28879 乾珠、満珠
秋の飛騨高山祭で知られる桜山八幡宮の祭には、高山市下一之町の屋臺(山車)「金鳳臺」が曳かれる。上臺の本座人形は、神功皇后と竹内宿禰が祀られる。
この屋臺は谷口一門が建造に関わったが、中臺欄間には谷口與鹿の草花が描かれる。
もともと谷口與鹿の彫刻が納められるはずだったが、與鹿が上方に旅立つこととなり、彫刻が間に合わないので仮に絵を描いたという。
安政四年(一八四七)、伊丹郷町(現、伊丹市)を旅立った谷口與鹿と橋本香坡は
長府(山口県下関市の豊功神社(とよこと)神社に参詣し、この地から瀬戸内海の乾珠、満珠を遠望している。橋本香坡は、その詩集の中で「乾珠満珠二島アリ」と詠んでいるが、優れた風光地である。與鹿にとっては、故郷、飛騨高山に仕掛けとなっている金鳳臺彫刻が胸をよぎったことであろう。
乾珠、満珠は、武内宿禰が海へ抛げるところが山車人形にも見られる。
満珠は、干珠とともに、火照命を懲らしめるため、海津見の神が火遠理命に授けた二つの玉のことで、
満珠・潮盈珠(しおみつのたま、しおみつたま)海水を満ちさせる珠。乾珠(しおひのたま、しおひたま)は海水を引かせる珠をいい、海神族の神とされるソコツワダツミ(底津綿津見神)、ナカツワダツミ(中津綿津見神)、ウワツワダツミ(上津綿津見神)の三神をいう。
谷口與鹿と橋本香坡のふたりは長府では梁川星巌、紅蘭が訪ねた土地の素封家である広江家の世話になったらしいが、詳しいことは伝わらない。土地の研究家のご教示をいただきたい。
富山県富山市(旧、八尾町)の上新町の山車に乾珠、満珠圖が彫刻されている。
秋の飛騨高山祭で知られる桜山八幡宮の祭には、高山市下一之町の屋臺(山車)「金鳳臺」が曳かれる。上臺の本座人形は、神功皇后と竹内宿禰が祀られる。
この屋臺は谷口一門が建造に関わったが、中臺欄間には谷口與鹿の草花が描かれる。
もともと谷口與鹿の彫刻が納められるはずだったが、與鹿が上方に旅立つこととなり、彫刻が間に合わないので仮に絵を描いたという。
安政四年(一八四七)、伊丹郷町(現、伊丹市)を旅立った谷口與鹿と橋本香坡は
長府(山口県下関市の豊功神社(とよこと)神社に参詣し、この地から瀬戸内海の乾珠、満珠を遠望している。橋本香坡は、その詩集の中で「乾珠満珠二島アリ」と詠んでいるが、優れた風光地である。與鹿にとっては、故郷、飛騨高山に仕掛けとなっている金鳳臺彫刻が胸をよぎったことであろう。
乾珠、満珠は、武内宿禰が海へ抛げるところが山車人形にも見られる。
満珠は、干珠とともに、火照命を懲らしめるため、海津見の神が火遠理命に授けた二つの玉のことで、
満珠・潮盈珠(しおみつのたま、しおみつたま)海水を満ちさせる珠。乾珠(しおひのたま、しおひたま)は海水を引かせる珠をいい、海神族の神とされるソコツワダツミ(底津綿津見神)、ナカツワダツミ(中津綿津見神)、ウワツワダツミ(上津綿津見神)の三神をいう。
谷口與鹿と橋本香坡のふたりは長府では梁川星巌、紅蘭が訪ねた土地の素封家である広江家の世話になったらしいが、詳しいことは伝わらない。土地の研究家のご教示をいただきたい。
富山県富山市(旧、八尾町)の上新町の山車に乾珠、満珠圖が彫刻されている。