお礼申し上げる。

◆04453 菊川神社祭

2010年04月14日 | 日本の山車
◆04453 菊川神社祭
静岡県菊川町堀之内
菊川神社
□祭は十月下旬。
□山車
・本町一丁目
・本町二丁目
・本町三丁目
・本町四丁目
・宮前
・日吉町
・柳町
・新通
・初咲町
・西通り
・緑ヶ丘
・日之出町一丁目
・日之出町二丁目
・東町
・栄町
□汎論
 菊川神社は、昭和三十一年(一九五六)に、町村合併により菊川町が発足したのを記念し、滋賀県の多賀大社から分祀を受けて創祀された比較的新しい神社である。このたびさらに小笠町と合併し菊川市となった。氏子は十四区にわかれる。東町と栄町は行動をともにすることが多いので東栄町ともいわれる。
 本町四丁目の山車は二輪で、これは、明治三十五年に磐田市の坂之上町の心誠社が建造したもの。
 宮前、日吉町の山車は、森町戸綿の睦栄社が建造したもの。
 柳町の山車は、袋井市声奏鶴が大正四年の建造で工匠掛塚の舟大工、彫刻は早瀬長兵衛によるもの。
 新道、初咲町、西通り、緑ヶ丘、日ノ出町一丁目の山車は、森町城下の谷本社が明治三十年に建造、彫刻は高村他之介(権江茂師政)によるもの。
 などが他の地区から譲り受けている。
 祭は、打上地区の鹿嶋神社と合同で行っている。
 多賀大社は滋賀県犬上郡多賀町多賀にある延喜式神名帳に記載される古社で、祭神はイザナギノミコト(伊邪那岐命)、イザナミノミコト(伊邪那美命)が祀られる。滋賀県では「お多賀さん」とよんで親しまれている。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇山車
2010/4/4(日) 午後 4:06
... 4日(日)まで第376回犬山祭開催! 寛 永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、4月の第1土・日曜の両日行われます。 ... 満開の桜並木の本町通をぬって練り歩くさまは、豪華絢爛 ... こんなくそ重たい山車を持ち上げるんだから 腰も痛くなるわな ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/oosawa_family_hrym/24780557.html

◇青森市青森ねぶた祭 神奈川 寒川神社 焼 鳥屋 本町スナック風和里
2009/8/5(水) 午後 0:21
... 祭です・・歴史を感じるよ・獅子舞ならぬ・虎舞など・・圧巻は・山車が・大通りで・・それこそ倍近くも・・大きくなるんですよ。。 ... 津軽の古き伝統の・・津軽手踊りです・・ ・・・青森市本町・ねぶたの國たか久・.津軽三味線っと津軽民謡も有る時も ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/cpqfk232/28879052.html

◇山車
2008/7/30(水) 午前 9:54
... 新町の山車は天保十年と伝えられる。成田の新和芸座連が乗演している。 そしてわが高根の山車は昭和24年に制作されて、小見川の清水芸座連が乗演している。 元々、本町、仲町、新町の3町が八坂神社の氏子町であり、この三町で行われていたのだが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tsykf880/24724354.html

◇賦木春日神社☆0126@本町いっちょうめ☆!"
2008/2/21(木) 午後 11:25
... 住所だったっだろか~?って いつもんごて???な神社巡りとなりました♪。 「春日神社」と「蛭子神社」って二つの札のあって 珍しかな~♪と思いつつ中を撮ってたら 妙見祭で本町1丁目の山車である「本町蕪(ほんちょかぶ)」の写真の飾っ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hikoicchann/51963051.html

◇挙母祭り 本町山車蔵
2007/3/10(土) 午前 0:32
... 市内中心部には挙母神社という神社があり、 ここを氏神とする地区の山車八台が市内中を曳き回されます。 ただ、10月第3土日に行われる為 ... 私の自転車通勤経路にある本町山車蔵(素晴らしい風格ですね)と その町並みの写真を載せ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/crjdb092/811238.html