暘州通信

日本の山車

02345 川内八幡宮祭

2008年06月08日 | 日本の山車
02345 川内八幡宮祭
青森県むつ市(旧川内町)川内 
川内八幡宮
□祭は九月中旬
山車四臺、舟山一臺を曳く。

□山車
・弁天山 上町
古くから山車があり、宝暦のころ火災で焼失しているが、文政十年(一八二七)には京都から祭神の弁弁財天像、諸道具を購入して復興している。
・蛭子山 中浦町
蛭子(ひるこ・えびす)は、中町の山車に乗っていた祭神だったが、文久年間に浦町と合併した。蛭子像は京都の人形師野村五兵衛の作。
・大黒山 新町
・布袋山 浜町
・松竹山 仲崎町
・舟山

□問い合わせ
むつ市川内町水産商工課
電話 0175-42-2111
川内町観光協会 
電話 0175-42-2301

00226 田名部祭

2008年06月08日 | 日本の山車
00226 田名部祭
青森県むつ市
田名部神社
□祭神
アジスキタカヒコネノミコト 味耜高彦根命
ホンダワケノミコト 誉田別命 
□祭は八月
山車五臺を曳く。

□山車
・先山 稲荷山
横迎町 豪川組(ごうせんぐみ)
本座は稲荷の使いである左右一対の白狐
見送り幕 黄鶴仙人図
・二番山 猩々山
小川町義勇組
本座は猩々
見送幕 鳳凰が仙人が鳳凰に乗る。
・三番山 大黒山 
柳町共進組
本座は大黒天
見送幕 義光が秘曲を授ける図
・四番山 蛭子山 
田名部町明盛組
本座は蛭子
見送り幕 大亀が仙人を乗せて泳ぐ図
後山 香爐峯
新町新盛組(しんせいぐみ)
本座は清少納言
見送幕 鬼若丸が鯉る
紅毛唐人憩図(こうもうとうじんいこいのず)

□汎論
昭和三十五年田名部町と大湊町が合併し「むつ市」となった。田名部は藩政時代この地方の産物の積み出し港として栄え、南部藩の代官所も置かれた。
毎年八月十八日から二十日にかけ恐山大祭と並んでこの地方最大の祭礼「田名部神社例大祭」田名部祭が行われる。
祭は祇園祭で、古くは寛政四年(一七九二)「菅江真澄遊覧記」、「牧の朝露」はに祭の記載がある。
山車は五臺とも形がそろい、二層式、屋根は入母屋造、勾欄ほか他の部分もすべて黒の漆がかけられている。車輪は四輪の外車。
山車の曳行時は祇園囃子が演奏される。
田名部祭の山車の起源には、物産を扱った江州商人の影響を受けているといわれ、滋賀県高島市には「大溝祭」に山車が例にあげられる。
大溝祭の山車は、その起源を旧藩主が前の知行地であった勢州川芸(現、三重県河芸町)で曳かれていた山車を模倣して作らせたという伝承があるが、河芸町には山車がなく、また記録も見つからない。
祇園囃子など上方の影響をうけているのは間違いないだろうが、京都の祇園祭の「鉾」と考えるほうが自然ではないだろうか。
祭の終わるころ山車の曳き別れが辻々で行われる。「五車わかれ」、「三車わかれ」、「二車わかれ」があるが、曳き別かれてゆく山車の後姿には独特の哀愁を帯びた風情がある。

02235 御坊祭

2008年06月08日 | 日本の山車
02235 御坊祭
御坊市薗642
小竹八幡神社
□祭神
小竹大神 地主神(大己貴の命?)
譽田別命 応神天皇
息長足姫命 神功皇后
合祀
天之児屋根之命
春日神社主神
紀道成卿夫婦

□祭は十月上旬
屋臺を曳く。

□山車
・上組
・中組
・下組
・浜ノ瀬組
・名屋組
・東薗組
・紀小竹組
・島組 休止中
・春日組 休止中

□汎論
人を見るなら御坊祭
屋臺見るなら高山祭
といわれ、ともに祭には人出が多いことで知られる。
「日本書紀の巻第九 神功皇后摂政元年二月条」に、忍熊王、また軍を引きて、菟道に到りて戦す。皇后南紀伊国に参りまして、太子日高に会ひぬ。群臣と議り、遂に忍熊王を攻めむとして、さらに小竹に遷る。とあって、神功皇后が小竹を訪れた記述がある。
旧地には、塚祝(はふりづか)があり、折口信夫・釈迢空の歌碑、

  雪降りて昏るゝ光の遠じろに小竹の祝の墓どころ見ゆ

が立つ。
小竹八幡神社は、延宝七年(一六七九)に徳川頼宣侯の別館のあった薗御殿跡である現在の地に遷った。しかし土地神である小竹大神は元宮にとどまり、小竹大神と八幡宮は一時分祀している。現在は一緒に祀られるが、「園村小竹八幡宮縁起俗解「」に、「地主神小竹大神とは大己貴の命…」とあり、古くは当地が大国主の命によって開かれたことをうかがわせる。相当の大社だったようで、往古は、一の鳥居が二十町あまりも南東の北塩屋浦矢熊鼻にあり、末社四十九社、経堂一ヶ所があったとある。旧地は「元宮、元八幡」とよばれている。
祭が終わると「けほん踊」、「雀踊」が踊られる。けほん踊は、和歌山県指定無形民俗文化財、国の選択芸能に指定される。雀踊りは、御坊市指定民俗文化財である。