暘州通信

日本の山車

05935 高城お祇園祭

2008年05月31日 | 日本の山車
05935 高城お祇園祭
宮崎県都城市(旧高城町)小松原
朝神柱神社
□祭神
天照大神
豊受大神
□祭は八月上旬
山車二臺を曳く。

□山車
「おぎおんさあ」と言っている。古くは「ろっがっつどお・六月堂」とよばれていた。鹿児島県知覧町でも、祇園祭を「六月堂」といっている。
神幸は朝神柱神社から宮丸の八坂神社まで渡御し、一泊して還御する。
朝神柱神社は、都城市小松原に鎮座するが、もとは梅北の黒尾神社所在地にあり、万寿三年(一〇二六)に遷されたと言い、神柱神社の旧地には黒尾神社が祓川から遷されて鎮座する。
梅北家所蔵の神柱由緒を抄出意訳すると、
 平朝臣大監季基(たいらのあそんたいかんすえもと)は梅北の地を開墾し
所有するとともに屋敷を構え、万寿三年丙寅正月季基家門を建てようとして大吉山より門柱を曳いたが、五百人の忍側では動かず、倍の千人で引いた。季基の娘はちょうど六歳成であったが、外に出て柱曳きを見たところ狂気になった。
ちょうどそのとき、伊勢の神の託宣があって、[われは伸勢の外宮なり。此の地にて衆生を護らんとする。すみやかに社を建て神社の名を神柱と称すべし。これを信ぜずんば人を伊勢の囲に上げて問うべし」ということだった。
 季基は直ちに使者を伊勢に向かわせたところ、伊勢神宮にもおなじような神託があって「日向の国 荘内益貫に我を祀るべし」とのことだったという。奇遇と言おうか、たまたま梅北からの使者と、伊勢からの使者が同じ宿に宿泊することになって、互いに伊勢の神の託宣を知った。使者はそこで別れたが、同じ年、季基伊勢に参詣してそのことを告げ、分霊をうけて帰国した。
ちょうど同じころ、日向国と同じように、こんどは伊勢内宮が出羽国荘内に託宣あって、 伊勢内宮は東三十三国を護り、外宮は西三十三国を護ることになった。
この柱を「神柱社」と称し、日向国、出羽国の柱を日本国二柱神と云う。
従って、「朝神柱神社」を「神柱」というはその故だという。
祭祀は平朝臣大監季基から梅北家にひきつがれ、代々神柱宮の祭祀を奉じてきた。

□問い合わせ
高城総合支所産業振興課
TEL:0986-58-2311
FAX:0986-58-4281


05929 市来八坂神社祭

2008年05月30日 | 日本の山車
05929 市来八坂神社祭
鹿児島県市来町湊町
八坂神社
□祭は七月下旬。
山車、男山、女山四臺を曳く。

□山車
男山
・天神山 天神町
本座人形は猿田彦(天狗)。
・加藤山 栄町
本座人形は加藤清正。
女山
・道風山 祇園町
本座人形は小野道風。   
・龍宮山 土橋町


03845 川辺八坂神社祭

2008年05月30日 | 日本の山車
03845 川辺八坂神社祭
鹿児島県南九州市(旧川辺町)川辺町
八坂神社
□祭は七月下旬
山車 男山車、女山車を曳く。

□汎論
鹿児島県内には祇園祭に男山車、女山車を曳く地域がいくつかあり、すでに姿を消したものもあるが、南部は種子島の西之表市まで見られる。一般的に、男山車は勇壮な姿、女山車は優雅な姿に作られている。


01060 知覧の水車からくり

2008年05月30日 | 日本の山車
01060 知覧の水車からくり
鹿児島県知覧町
豊玉姫神社
□祭七月上旬
六月燈(ろくがつどう)とよぶ夏祭に奉納される。

□汎論
加世田の竹田神社の水車からくりは回転運動なのに対し、知覧の水車からくり人形は所作をともなう。
知覧町郡地区の下郡集落でおこなわれるものだが、上郡の武家屋敷通りにある射場堂(いばんどう)でも行われた。


01056 加世田の水車からくり

2008年05月30日 | 日本の山車
01056 加世田の水車からくり
鹿児島県加世田市
竹田神社
□祭は七月下旬。

□汎論
水車からくりは神社前の益山用水路に設置した水車を利用したからくり人形戯が行われる。神社前の用水路の上にからくり舞台を設け人形が回転する。人形の主題は毎年変わる。国選択有形民俗文化財に指定されている。

03206 郡山八幡神社祭

2008年05月30日 | 日本の山車
03206 郡山八幡神社祭
鹿児島県大口市大田1549
郡山八幡神社社(こおりやまはちまんじんじゃ)

□祭
山車が曳かれていたというが現存しない。

□汎論
建久五年(一一九四)、菱刈重妙が宇佐八幡宮より勧請したという。しかし、市内の記録によれば郡山八幡神社の本殿は永正四年(一五〇七)の再興。。国指定重要文化財指定建造物になっている。一方で、建久四年(一一九三)の創建といい、伝承、記録に錯綜がある。
昭和二十九年の本殿解体修理のとき、柱の頭貫に「焼酎」の文字が発見されて話題になった。
「永禄二歳八月十一日 作次郎 田助太郎 その時座主は、大きなこすてをちやりて一度も焼酎を下されず候何ともめいわくな事哉」
とあり、焼酎の文字が書かれた日本の記録としては最古のものだという。
また、薩摩半島南端の山川港に来航したポルトガル船の船長が、フランシスコ・ザビエルに送った「日本報告」に、「飲み物として、蒸留酒(オラーカ)が飲まれている」とある。

□問い合わせ
大口市役所商工観光課
鹿児島県大口市里1888番地
電話 0995-22-1111


04667 種子島鉄砲祭

2008年05月29日 | 日本の山車
04667 種子島鉄砲祭
鹿児島県西之表市西町
八坂神社
□祭は八月下旬。
山車(太鼓山)一臺を曳く。

□汎論
西之表の八坂神社は、明治五年に鹿児島市の八坂神社より分祀を受けて祀る。
創祀時には、男山、女山の山車があり、男山は太鼓山、女山は舟型山車だったといい、
ともに神幸祭に供奉してお旅所にあてられた王ノ山神社まで曳いた。


04474 串木野さのさ祭

2008年05月29日 | 日本の山車
04474 串木野さのさ祭
鹿児島県いちき串木野市
八坂神社
□祭は七月下旬。
山車を曳く

□山車
八坂山

□汎論
串木野はかって、湊町が商港、宿場町として栄え、文化九年(一八一二)に旧市来町に八坂神社が建立され、は祇園祭はじまり山車が曳かれるようになった。 
当初は「囃子山」だったといい、若松宇吉が京都でお囃子を習ってきたと伝わる。
太鼓、三味線と、代々歌い伝えられてきた「串木野さのさ」

 ハアー
 百万の敵にひけはとらねども
 串木野みなとの別れには
 思わず知らず胸せまり
 おとこ涙をついほろり
 さのさー

にあわせて
三千人の踊り手たちにより踊り流しが練り、山車、男山と、女山の山車が街を練る。

□問い合わせ
串木野さのさ祭実行委員会
電話 0996-32-3111

05928 八坂神社祭

2008年05月29日 | 日本の山車
05928 八坂神社祭
鹿児島県鹿児島市清水町
八坂神社
□祭は七月下旬。
神幸祭に祗園鉾、大鉾がでる。

□汎論
創祀は旧藩主の島津氏により勧請されたという。もと稲荷川の上流にあり、
享保九年(一七二四)の道路改修時に移転したという。
詳細は不明。地元では「おぎおんさあ」とよんでいる。


38825 蜃気楼

2008年05月29日 | 日本の山車
38825 蜃気楼
山車彫刻に蜃気楼を彫ったものがある。
愛知県の知多半島、河和天神祭で曳かれる中組の山車の壇箱には、阿久比の名工岸幕善兵衛作 の蜃気楼が彫られる。
おなじ愛知県碧南市鶴ヶ崎の「玉車」は、もと亀崎の潮干祭で曳かれる「宮本車」であったが、脇障子にもおなじ意匠が見られる。


32256 支倉常長とタペストリー

2008年05月28日 | 日本の山車
32256 支倉常長とタペストリー
支倉常長(はせくら・つねなが)は、陸奥国仙台藩の藩士で、伊達政宗の命を受け慶長遣欧使節団を率いて、ヨーロッパに渡航したいわゆるローマ使節として知られる。
月の浦港(現在の石巻市)を出港した支倉常長は、九十日の航海を経て、当時イスパニア領だったのメキシコ・アカプルコに上陸。大西洋はイスパニア艦隊サン・ファン・デ・ウルーク号に乗船してイスパニアのサン・ルカル・デ・パルラメダに到着。ここからさらにグワダルキビル河を溯ってコリア・デル・リオに上陸。一六一四年十二月二十日、イスパニアの首都マドリードに到着。一六一五年一月三十日、イスパニア国王フィリップス三世に謁見し、国王に伊達政宗の書状と八箇条からなる条約案を提出した。
二月十七日、常長はデスカルサス修道院で洗礼を受け、ドン・フィリッポ・フランシスコの洗礼名を受けた。
さらにバルセロナを経て、一六一五年十一月、バチカン宮殿でローマ法王パウロ五世と謁見しているローマ法王からの正宗への贈り物にタペストリー五面があった。ホメロスのギリシャ神話「イーリアス」をもとにして、十六世紀にフランドル地方ブライバン州(現在のベルギーで織られたものだという。
しかし、ローマ法王は宣教師の派遣は同意したが、通商については直接の同意を避けイスパニア国王に任せることにした。
支倉常長と会見したイスパニア国王は、支倉常長は伊達藩の使節であり、日本国の正式な使節とは認められず、日本でキリスト教が弾圧されている事情から不調と成った。
数々の困難を経て支倉常長は帰国したが、
五面のタペストリーは会津藩に渡ったあと、その内の三面が会津を通じて京都の天寧寺に移った。そのうちの二面は、現在一面は京都八坂神社祇園祭で曳かれる「鯉山」にわたり、鯉山町は一面を大小9枚に分断し上下に断裁して前懸けにし、下の部分を右端、上の部部分を右中央、右側をさらに上下に切って前がけの、上野部分を左中央に下を左端に配している。
もう一面は滋賀県大津市天孫神社の大津祭 太間町の「龍門瀧山」に懸けられる。

38811 筒井天王社祭の神皇車

2008年05月28日 | 日本の山車
38811 筒井天王社祭の神皇車
もと、名古屋城三之丸天王祭の見舞車として、文政七年(一八二四)に建造された。
上臺の本座に、神功皇后と竹内宿儺の人形が載る。
神皇車は神功皇后の載る車の意味である。
屋根のない前棚は本座より一段低くなっており、朱塗りの刎勾欄がめぐらし、正面を切る。本座には四本の丸柱で支えられる唐破風の屋根がある。屋根裏は格天井で朱漆塗り、勾欄も前棚と同じように朱塗りで、前面を切る。
中臺上半を群青色の大幕で巻く、幕には金糸で大波と千鳥を刺繍する。上部には水引幕がかかる・
中臺の下半は格子の素通しで、中の囃子の演奏者が見える構造になっている。



21588 名古屋の見舞車

2008年05月28日 | 日本の山車
21588 名古屋の見舞車
名古屋には「見舞車」とよばれる山車がある。
名古屋城三の丸にあった天王社の祭には、車楽(だんじり)が二臺あったが、
その車楽の献燈車として参加するようになったのが「見舞車」で、尾張十代藩主、徳川斎朝公より「胡蝶」とよぶ小型人形山車の寄進があり、車ノ町がこれを拝領して曳くようになったのが見舞車の起源とされる。
軽量で扱いやすいこともあって、江戸時代、文化、文政期以後、那古野村、広井村(現在の名古屋駅近隣)あたりでは相当の数の見舞車が建造されて曳かれ、各地にも広がっている。

00390 勝山勝山喧嘩だんじり

2008年05月27日 | 日本の山車
00390 勝山勝山喧嘩だんじり
岡山県真庭市(旧勝山町)勝山
高田神社
一宮神社
鈴神社
高応神社
玉雲大権現

□祭は十月下旬
十一地区のだんじりが激しくぶつかり合うけんかだんじりが行われる。

□山車(だんじり)
・元若連
・中若連
・上若連
・西若連
・城若連
・新若連
・旦若連
・川若連
・原若連
・郷若連
・北若連

□汎論
けんかは、あらかじめ指定された場所、真庭市役所本庁舎駐車場前(旧勝山町役場)
山本町駐車場前、JAまにわ勝山支所前、トマト銀行勝山支店前(商工会前)で行われる郷若連はけんかに参加しない。

00991 安浦管弦祭

2008年05月27日 | 日本の山車
00991 安浦管弦祭
広島県呉市(休安浦町)
柏島神社(かしわじまじんじゃ)

□祭は五月中旬

□汎論
三津口湾の柏島を中心に繰り広げられる。
安芸の宮島、伊予大三島(愛媛県)で行われる管絃祭とともに瀬戸内の三大管絃祭に数えられる御船祭。