暘州通信

日本の山車

30001 山車の定義

2008年06月29日 | 日本の山車
30001 山車の定義
山車とは。
山車について各地にお邪魔し、また叙文についていろいろな場所でよく質問を受ける。一番多いのが車がなくても「山車なのか?」と。
次に多いのが「山車」という語彙。
三番目は、祭で曳かなくても「山車なのか?」
四番目は、「仏教関係の山車があるのか?」
五番目は、「飛騨の工とは?」、「左甚五郎について」の問い。
六番目は、「山車を造ってくれ」という相談。
筆者が執筆していく上で「山車」として定義しているのは、
一、古代からの信仰に起源をもつもの。
正月の門松、左義長、お松曳き、道祖神祭、地鎮祭の柱など「まつり」ではあっても、「御祭礼」とはよばないものが多い。山口県蓋井島の山の神祭。
二、神社の祭に属するもの。荘厳され、工芸の極致ともいえる華麗なものが多い。
三、神社に属しない「山車」で、市民祭などで曳かれる山車。各地の夏まつりなど。浜松の御殿屋臺は中島砂丘であげる凧を運搬する車として曳かれはじめている。
仮に三大別したが、これは筆者の見解である。
戻って「山車とは?」ということになると、それは「一本の柱」に始まる。伊勢神宮の「真の御柱」、「松上げ神事の柱」、「幣束や御幣」、「竿燈」、「明かりを入れて曳く」単年使用の山車、北陸地方に見られる「夜高」、みちのくの「ねぶた、ねぷた」はその
代表といってもよかろう。
これらは複数が組合わせられることがある。また、長唄、端唄、浄瑠璃、お囃子、民謡などと音曲と結びついたものも多い。
大まかに概念を述べたが、折に触れて詳述する。

◆谷口與鹿と草場珮川

2008年06月29日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿と草場珮川
 草場珮川(くさばはいせん)は、天明八年〈一七八八〉正月七日の生まれ、慶応三年〈一八六七〉年十月二十九日没、享年八十歳の長命であった。
字は棣芳、通称瑳助、珮川は後に佩川と書き号である。肥前の多久の人で。二十三歳で江戸湯島の昌平黌に学び、古賀精里に師事した。多久侯に仕え、佐賀藩の儒員となり、藩校の弘道館教授をつとめている。漢詩集に『摂西六家詩集』、『佩川詩鈔』(嘉永六年刊、四巻四冊)があり、『文久二十六家絶句』(文久二年刊、三巻三冊)にも選ばれ、諸家より詩文集の序文、跋文、評語などを依頼されている。
師の古賀精里が幕命を受け、朝鮮通信使にあうため対馬に随行し、約二ヶ月間の見聞を記した『津島日記』があるほか、鍋島藩の命でしばしば対馬に渡り、朝鮮からの使節との通詞にあたっている。
若いとき使節と筆談を交わしているが、のちには不自由なく朝鮮語で話せたという。また日々の出来事を記した『草場珮川日記』が知られる。安政四年に谷口與鹿と橋本香坡は西遊からの帰りに佐賀の草場珮川邸を訪れている。この応酬を知りたいと思い旧佐賀城内にある県立図書館を訪れ、渉猟したが見当たらず、図書館の司書の方が佐賀大学に連絡してくださり、ちょうどその時期は草場珮川が藩主の命で対馬に赴いていたことがわかった。草場珮川とは会うことができなかったのである。
橋本香坡は、篠崎小竹門の後藤松陰とともに摂西六家詩抄の編集に関わっており、谷口與鹿とともに伊丹郷町で酒を酌んでいる。
逢えなかったのはさぞ残念だったろうと思われる。


38823 韓国の神社

2008年06月29日 | 日本の山車
38823 韓国系の神社
朝鮮国史似よく引用される『三国史記』によると、新羅の初代王とされる赫居世始祖として廟に祀ったのは西暦六年とあり、およそ五百年を経た西暦五〇八年に、新羅の第二十二代の智証王九年により「神宮」に祀られたと記録される。つまり、古代には韓国にも祖先を神として祀る「神宮」が存在した。
赫居世の「居世」とは神を意味しており、「コセ」、「コソ」、「キソ」はみなこの範疇に含まれ、わが国の「コセ」は御所(ごせ)、巨瀬(こせ)、小瀬(こせ)、古瀬(こせ)、高僧洞(こそぼら)、木曾(きそ)、伊太祁曾神社(いたきそじんじゃ)などは、古代の神を祀る場所であったと考えられよう。朝鮮のアメノヒボコのもとを去って難波に帰ったとされるアカルヒメを祀る神社は姫許曾神社(ひめこそじんじゃ)。
新羅神社、韓国神社、辛国神社、韓神社、百済神社、高句麗神社、高麗神社、高来神社、白髭神社、白鬚神社なども渡来系の祖神を祀る廟處であろう。
八幡神社、出雲大社、稲荷神社、松尾神社、大貴己神社、諏訪神社なども朝鮮から渡来した氏族が祖先を祀る神社である。
わが国の神社の嚆矢は朝鮮半島から渡来した氏族にはじまるといっても過言ではないだろう。一方、朝鮮半島からは神社が消え、いまはおそらく一社もないのではないだろうか。

31145 稲荷神社

2008年06月29日 | 日本の山車
31145 稲荷神社
稲荷神社は日本各地に普遍的に存在し、あるときは神に、あるときは仏として祀られる。推論だが、稲荷神社は日本に祀られた神社のうちではもっとも古く、おそらく弥生氏族の祀った氏神であろう。弥生民族とは出雲民族である。


25587 大野弁吉

2008年06月26日 | 日本の山車
25587 大野弁吉
大野弁吉(一八〇一-一八七〇)は、 京都五条通り羽根細工師の一子として生まれたが、二十歳ころ長崎に学び、京都帰国後は中村屋八右衛門の長女うたの女婿となった。
八右衛門が、加賀国大野の出身であったことから妻のうたとともに加賀の大野湊に移り住み、才能を生かした数々のからくりを生み出した。
よく目にする「お茶運び人形」をはじめ、写真機、オルゴールにいたるまでその数多の作品をみるとその多彩な才能には驚嘆を禁じえない。
美川町でおこなわれる「おかえり祭」で曳かれる「楊貴妃山車」は、山車が動き出すと車輪がまわるにつれて、楊貴妃の足があたかも歩くように動くからくりがあったが、今は残念ながら動かない。しかし機構の一部は今も残っている。
河北潟の埋め立てで事業をとがめられた、豪商銭屋五兵衛と交際があり、五兵衛は陰の庇護者でもあった。
「銭五」こと銭屋五兵衛は江戸時代ひそかにロシアとの交易を行っているが、北海道礼文島にはその居館あとがある。
大野湊には大野弁吉のからくりをつぶさに見られる「大野湊からくり記念館」がある。

□大野湊・からくり記念館
〒920-0331 
石川県金沢市大野町四丁目甲二番二十九
電話 076-266-1311 
FAX:076-266-1911



03223 大野湊神社祭

2008年06月26日 | 日本の山車
03223 大野湊神社祭
石川県金沢市寺中町ハ一六三
大野湊神社
□祭神
猿田彦大神
瀬織津姫神 
応神天皇 

別宮 
天照皇大御神
地主護國八幡大神
春日四柱大神
西宮大神
荒魂大己貴命
・鎮魂八神社 神産霊神、高産霊神、玉積産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮比神
・加武劒社 素盞嗚尊
・武猛社 五十猛命
・御食津社 宇迦之御魂神
・三熊社 武三熊大人 以上は『神社明細帳』
・猿田彦大神

摂社
・白山社 白山比神 配祀 少彦名神、天滿宮
・天磐杼樟船社「鳥之磐楠船神、蛭子神
 西宮社 蛭兒神
 菅原社 菅原道眞
 秋葉社 火産靈神、罔象女神、埴山姫神

□祭は八月上旬
山車(曳山)十七臺を曳く。

□山車
・味噌屋町
・浜町
・松前町
・下越前町
・上越前町
・相生町上、下
・横町
・下寺町
・下本町
・長田町
・本町
・達磨町
・今町
・下新浜町
・新町
・通町等

□汎論
大野湊神社の創祀は古く、神亀四年(七二七)に猿田彦大神を祀ったのを創祀とするが、当時すでに神明社があり、傍らに勧請したといわれる。創祀の場所は佐良嶽の麓であったが、山の崩壊時にすべて失われ建長四年(一二五二)に寺中町の離宮八幡宮に遷った。
多くの祭神を祀り、境内社も多く認められるが、いずれも創祀時の祭神ではなさそうである。ミズハジョシン(罔象女神)を祀るのは、農耕水利に苦慮したためという。
慶長九年に創始された神事能は、現在も金沢能楽会関係者により五月十五日に奉納されている。
大野には、大野弁吉ゆかりの「からくり記念館」がある。


01279 曽根神社祭

2008年06月26日 | 日本の山車
01279 曽根神社祭
新潟県新潟市西蒲区(旧西川町)二番町
曽根神社
□祭神
ウガミタマノオオカミ 宇迦魂大神
タカハシゲンスケ 高橋源助
□祭は八月下旬。
山車七臺と傘鉾が五基出る。

□山車(傘鉾)

□汎論
曽根神社は新潟市(旧西川町)の二番町にあり、延喜年間の創祀と伝える古い出雲系の神社である。もとは見帯(みおび)に鎮座していたが、永禄三年(一五六〇)に上杉輝虎が現在地に遷し、江戸時代末期の元治元年(一八六四)に曽根神社となった。
旧地近くに「元宮」がある。本殿いいたる参道には異なる二つの鳥居をくぐる。
「傘鉾」は傘を赤い帽冠(もこう)がめぐらされ、傘の上に「練物」がのる古い態様が遺存する。
祭には「傘矛ばやし」が演奏される。
祭神として祀られる高橋源助は、もと曽根村の庄屋で、水不足に悩んでいた村に用水路をひらいた。しかしその功績を逆に役人にとがめられ処刑された。村人たちはその徳に感じて霊を神社に祀ることにした。


00013 富山東岩瀬の曵山祭

2008年06月26日 | 日本の山車
00013 富山東岩瀬の曵山祭
富山県富山市東岩瀬
諏訪神社
□祭は5月中旬。
十三臺の曳山を曳く。
□山車
表方の町内
・新町
・荒木町
・土場町(どばまち)
・新川町(にいかわちょう)
以前は新館町と川原町であったが、合併して新町名が新川町となった。
・御蔵町
・祇園町
・福来町(ふくらいちょう)
浦方の町内
・大町
・松港町(まつみなとまち)(港町)
・白山町(萩浦町)
・永割
・赤田町 平成三年より曵山を作り参加するようになった。
□汎論
山車を激しくぶつけることから「岩瀬けんかまつり」の別名がある。
山車には柱がたち、これに毎年新しく見立物が作られる。山車上の作り物は判じ物となっていて趣向が凝らされる。文字を使わずに絵解きで謎が仕掛けられ、観客が首をひねる。たとえば、山車の上に花札のおおきな一枚、絵柄は「あ可よろし」の短冊がある一枚をかざり、「中国国交回復〇〇周年記念」とある具合。
「鯛・小判・松」で、「大漁を待つ」となる。
 ふだんは静かな諏訪神社社前は立錐の余地もないほどの人で埋め尽くされひと目見ようとする人たちで大混雑する。
神社前の道路で表方(山側)と浦方(浜側)の山車をはげしくぶっつける。道路の両側にスクラムを組んだ警官がぎっしりとかためるなか、そのあいだの道路を若者が一〇〇メートル以上はある引き綱を曳いて疾走し、そのまま相手方と行き違いになって山車の前面同士を衝突させる。衝突後もなお引き合い、激しい揉みあいが繰り返され、山車は横を向いたり、ときには方向をそれて観客のなかにつっこむおともある。罵声が飛び交い殴りあいにもなる。大混雑のなか、観客同士の喧嘩が起こることもしばしば、顔から血をながし、大の字にひっくりかえったって警官は見向きもしない。
 全国に喧嘩祭は多々あり、山車と山車。山車と神輿をぶっつける祭はあるが、この富山東岩瀬の曳山祭以上に激しい祭は知らない。県内の伏木のけんかやまの「かっちゃい」、小矢部津沢の夜高祭、福野町の夜高祭、氷見祭も激しい祭だがそれ以上の物騒な祭である。
町内の北前船の廻船問屋でもあった旧家は、棟札が見当たらず文化財の指定からはずれていたが、飛騨高山の旧家、日下部家と造り、間取りが大変よく似ていることを伝えておいたところ、その関連から調査がすすめっれ、文化財の指定を受けたようである。

□問い合わせ
富山市観光振興課
電話076-443-2072


02345 権現祭

2008年06月25日 | 日本の山車
02345 権現祭
青森県北津軽郡中泊町(旧小泊村)
尾崎神社
□祭は八月中旬。
山車を曳く。
□山車
・小泊地区
・下前地区
□汎論
町内権現崎には、秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて来日した「徐福」の伝説がある。徐福の伝承がのこる地には概ね次のような地が知られる。
・青森県北津軽郡中泊町(旧小泊村)、尾崎神社
・秋田県男鹿市赤神神社
・東京都青ヶ島
・東京都八丈島
・神奈川県藤沢市、妙善寺
・静岡県富士山
・静岡県清水市三保松原
・山梨県富士吉田市、甲子神社、聖徳山福源寺
・山梨県南都留郡河口湖町、浅間神社、徐福社
・山梨県南都留郡山中湖村、長池
・愛知県宝飯郡小坂井町 莵足神社
・愛知県渥美半島
・愛知県宝飯郡御津 上陸地
・愛知県名古屋市熱田区熱田神宮、雲見山、蓬莱島伝説。
・三重県熊野市波田須徐福宮野市波多須、矢賀徐福祠と徐福の墓
・和歌山県新宮市阿須賀神社、徐福宮
・京都府与謝郡伊根町 新井崎神社
・広島県佐伯郡宮島町 厳島神社、聖崎蓬莱山
・熊毛郡上関町祝島
・高知県高岡郡佐川町、虚空蔵山
・福岡県 筑紫野市天山
・八女市童男山古墳
・杵島郡有明町稲佐神社
・佐賀郡諸富町浮盃
・宮崎県延岡市、蓬莱山、徐福岩
・鹿児島県 坊津町
・串木野市、冠岳


25812 波上宮

2008年06月25日 | 日本の山車
25812 波上宮
沖縄県那覇市若狭一丁目二五-一一
波上宮
□祭神
祭神
イザナミノミコト 伊弉冉尊
ハヤタマオノミコト 速玉男尊
コトサカオノミコト 事解男尊
併祀 
カマドノカミ 竈神
ウブスナノオオカミ 産土大神
スクナヒコナノミコト 少彦名神
□祭は五月中旬
山車はない。
□汎論
波上宮は、通称を「ナンミン」と呼び琉球王国の総鎮守として祭られる。創祀の趣旨を考慮すれば祭神は相殿に祀られる「ウブスナノオオカミ(産土大神)」であろう。
創祀には不明だが、伝説に、むかし、南風原村に崎山の里主という人があり、海浜で
ものを言う石を見つけたが、その石は不思議な光を放ち、その石を拾ったのち、里主は豊漁に恵まれるようになったという。
海の彼方には「ニコラカナイ(海神の国)」があり、古来神々に祈りを捧げた聖地だという。ナンミン祭が行われる。

02274 日根神社祭

2008年06月25日 | 日本の山車
02274 日根神社祭
大阪府泉佐野市日根野六三一
日根神社
□祭神
ウガヤフキアエズノミコト 鵜葺草葺不合命
タマヨリヒメノミコト 玉依毘売命
祭神の四王子
イツセノミコト 五瀬命
イナヒノミコト 稲冰命
ミケヌノミコト 御毛沼命
ワカミケヌノミコト 若御毛沼命
オシフミノオミ 億斯富使主
ヒネノミヤツコ 日根造
摂社
比売神
天照大御神
須佐之男命
を祀る。
このほか境内社が十数社ある。

□祭は
現在山車(地車)は曳かれていない。
□山車
現在曳行休止中
・東上
・西出
・西上
・野口
・野々地蔵
・新道出
・久ノ木

□汎論
日根神社は和泉五社の五の宮である。創祀は不詳とされるが、日根は島根県出雲地方の古い国名であり、かって、和泉地方に栄えた古代出雲文化を継承する社名と考える。
延喜式に記載される古社である。ヒネノミヤツコは日根神社の祖神で、創祀時の祖神であろう。五月上旬には柱に枕を結んで立てる「枕祭」が行われる。


02064 積川神社祭

2008年06月24日 | 日本の山車
02064 積川神社祭
大阪府岸和田市積川町350番地
積川神社(つがわじんじゃ)
□祭神
イクイノカミ 生井神
サクイノカミ 栄井神
ツナガイノカミ 綱長井神
アスハノカミ 阿須波神
ハヒキノカミ 波比岐神
境内社
天神社
八坂社
白髪社
戎社
□祭は十月上旬
山車(地車)六臺を曳く

□山車(地車)
・積川(積川西)

天の岩戸、神功皇后の応神天皇を安産、素盞鳴尊の八岐大蛇退治。
小桜責め、逆櫓の争い、常盤母子の都落ち。
勧進帳安宅の関、弁慶の義経懲打の場、石橋山合戦。
富士の巻狩り、頼朝本陣褒賞の場、仁田四郎忠常の猪退治、狩場風景。
丹波大江山、酒呑童子の酒盛りの場、源頼光の木渡り、酒呑童子退治。
源頼政の鵺(ぬえ)退治、宇治川の先陣争い、鎮西八郎為朝の剛弓。
安芸の宮島の弁財天、巴御前、八幡太郎義家の奥州征伐。
灘波戦記。
・積川東(橋室)

天の岩戸、鷺池平九郎うわばみ退治、素盞鳴尊の八岐大蛇退治。
安宅の関の場。
富士の巻狩り。
源平盛衰記。
朝比奈三郎、富士川の合戦、今井兼平。
大坂夏の陣。
・包近町
楠公記
戦勝祈願、桜井の駅、後醍醐天皇、後醍醐天皇笠置落ち。
雲に梅鉢。
波に浦島太郎。
多聞丸誕生、多聞丸弓修業、多聞丸が林軍太を懲らしめる場。
畑六郎左衛門、高安三太郎兵衛の楠木加勢、高田傳二郎の勇戦。
・山直中町

天の岩戸、生田の森、箙(えびら)の梅は梶原源太景季、石川五右衛門香炉を盗む場、神武天皇東征。
兜あらため、忠臣蔵の刃傷松の廊下、村上喜剣内蔵助を足蹴にする場。
大江山、源頼光の木渡り、北陸街道、安宅の関の場。
富士の巻狩り、頼朝本陣、仁田四郎忠常の猪退治、富士の巻狩り。
巴御前、八幡太郎義家の安倍貞任を討つ場。
忠臣蔵。両国橋引揚げの場」、右は赤穂義士吉良邸討入り」、左は「清水一学の奮戦」。加藤清正の九州征伐、秀吉本陣佐久間の乱入、巴御前の奮戦。
大坂夏の陣。
・稲葉町東

鎌倉の鶴ケ岡八幡宮、新田義貞稲村ヶ崎、本能寺の変。
牛若丸と弁慶の五条橋の出会い、正行の吉野如意輪堂落首、石川五右衛門の伏見城の香炉を盗む場。
太平記。楠公子櫻井の駅の別れの場、湊川の合戦、四條畷の合戦。
太閤記。尾州桶狭間の戦い、江州姉川の戦い、遠州三方ヶ原の戦い。
忠臣蔵。両国橋の引揚げ、服部彦七の温情、吉良邸討入りの大石内蔵助と義士の雄姿、清水一学の吉良邸奮戦。
木曽義仲粟津の合戦、巴御前の勇姿、今井四郎の勇戦。
大坂夏の陣。
・稲葉町西
雲に菅原神社、梅鉢の紋。開運の御来光。
神話伝説。神武天皇東征、神功皇后の三韓制覇、天の岩戸、因幡の白兎。
関ヶ原合戦。
波、龍。
丹波大江山の酒呑童子征伐、勧進帳安宅の関の場。
太平記。楠公親子桜井の駅の別離、千早城籠城、楠公の藁人形の計略。
源平合戦。義経八艘跳び、鬼神に勝る巴御前、木曽義仲の最期。
忠臣蔵。両国橋の引揚げ服部彦七の温情、吉良邸に討入る大石内蔵助と義士、清水一学の奮戦。
桶狭間の合戦より今川義元の最期、加藤清正と新納武蔵守の血戦、秀吉の本陣に乱入する佐久間。
築城用材調達、尾張清洲城の修築、日吉丸の誕生。
関ヶ原の戦い、弁慶の堀川の夜討ち。
富士の巻狩り。

□汎論
積川神社は、和泉五社中の四の宮である。延喜式に記載される古社で、祭神はすべて土地神であり、あとから加えられた他の神は、境内社に祀られる。
積川の名称は近接して前に牛滝川、後ろに深山川の二つの川が重なることにちなむという。は熊野街道に面しており、本殿は三間社流造檜皮葺で、慶長七年に、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として大修理を加え、現在もそのまま、桃山様式を曳く華麗な建築と、勾欄の彫刻の見事さは美の極致とされ、大正三年四月に特別保護国宝建造物に指定されている。社宝に重文指定の神像、淀君奉納の神輿、楠正儀寄進の石燈籠、古鏡、寛治四年に、白河上皇の熊野へ詣でるときに揮毫した社号額などがある。

01891 聖神社祭

2008年06月24日 | 日本の山車
01891 聖神社祭
大阪府和泉市王子町九一九
聖神社
□祭神
ヒジリノカミ 聖神
ニニギノミコト 瓊々杵尊
アマテラスオオカミ 天照大神
ニギハヤヒノミコト 饒速日命
コノハナサクヤヒメノミコト 木花開耶姫命
イワナガヒメノミコト 磐長姫命

□祭は十月上旬
地車九臺を曳く

□山車(地車)
・宮本町

楠木正成
水滸伝より武松の虎退治。
・尾井町

平清盛。
信太の森、葛の葉より、子別れの場。
平家物語より布引の滝小桜責め。
大江山酒呑童子の酒宴の場。
平景清の錣引き。
森蘭丸と明智光秀。
神功皇后の応神天皇出産。
源頼朝の鶴岡八幡宮放生会の場。
牛若丸と弁慶。
山口佐馬之介と後藤又兵衛、秀頼と会見。
常磐御前母子の都落ち。
太閤記より薄田隼人が小幡勘兵衛を召捕る場。
勧進帳より安宅の関弁慶が義経を懲打する場。
唐子の千人遊び。
佐藤忠信の碁盤投げの場、
檜木山相馬大作。
山崎の合戦先陣を争いの場、小西行長、安国寺恵慶が秀吉の陣を訪ねる場。
加藤清正、福島市松。
賤ヶ岳の合戦。
・富秋町

川中島の合戦
賤ヶ岳の合戦。
・上町

賤ヶ岳の合戦
難波戦記
大坂夏の陣。
・王子町

源頼朝が伊豆の戦い敗れで朽木に隠れる場、
木曾義仲の愛妾巴御前。
源義家が安部貞任を追う場。
見送りは「大坂夏の陣」。
・幸町
薄田隼人の徳川本陣討入りの場。
荒川熊蔵が本多出雲守と戦う場
真田幸村が徳川家康を追う場
灘波戦記。
・葛ノ葉町

曽我物語にちなむ曽我五郎大磯の場、曽我兄弟の仇討ちで、曽我十郎。
太平記より、楠正成、正行の桜井の駅の別れ、児島高徳桜木に歌を詠む図、村上義光錦の御旗奪還の場。
源平盛衰記、大江山源頼光の木渡りの場、勧進帳北陸安宅の関。
賤ヶ岳の合戦より福島市松拝郷五左衛門を討つ場、桜井佐吉、片桐助作。
絵本太功記尼ケ崎の段より秀吉を追う四方田但馬守、秀吉茶坊主に化け難を逃れる場、
太郎助瓜を献上の場。
太閤記より秀吉の本陣に乱入する佐久間、脇坂甚内、佐藤内蔵助。
織田信長、今川義元の桶狭間合戦の場。
・太町

天の岩戸、素盞鳴尊の八岐大蛇退治の場、神武天皇の東征。
七福神、日本武尊の野火の難の場、野見宿禰が当麻蹴連を蹴殺す場。
恵比寿、獅子頭。
戦記物で、信太城合戦、承久の乱、元弘の乱。
桶狭間の合戦、本能寺の変、近江姉川の合戦。
賤ヶ岳の合戦より、秀吉本陣に乱入する佐久間、福島市松拝郷五左衛門を討つ場、加藤嘉明が浅井吉兵衛を討つ場。
大坂夏の陣より真田幸村が家康本陣を襲う場」、真田軍が伊達政宗と戦う場、後藤又兵衛、木村重成。
大坂冬の陣。

□汎論
聖神社は和泉五社中の三の宮で、延喜式に記載される古社。天武天皇期、白鳳三年(六七五)に渡来系のシノダノオビト(信太首)の創祀とされるが、当初は祖神を氏神として祀ったものであろう。祭神の聖神は、大歳神の子だとされる。
近くに歌舞伎狂言などでもよく知られる、陰陽師安部清明にゆかりの「葛の葉」を祀る信太の森がある。



01779 大鳥大社祭

2008年06月24日 | 日本の山車
01779 大鳥大社祭
大阪府堺市鳳北町一丁一-二
大鳥大社

□祭神
日本武尊
大鳥連祖神

□祭は十月上旬
山車(地車)七臺を曳く。

□山車
上だんじり
・大鳥

神話伝説より、天の岩戸、素盞鳴尊八岐大蛇退治、神功皇后の三韓征伐。
浦島太郎、本能寺の変森蘭丸、義経の八艘飛び、新田義貞の稲村ヶ崎の場。
源平盛衰記より、大江山酒呑童子と源頼光、安宅の関の場。
富士の巻狩りより頼朝の本陣、仁田四郎忠常の猪退治、勢子。
太閤記より秀吉の本陣に乱入する佐久間、大坂の陣で戦う後藤又兵衛、福島市松。
忠臣蔵より吉良上野介召捕り、吉良邸討入りと大石内蔵助、清水一学の奮戦。
薄田隼人、朝比奈三郎と足利義氏、斉藤実盛を討つ手塚光盛。
見送りは「一ノ谷の合戦」。
・野田

天の岩戸、青龍、鷲に猿。
頼朝、義経再会の場。
鎌倉鶴ケ岡八幡宮、勧進帳安宅の関、仁田四郎忠常。
素盞鳴尊八岐大蛇退治、青龍、夫婦龍。
新田義貞の鎌倉稲村ヶ崎の場面、壇ノ浦の義経八艘飛び。
忠臣蔵の各場面、両国橋引揚げ、義士の討ち入り、松の廊下、清水一学の奮戦。
源平盛衰記より朝比奈三郎、巴御前、平敦盛と熊谷次郎直実。
賤ヶ岳合戦より秀吉本陣、中川清秀の最期、福島市松の拝郷五左衛門討取り。
・濱寺元町

義経の八艘飛び。親子龍。
聖武天皇、日本武尊、川中島の合戦。
加藤清正虎退治。
・新在家

義経八艘飛び、風神、雷神。
天の岩戸、因幡の白兎。
神武東征、素盞鳴尊八岐大蛇退治、日本武尊。
牛若丸と弁慶、鷲、烏天狗。
鳥づくし。
忠臣蔵の両国橋引揚げ、清水一学、吉良上野介の召捕。
・北王子
雲に獅子。
神話より、天の岩戸、素盞鳴尊八岐大蛇退治、雄略天皇。
草薙の劔を振るう日本武尊、神功皇后の応神天皇出産、曽我馬子を誅する中大兄皇子。
翁、邪鬼。
石橋山の合戦、富士の巻狩り。
那須与一、大江山酒呑童子、勧進帳安宅の関。
佐藤忠信碁盤投げ、奥州征伐で安部貞任を追う八幡太郎義家。
曽我兄弟の敵討ち工藤祐経を討つ場、由比ヶ浜の場草摺引き。
粟津の合戦、義経の八艘飛び、御所桜堀川夜討ち。
一ノ谷の合戦の場。
・長承寺(鳳南町)
楠公子桜井の駅の別れ、児島高徳。
後醍醐天皇の吉野遷宮、護良親王の修業場、護良親王の捕縛。
青龍。
菊地武時、吉野蔵王堂での村上義光の最期。
高師直と塩冶判官。
京六波羅探題。
楠木正行一代記より楠木邸の別れ、正行誕生、弓の修業。
正成天王寺へ出張、楠木正季の大森彦七を討つ場。
河内長野の赤坂城合戦の場。
・野代

□汎論
大鳥大社は和泉国の一之宮として祀られる。式内社の大鳥北浜神社、大鳥美波比神社、大鳥井瀬神社、大鳥羽衣浜神社とともに大鳥五社明神と呼ばれる。
創祀は不明であるが、行基ゆかりの神鳳寺記録、斉衡二年(八五五)の「大鳥五社大明神并神鳳寺縁起帳」に慶雲三丙午(七〇六)に、「始めて三妃を祭り神宮造営、大鳥五社大明神と名付け奉る」とある。筆者案ずるに、この三妃とは宗像三女神であり、土地神である大鳥連祖神をつぎに、日本武尊を併祀したものであろうと推定する。
和泉は弥生時代の前、中、後期を通じて出雲文化の中心地であった。
「大鳥造」といわれる神社建築様式は基本形が出雲大社本殿に見られる大社造から進化したものである。
山車(地車)が曳かれるが、地元の話によると、宮入りしただんじりは正面を大鳥神社ではなく、大鳥美波比神社に向けられる。どうも大鳥美波比神社付属するらしい。
大鳥美波比神社は明治十二年に北王子の旧地より遷されてきている。祭神は天照大神。
明治末期の四十二年に、式内社石押別神社を合祀している。



01755 泉穴師神社祭

2008年06月24日 | 日本の山車
01755 泉穴師神社祭
泉大津市穴師地区
泉穴師神社
□祭神
アメノオシホノミミノミコト 天忍穂耳尊
タクハタチチノミコト 栲幡千々姫命
□祭は十月上旬

□山車(だんじり)
・穴師

難波戦記
・池浦

平家物語 屋島の段、壇ノ浦の段
川中島の合戦 上杉謙信と武田信玄の闘い
・我孫子

馬上の朝比奈三郎
今井四郎の闘い
平家物語 佐々木と梶原の宇治川先陣争い
太閤記 近江賤ヶ嶽の合
・板原

川中島の合戦
本多忠朝荒川熊蔵の闘い
加藤清正と新納武蔵守の闘い
太閤記 難波戦記

□汎論
泉穴師神社は、延喜式に記載される式内社で和泉五社のひとつに数えられ、泉州の二ノ宮でもある由緒ある古社。アメノオシホノミミノミコ(ト天忍穂耳尊)を農業神、タクハタチチノミコト(栲幡千々姫命)を紡織の祀る。夫婦神である。
正倉院文書に、和泉国五社大明神に社領下賜の際、大鳥神社と共に千三百石の貴信があったと記載される。
滋賀近江の穴生、京都府亀岡市の穴生寺、奈良県の賀名生(あのう)、穴穂宮などに見られる古代穴生氏の祖神の霊を祀る神社として創祀されたものであろう。
山車(だんじり)には題にちなんだ彫刻、幕などが飾られる。