00103 熊谷うちわ祭
埼玉県熊谷市鎌倉町
愛宕八坂神社
石原 八坂神社
□祭は七月下旬。
山車十二臺を曳く。
山車5台 本町1、2丁目、本町3、4丁目、筑波町、仲町、銀座
屋台7台 弥生町、荒川区、鎌倉町、伊勢町、桜町
□山車
・第一本町区 本町一、二丁目
本座人形は神武天皇。長野屋綱季の作。
明治三十一年の建造。
工匠は島野茂三郎。
彫刻は小林栄次郎。
見送り幕は龍虎。
創建は天保元年(一八三〇)という。
・第二本町区 本町三、四丁目
本座人形は戸隠大明神。三代目仲秀英の作という。
天保年間の建造と推定されている。
明治二十四年に神田の紺屋が個人で所有していた山車を中家堂・軍配せんべい製造販売、初代の中村藤吉をはじめとし、松本清七、鴨田半三郎他数名が世話人となって譲り受け、東京から曳いてきたといわれる。
工匠、彫刻ともに不明。
見送り幕は火焔太鼓と鶏の図は閑古鶏と推定される。
・筑波町区
本座人形は日本武尊、人形師は本庄市の米福。
昭和三十六年の建造。工匠は岡田屋の小林福三郎と篠笹直広。
彫刻は福島光治、新井松十郎。
見送り幕は龍。
創始は明治三十五年に鴻巣市より渦理受けた。本座人形は神武天皇だった。
江戸期に狂言屋臺が出ていたろの口伝がある。
・仲町区
昭和三〇年の建造。
鉾は昭和五十六年の後補で、従来のものを大きくした。
工匠は小林工務所、小林稲三郎。
彫刻は福島光冶。
塗師は楢原平助。
見送り幕は天女奏楽図。
明治三十九年に建造した花屋臺。昭和初期に妻沼町の上町に譲渡したというが現存しない。
江戸期には狂言屋臺がでていたとの伝承がある。
・銀座区
本座人形は熊谷次郎直実、長野屋綱季の作。
平成六年の建造。
工匠は松本房吉。
彫刻は日光兼光。
見送り幕は上鉾幕が熊谷直実公略記。下鉾幕は、桐に鳳凰。平家物語にちなむクマガイソウ(熊谷草)とアツモロソウ(敦盛草)
・弥生町区
大正十五年の創建。
工匠は島野茂吉。
彫刻は内山良雲。
見送り幕は松と鶴亀。
・荒川区
昭和二十二年の建造。大室木工所の建造。
見送り幕は横綱の土俵入り。
昭和一〇年頃に建造した山車があったが、伊勢町に譲渡した。
・鎌倉町区
昭和二十八年の建造。
3代目。本体60万円。
工匠はは岡田屋、小林福三郎。三臺目の建造だという。
彫刻は福島光治。
見送り幕は、松と火焔太鼓。
先の山車は大正五年建造の屋臺だったが、終戦前日の昭和二〇年八月十四日に戦災により焼失した。
創建は山車で明治二十九年の建造。明治四十二年に越生町黒岩町に譲られた。
江戸期には狂言屋臺がでていたと言われる。
・伊勢町区
昭和五十四年の建造、工匠はは若松建設、若林松太郎。
彫刻は神田洋三。
昭和二〇年代に建造した山車があったが。桜町に譲られ、さらに現吹上町へ渡っている。
・桜町区
平成六年の建造。
制作費は1,500万円。大工は
工匠は四分一作次郎。
彫刻は四分一昌宏。
見送り幕は桜の老樹。
昭和五十四年伊勢町より小型の屋臺を譲り受ける。
・石原区
四方唐破風屋根をもつ三輪の御所車。
昭和十一年の建造。
工匠はは渡谷豊吉(石原)。
彫刻はは小林義雄。
見送り幕は鶴亀。
先の山車は群馬県鬼石町三杉町に譲られた。
・本石区 石原下町、1丁目
昭和十二年の建造。工匠は大澤善太郎。
彫刻は内山良雲。
見送り幕は唐獅子牡丹と小獅子の峪落し図。獅子は我が子を生まれて三日目に峪におとし、無事這い上がってきたものだけ育てるという故事。
先の山車は大正初期頃の作といわれるが群馬県鬼石町本町に譲られた。
・石原中町 石原二丁目
創建は不明。戦災で焼失。いまも石原の赤城神社に一部残る屋臺部材がこの屋臺のもの
。その再建されていない。
・文化町
昭和七年の建造だったが文化町と本石町の合併で処分された。
いまは存在しない。
□汎論
第二本町区、工匠島野茂三郎、彫刻小林栄次郎による、神武人形の山車。第二本町区
天保時代の建造と推定される、戸隠人形の山車(いずれも典型的な江戸型山車)は 昭和四十三年十一月三日に熊谷市、有形文化財に指定された。
埼玉県児玉郡児玉町の児玉 八幡神社の祭で曳かれる、新町の山車彫刻は熊谷の彫刻師の手になるという。
また、埼玉県岡部町板井の出雲乃伊波比神社で曳かれる山車(屋臺)は、大正期に熊谷の鎌倉町より譲り受けたといわれる。