暘州通信

日本の山車

00886 喜連川神社祭

2007年02月28日 | 日本の山車
00886 喜連川神社祭
栃木県さくら市(旧喜連川町)喜連川
喜連川神社
□祭は7月下旬。
囃子屋臺1臺、踊屋臺3臺を曳く。

□山車
・下町
囃子屋臺。明治末期の建造。
・上町
踊屋臺。江戸末期の建造。
・仲町
踊屋臺。天保11年(1840)の建造。彫刻は宇都宮の高田新吾に地元の天野ら4人が加わった。
本町
踊屋臺。文久6年(1863)の建造。


ブログ・ランキングに参加しています。
  日記@BlogRanking



02419 大日神社祭

2007年02月27日 | 日本の山車
02419 大日神社祭
秋田県大館市(旧比内町)独鈷字大日堂前6-1
大日神社
□祭神
大日霊貴命(天照大神)
配祀、豊玉彦命
合祀、稲倉魂命・金山彦命・応神天皇・猿田彦命
□祭は5月上旬。
「やま(山)」とよぶ山車1臺を曳く。
□汎論
もと大日如来を祀る仏堂に伝わる祭。
神事として、大日神社例大祭・湯立て神事があり、米の作柄を占う目的で行われる。
付属芸能として、独鈷ばやしがある。独鈷城を築いた浅利則頼が祝宴で剣をとって踊り、のちに城内の婦女子に銀扇を与えて踊らせたのが始まりと伝えられる。比内地方最古の囃子と言い大館市の無形民俗文化財に指定されている。
独鈷ばやしには、
・寄せばやし
・本ばやし
・剣ばやし
・帰り山車
の4曲がいまに伝わり、大日神社祭に奉納される。


ブログ・ランキングに参加しています。
  日記@BlogRanking


 
 


00728 水分神社祭

2007年02月27日 | 日本の山車
00728 水分神社祭
宮城県七ヶ宿町神林山
水分神社
□祭は11月上旬
花山車1臺を曳く。

□汎論
山中通小坂越(通称山中七ヶ宿街道)といわれた、羽州街道と奥州街道沿いの仙台領内におかれた七つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)とよばれていたのが七ヶ宿町名の由来である。
神社は400年以上の歴史があり、江戸時代まで御岳蔵王権現といわれていたが明治初期に水分神社と改称された。関地区の鎮守である。

□問い合わせ
七ヶ宿町産業振興課
電話 0224-37-2177


ブログ・ランキングに参加しています。
  日記@BlogRanking



22155 御柱を立てる場所

2007年02月25日 | 日本の山車
22155 御柱を立てる場所
長野県諏訪大社ほかの神社で立てられる御柱の場所、位置は本殿の四方というのがほぼ定法だが、例外がある。
長野県塩尻市(旧楢川村)平沢の諏訪神社は本殿ではなく拝殿の前の左右に2本づつ並べて立てる。
長野県塩尻市(旧楢川村)贄川の麻衣野神社も本殿ではなく本殿前の境内に直線状に4本が立てられる。
長野県東筑摩郡山形村では、諏訪神社境内には御柱がなく、場所によっては数百メートルも離れた場所に分散して1本づつ立てられる。しかも、立てられる場所は、集落の辻や、道祖神や庚申、馬頭観音、二十三夜塔など野の仏の祀られている祭祀場などである。
しかも、土地のひとの話によると、この御柱は諏訪神社とは無関係だといい、御柱立ても諏訪神社とは必ずしも一致せず、柱の数も大小5ー6本はあるのではないか? ということだった。御柱が諏訪神から分離独立して信仰の対象になっている。
このうち3本は確認できた。
立てられる柱の数は4本が通例で、2本、1本ということもある。新潟県新発田市の諏訪神社では、諏訪神社で立替のすんだ旧柱1本を拝領し、本殿まえに立てる。
鳥取県智頭町でも信州にならって御柱を立てているが1本である。
3本立てる例は知らない。



ブログ・ランキングに参加しています。
  日記@BlogRanking



00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行

2007年02月25日 | 日本の山車
00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行
長野県長野市上西之門町 
弥栄神社
7年ごとの善光寺奉御開帳奉賛として24地区のうちから不定数の山車(屋臺)が曳かれる。

□山車(屋臺)
・権堂町
・大門町
踊屋臺と飾屋臺がある。
本座に飾られた高砂人形がある。
・元善町
床のない底抜屋臺がある
・西後町
明治6年、妻科の山崎儀作の建造。総欅造。
・緑町
昭和27年、鬼無里の松原より譲渡を受けた。江戸期建造と推定。
・南石堂町
踊屋台。
・北石堂町
昭和4年(1929)の建造。二輪車
・南千歳町
昭和5年(1930)の建造。
・上千歳町
踊屋臺。大正年間末期に建造にかかり昭和のはじめに完成。
・桜枝町
明治28年(1895)の建造。総欅造。神武天皇の人形がある。
・横沢町
明治6年の建造。笠鉾とともに長野市立博物館に出展している。
・西之門町
踊り屋臺。明治26年(1893)の建造。
・西町上
漆塗。寛政5年の建造。
・栄町
素木造。明治36年(1903)の建造。
・東之門
二層式。大正末期の建造。
・伊勢町
屋臺、踊屋臺、底抜け屋臺各1臺を保有する。
・岩石町
踊屋台。
・東町
屋臺。明治5年(1872)の建造。
・東後町
踊屋臺。大正7年(1918)の建造。
・問御所町
漆塗。明治5年の建造。
・新田町
踊屋臺。建造期は不明。
・篠ノ井芝沢
二層式。一層は囃子を演奏する藝座、二層は踊の舞臺。大正2年(1913)の建造。
・篠ノ井内堀
二層式。大正2年(1913)の建造。

□汎論
長野市の山車(広義)は、山車、屋臺、踊屋臺と多様で、様式も単層、二層がある。また山車に床を張らないいわゆる「底抜け屋臺」が見られる。ほとんどが解体して保存される弘化4年の善光寺大地震(1847)屋臺も罹災して大部分を失った。西町上組、
下西町のみ残ったがその後下西町の屋臺も明治6年に焼失した。 西町上組が寛政5年に建造した漆塗屋臺が唯一残るのは貴重である。いま、長野市立博物館に出展されている。山車が曳かれたが、その後の歴史に消長があり、休止の時期を経て、現在は7年ごとの善光寺の開帳にあわせて曳いている。

□問い合わせ
善光寺御開帳奉賛会
電話 026-227-2428

ブログ・ランキングに参加しています。
  日記@BlogRanking