暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (六五七)

2013年12月31日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五七)

 こんばんは、今年もあと数時間で終わりますね。
 玉依姫さんからはじめてコメントをいただいてからまもなく一年になります。貴女の該博な知識には驚かされ、また啓発されることしばしばです。とても感謝しています。
 いただいたコメントの中のお尋ねにつきましては意識的に保留しているものがありますが、これらにつきましては、玉依姫さんの仰言る【第二ラウンド】ですこしづつ述べさせていただく予定です。
 先日から【古代日本の巨石文化】について、私論を展開していますが。このあとさらにつづきます。
 玉依姫さんはグローバルな視野で【世界史・日本史】をみておられますので、お考えを伺うのは楽しみです。
 どうぞ、よき新年をお迎えになられ、新しい年にはさらによろしくご厚誼たまわりますよう。
 ありがとうございました

玉依姫 様 (六五七)

2013年12月31日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五七)
 これは仮説です。
 日本にも【メンヒル】と目される構築物が存在します。各地の山に登ると、しばしば、巨石が組まれた磐坐をみることができますが、これらに混在してメンヒルと思しき立て岩を見かけることがあります。中には自然の作り出した造形物か、人工が加わったものか弁別できないものもあります。
 これらのメンヒルが立てられら年代は、いつごろなのか?  これを立てたのは縄文人か? あるいはまったく別の渡来人でしょうか?

玉依姫 様 (六五六)

2013年12月31日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五六)
 これは仮説です。
 【神を迎え・送る】ことと【ひとの生・死】は一如(いちじょ)と考えたのが古代の【祈り・信仰】だったといえるのではないでしょうか。
 人間界と神坐ますところをむすぶためのにたてる【柱】の思想は、世界中にあり、それは、一本の柱にはじまるわけですが、たとえば、ヨーロッパ各地で行なわれる【五月の柱(メイ・ポール)】、エジプトの【オベリスク】、ネパールの【巨大な柱】、アメリカ・インディアンの【トーテム・ポール】、佛教寺院の【塔】は、スツーパ、卒塔婆、塔婆、塔と変化してきた名称とされます。まだまだありますが、これらを総称する祖形がいわゆる【メンヒル】に相当するといえるでしょう。

玉依姫 様 (六五五)

2013年12月31日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五五)
 これは仮説です。
 古代の思想には、ひととは、【人間の体を借りた(憑依)した神】との考えがあり、故人の死を悼みつつも、いずれ転生・再生される思想があったと理解されます。一族の支配の頂点などにあったひとが死去したときなど、その死を悲しみつつも、後世いずれかの日にはこの世に戻ってくる(再来・誕生)するとの強い確信(信仰)があったと推察されます。
 このことから、初期には、自然に天降る神を迎えていたものが【再来・誕生】するように、意思を持って【神迎えの柱】を立て、神を迎える齋事・祭へと形が整っていったと考えられます。

玉依姫 様 (六五四)

2013年12月30日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五四)
 これは仮説です。
 きらめく閃光、轟音と共に落雷は起こり、ときに巨木や巌をも裂き、火を発する自然現象は、古代人にとっても畏怖する【神意】と受け取られたことでしょう。縄文人は、神はこうしてくだり、巌や、樹木、また山を依代として籠もるとかんがえたようです。
 この現象から先祖の再来を願う人々は、自ら神を招くため、山上に柱を立て齋事を行なうようになったのが山上祭祀の始まりと考えられます。その思想は【人も柱】と考え,これに神が憑依すると考える思想へと発展したようです。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・言霊の幸はふ国(ことだまのさきわうくに)
2012/10/24(水) 午後 11:26
... 自然界のあらゆる事物には霊魂や精霊が宿り、諸現象はその意思や働きによるものとみな してきました 。 ... 浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ 山上憶良 言霊の思想は、『万葉集』に見ることが出来ます。上記画像 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/45037460.html
・愛読サイト2011・02・25
2011/2/25(金) 午後 11:31
... 異端の思想>〈94〉『数学ができる人は単純だ』- ≪正統≫とは何か?〈一二九〉-<正統 ... co.jp/ryuusyuu1973 帚木 47 [暗号「山上憶良」]  目次  http://www.geocities ... blogs.yahoo.co.jp/cjdbx883 ラニーニャ現象 http://blogs.yahoo.co.jp/cjdbx883 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/28148973.html
.・侖・リン 続き
2009/10/19(月) 午後 5:06
... 「月夜に 山上で狼が吼えるので 怖いから 火を燃やす」の意味であり ... 私に「御霊の思頼・みたまのふゆ」の現象が起きたのである。 [傍若無人][名・形動 ... 「宗教」や「哲学」や「イデオロギー・思想」としてではなく、生活風習・仕草とし ...
http://blogs.yahoo.co.jp/yakusimajiteki/60486526.html
・正法眼蔵「有時」(9)(2009.7.5提唱)
2009/7/9(木) 午前 9:30
... 「揚眉瞬目」はお釈迦様が霊鷲山上で華を拈じ目を瞬いた瞬間 ... 実体と現象は分けられない、現象は実体の内に、実体は現象の内に含まれるともいえる。有即無、無時間が即時間、一如である。「有時」の巻は唯識思想と華厳教学が影響している。 馬祖のいう ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yqsnp255/54523708.html
・古都鎌倉(12) 「瑞泉寺」
2009/6/24(水) 午前 9:39
... 中興し、併せて禅流の思想にもとずく庭園を創作したことは ... 庭園の裏山の山上には国師が開いた「偏界一覧 ... 「已む」(やむ)とは・・、長く続いている現象や状態が自然に止まり消え失せる意で、自然現象などが時が来て消え失せる、お仕舞になる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/orimasa2007/28276497.html
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玉依姫 様 (六五三)

2013年12月30日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五三)
 これは仮説です。
 【死者は神となって、定期的に還来する】とかんがえ、【神を迎える齋事を祭として行う】ようななったと考えられます。さらには、神はひとのかたちをとって再生する【輪廻】の思想も敷衍していったと推察されます。このことは、【死者はいずれ復活する】と考える思想となったようです。このことは、今生に生きる人々が死者が再びこの世に誕生・再生することを願う信仰となって定着していったと考えられます。そして、これは古代から現代に到るまで世界中にかなり広く定着しているといえましょう。

玉依姫 様 (六五一)

2013年12月30日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五一)
 これは仮説です。
 「生きとし、生けるもの」にとって生死は、万古不変の摂理ですが、慫慂として従いがたいのはどなたにも共通でしょう。さらには、古代に暮らしたひとびとにとっても同じことがいえるはずです。ひとが生きつづけるためには多くの事物と関わり、更に多くを求めますが、実際にはすべてが満たされうることなどきわめてまれで、それはたとえ得ることができてもいずれは、そのすべてを喪失するときがきます。
 このようなことはわかりきったことなのですが、実際にはなかなか受け入れられません。いうなれば【執着】の煩悩に悩まされるのが人生でしょう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より   成功と失敗
2013/12/23(月) 午前 4:39
... そして事物の性質上、すべて の有形物は包括的にカイザルのものとなり得るのです。  性質上カイザルのものとなり得ず、もっぱら神のみに帰属するものは良心です。 ... ローマのカイザルは実際 自分を神と称し、自分の像を立てて礼拝を強要したのです。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/47754724.html
..病気・不幸・災禍はすべて夢である・・真理4巻p306(谷口雅春著)
2013/12/21(土) 午後 10:28
... 宇宙意識はすべての生命・智慧・愛・供給・美・調和の本源なのであります。それは本源であるばかりでなく、一切の事物そのものであります。それ以外には何物も存在しないのであります。 ... 実際存在するのは円
月ばかりでありますように ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ienobu283/9863681.html
立原道造「はじめてのものに」⑤
2013/12/19(木) 午後 3:53
... それらすべてを含んだ抽象的な名詞なのだろう。 実際には、かなり具体的な「もの」を指している。にもかかわらず、こうしたある種の"あいまい化"用法を使うことによっ ... そのあいだにごく少数の具象的な草花の名や事物の名をあしらうことによって〈美〉を構成 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/matsuijunta/32427716.html
聖霊の導きによらなければ
2013/12/19(木) 午後 2:06
... これらの異端者たちはすべて彼らの想念によって天上 ... 「もしわたしたちが感覚的な事物に対する無知に耐えているなら、神について無知であることに我慢できないというのでは、辻褄が合わない」。実際、わたしたちは自分が摂取している食物や飲み物のことを知っ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yhwhicxc/12409025.html
Ⅱ 事物の真の本質 (仏教人生読本)
2010/12/19(日) 午前 1:12
... 夢中になり固執する対象の/金田一補足)事物の支配下から抜けだせるのだ。 第一の聖なる真理、これは、すべては苦である、「すべての事物は苦悩を引き起こす」と指摘し、事物がどんなもの ... しかも、実際に三蔵を研究中の人々よりもはるかに正しく学ん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kindaitimama_dayo/35594053.html 
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玉依姫 様 (六五〇)

2013年12月30日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六五〇)
 もうひとつ、大きな観念として【人の生死】があります。
 ひとはこのように生を享けるとともに、常に死に接するときがあり、いずれは己の死を自覚しなければならなくなります。これは。たいへん嫌なことであり、できれば絶対に認めたくないことで、避けられるものならばさけたいのですが、そうはゆきません。死は一定であり、いずれは宿命として受け入れなければならない現実問題です。
 せめて、健康で長寿を得て、天寿を全うしたいと願う、【諦観】にいたるのが一般的ではないでしょうか。
□参考
次を参考にさせていただきました。
神聖をもとめる心  ──祭祀の統治への影響──
2007/7/22(日) 午後 3:34
... 崇高でなく、心中にいつも罪とけがれのさけがたい存在であることを深く知ってゐるからである。 ... 権謀術策の場となることをまぬがれない宿命をもってゐるとすらいっていい。 ... 権力の対立を、徹底的に表に露出させ、一定のルールのもとに自由に闘争させ ...
..近藤芳美:新しき短歌の規定「定型と文語」
2007/5/9(水) 午前 4:54
... 当然其のことからさけ得られない古さを自らの宿命とし なければならないのか。 僕らは今又素朴にこの事に答えよう。僕らは自ら一定の約束を守って立つ定型詩人であることを。 すなわち与えられた短歌と言う約束型式をそのままにふんで行く詩作者である事を。 ...
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玉依姫 様 (六四九)

2013年12月30日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四九)
 >……ネットが世界を席巻してから、世界中の人々がごく当たり前に自分の意見を言うことが出来るようになりました。人間ですからどの分野の意見も多少の身贔屓はつきものです。そのせいなのかわかりませんが最近では、オリジナルで通っている料理や文化を(実は当方が最初に作ったという証拠があるので、原点はこちらである)などの意見がよく見られるようになりました。歴史的建造物も同じことが言えるのかもしれませんね……
 ……玉依姫姫さんの柔軟なお考えには共感をおぼえます。
  これは仮説です。
 環状列石(ストーンサークル)とよばれる古代の構築物は、まず築造された目的が不明とされていますが、私的には【祭祀遺跡】と理解しています。
 神は見ることも触れることもできませんが、日本列島の古代人は、雨、雪、みぞれ、雹、霰から、雲、風また、雷による稲光、雷鳴から隕石の落下。日光、月光。正確に繰り返される日夜。さらにはその本義である、太陽、月、さらには満天にひろがる星々……をとおして神の存在を知覚していたと推察します。

玉依姫 様 (六四八)

2013年12月28日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四八)

 >……古代史を考える上で秋田の環状列石や北海道の縄文遺跡など北方の遺跡を考慮することも大切ですね。
現在は一年の内大部分が氷に閉ざされている(ユーラシア大陸シベリア横断線)と(ユーラシア大陸大草原線)も古代には日本への定番ルートとして使われていたと思います。
日本はユーラシア大陸の最東端(日の出)の地なので、太陽信仰を持つ古代人にとって魅力ある土地であったと考えます。
  これは仮説です。
 ……叙述が前後しますが、まず、【④ ストーン・サークル Stone circle】から。
 ストーン・サークルは、おっしゃるように【環状列石】と和訳されています。イギリスの南西部から、ふこっとランドの北部さらにはその北の島嶼にも多くが知られています。では、イギリスと日本のストーンサークルは同じ思想から作られた同一民族の遺物でしょうか?
□参考
次を参考にさせていただきました。
・「超古代からの挑戦状!縄文ストーンサークル編」 其之壱
2013/8/22(木) 午前 8:03
... 「ストーンサークルが作られた時期が同じ!」と言う事が出来るのである。 地球(ユーラシア大陸)の、東と西の大陸の果ての小さな島国(「英国と日本)で、ほぼ時期にストーンサクルが創られて居たと言うのは非常に興味の在る事だと思う。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kodaiiseki2000/68149832.html
・イギリス ストーンヘンジ/ストーンサークルの鑑定
2010/7/15(木) 午後 8:24
ストーンサークル イギリス ストーンヘンジ ストーンサークル 現在の地球文明は三度目だが、二度の人間の営み(文明)と因縁を飲み込んで ... アトランティス大陸とムー大陸の話は非科学的であるとして、現代の学者から否定 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/gtmf10/17021632.html
・大湯・ストーンサークルです。
2009/9/7(月) 午前 0:04
先週、所用がありまして「大湯・ストーンサークル」へ行ってまいりました。 ↓これは大湯・ストーンサークル館の中庭にレプリカとして置いてある「日時計状組石」です。 ... 文字がない縄文の時代でも ある程度の大陸の情報は 日本に届いていたのでは ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/bi7as59/50905535.html
・北日本にやってきた、大湯ストーンサークルの主はヨーロッパ人の源流
2007/2/19(月) 午後 8:16
... ストーン・サークルや馬に引かれる二輪の戦車、人型神の石彫が見られる。 東北地方の秋田のストーンサークルを作った人たちはこのころの人たちだっただろう。羽黒山の麓の藤島町などにある ... この地方からに、中国大陸を越えてヨーロッパ人種といわ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/14045307.html
・環状石籬(ストーンサークル)
2005/5/23(月) 午後 3:50
... ③倭人(3万2千年前、当時の大陸文化を持って渡来)は、土饅頭を作る習慣があったはず。 ④そのほかにも気候温和で生活物資豊かに日本に、渡来はあったろうが、文化的影響は見られない。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yasozy2003/3280417.html
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玉依姫 様 (六四七)

2013年12月26日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四七)

 ……縄文時代の遺跡に【巨石文化】があったことは各地の山や、ときに平地に、巨石を組んだ【磐坐(いわざ)】が築造され【岩坐(いわざ、いわくら)】などとよばれます。これらの中には現在も【神籬(ひもろぎ)】とよばれ、信仰の対照となっているものも数多くあります。
 【巨石文化】の遺物は、縄文時代に北方から渡来し、日本各地に定着しました。巨巌で構築された遺跡は、
① メンヒル Menhir
② ストーンヘンジ Stonehenge
③ アリニュマン  Alignement (フランス語)
④ ストーン・サークル Stone circle
 などがあります。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・海のある奈良「小浜」の寺巡り♪
2011/9/27(火) 午前 1:25
... 書院前は白砂でつつじ・さつきの苅込、そして巨石を大日如来とみなし、 全体で金剛界曼荼羅を表現している枯山水庭園 苅込 ... 右の写真では、わざと奥にいくほど柱を短くし、遠近法で奥行きがある ... 奈良時代、聖武天皇の勅願で各地に置かれた国分寺。 本堂にある ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sachiko_72/62794921.html
・松山のストーンヘンジ
2010/1/20(水) 午前 0:50
人はなぜデカイ石に憧れ、慄き、尊敬の対象とするのか。 巨石文化というのは各地にあって、 一番有名なのはイギリスのストーンヘンジですかね。 ... これなんかわざと積み重ねたでしょと言いたくなります。 いやいや昔の人は凄い力持ち ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/koshide33333/50116285.html
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玉依姫 様 (六四六)

2013年12月26日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四六)

 ……「縄文時代がおよそ一万三千年くらい続いた」と考えるのは、日本各地から出土した遺物からの類推だと思います。これだけの長期間が平穏に過ぎることはちょっと考えづらいのですが、これらの縄文人らの暮らしは集落を作り、集団となって生活したようですが、大きなまとまりを持つ社会、あるいは國というものにまでは至らなかったのではないでしょうか。
 縄文時代の気候はいまより温暖で、北海道が、現在の沖縄くらいの気候だったとも言われます。
 寒さを凌ぐ備えはさほど気にすることはなく、衣食は天産物で十分まかなうことができ、衣食足り、人口は少なく、満ち足りた時代だったと考えられます。
 だが、この間に外来の異民族がつぎつぎと渡来し、既往の居住縄文人とは、葛藤を生じつつも複数民族が構成されるようになり、争いから生じる消長を経て経過時間と共に次第に同化していったと推定されます。

◆02524 大井氷川神社祭 更新

2013年12月25日 | 日本の山車
◆02524 大井氷川神社祭 更新
□社名 氷川神社
□所在地 ふじみ野市(旧大井町)
□祭神
スサノオノミコト 素戔嗚命
クシイナダヒメノミコト 奇稲田姫命
オオナムチノミコト 大己貴命
□祭は七月下旬。
□山車
山車の呼称、形態は、屋臺。
・上組
・旭連 中組、下組
(順不同)
□汎論
□参考
次を参考にさせていただきました。
・埼玉県ふじみ野市大井氷川神社
中・下組山車(旭山車)
 http://ameblo.jp/ooi-nakagumi/
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玉依姫 様 (六四五)

2013年12月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四五)

 これは仮説です。
 ……旧石器時代から新石器時代を経て、やがて縄文時代を迎えます。縄文時代に栄えた縄文文化とは、日本で完成した【日本文化】とされます。縄文文化を築いた縄文人と、旧・新石器時代の民族は同一民族論、あるいは異民族論があります。
 縄文時代は、当初【エドワード・S・モース(Edward S. Morse)】が、東京都の大森貝塚から発掘した土器を【Cord Marked Pottery】とよんだことから、矢田部良吉はこれを【索紋土器」(さくもんどき)】と訳し、さらに、最後の本草学者(植物学者)といわれた白井光太郎の命名で【縄文土器】と名づけられ、さらには、その土器が用いられた時代を総称して、【縄文時代】とよぶようになりました。当初は便宜上、前期、中期、後期の三期に分類されました。現在は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期に分類されるようで、草創期の一万五千年前ころから、晩期のおよそ三千三百年から、二千八百年前くらいまでをいうようですが、定説はなく諸説があります。
 概念としての縄文時代はいまから一万五千年くらいから二千八百位までの、およそ一万三千年くらいのあいだに存在したと推定されます。

玉依姫 様 (六四四)

2013年12月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六四四)
玉依姫 様 (六四四)

>……雄略天皇の時代に多くのソグト人が上総国に来ていたということで私の説を進めていきたいと思います……。

 まえに、【日本の古代人はすべて渡来人】とお話しました。仮にいまから二万年前を考えますと、このころは世界の四大古代文明といわれるメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明などはまだ揺籃期にあった? と推定されます。
 二万年前の日本列島もそのころ居住者があったかどうかは不明ですが、もしあったとしてもそれはごく少数だったでしょう。
 旧石器時代(無土器時代)の年代測定は、青森県外ヶ浜町にある【大平山元I遺跡】からの出土遺物を測定した【AMS法放射性炭素年代測定・暦年較正年代法】では一万六千五百年前とされているようです。
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