暘州通信

日本の山車

◆00985 八田八幡宮祭 更新

2015年03月29日 | 日本の山車
◆00985 八田八幡宮祭 更新
□社名 八田八幡宮
□所在地 山口県周防大島町(旧久賀村)
□祭神
□祭は九月中旬。
□山車
山車の呼称、形態は、引山太鼓、山車。
□汎論
青年団の若衆が手作りの山車を作って曳く。引山太鼓は、太鼓だけが載る小型の臺車で、たてお気にした太鼓の周囲をの男女三名の小学生が囲んで打つ。
□参考
次を参考にさせていただきました。
久賀八田八幡宮祭
 http://www.geocities.jp/hikiyamataiko/fest14.htm
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/


◆11036 保呂羽山波宇志別神社 更新

2014年10月30日 | 日本の山車
◆11036 保呂羽山波宇志別神社 更新
□社名 保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)
□所在地 秋田県横手市大森町八沢木字保呂羽山
□祭神
アンカンテンノウ 安閑天皇
□汎論
 【保呂羽山波宇志別神社】は、『延喜式神名帳、出羽國』九坐中、平鹿郡(ひらかこおり)に記載される二坐のうちの一坐。【保呂羽山】は、秋田県横手市大森町八沢木にあり、標高四三八メートルで、鳥海山系に属する。保呂羽山波宇志別神社はその中腹に鎮座する。
 保呂羽山は、「保呂の羽山」の意と考えられる。【ハヤマ】の漢字表記は、羽山、葉山などとも書かれるが、【神南備山】と同義とされる。神社の創祀を、社記は天平宝字元年(七五七)とするが、それよりはるか以前に山上祭祀が行われていたと推察される。仮説であるが、鳥海山と同じように、古代には、オオモノイミノカミ(大物忌神)がまつられていたと推察される。
 祭神のアンカンテンノウ(安閑天皇)は、ケイタイテンノウ(繼体天皇)の長子とされ、大阪府羽曳野市古市に、【古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ】とよばれる陵墓がある。
【論攷 延喜式神名帳】
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/

◆23096 天宮神社の十二段舞楽

2010年04月17日 | 日本の山車
◆23096 天宮神社の十二段舞楽
天宮神社
静岡県周智郡森町
□祭神
タゴリヒメノミコト(田心媛命)
タギツヒメノミコト(湍津媛命)
イチキシマヒメノミコト(市杵島媛命)
ヒメミコト(大国主命の妃)

□汎論
 天宮神社の創祀は、欽明天皇期(五三九-五七一)とされる古社で、宗像三女神と大国主命妃を祭神とする。境内のナギは雄岡県指定の天然記念物である。ナギは島根県に自生があり、奈良県の奈良公園にもあるが、これはナギの実を絞って燈明の油とするために植栽されたものだろうと推定されている。
 天宮神社十二段舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。平安末期~鎌倉初期に伝割ったと伝えられ、江戸期以後は一宮大禰宜の鈴木左近家が代々舞楽師匠方として指導にあたり、明治以降は、氏子の有志が勤めていた。現在は天宮地区の青年団「天社轂 ( てんしゃこく )」、「天宮神社舞楽保存会」が
保存につとめている。境内の神宮寺は旧天台宗蓮華寺の末寺だったが、いまは舞楽の練習場にあてられている。

十二段舞楽次第
一番 延舞(えんぶ)
二番 色香(しきこう)
三番 庭胡蝶(ていこちょう)
四番 鳥名(ちょうな)
五番 太平楽(たいへいらく)
六番 新靺鞨(しんまか)
七番 安摩(あま)
八番 二の舞(にのまい)
九番 陵王(りょうおう)
十番 抜頭(ばとう)
十一番 納曾利(のそり)
十二番 獅子(しし)

 天宮神社の本殿と拝殿は、元禄十年(一六九七)に、斐太の工(飛騨の匠)の系譜を曳く近江(滋賀県甲良町)の甲良豊後守四代目、源宗賀により造営された由緒あるもので、静岡県の文化財に指定されている。甲良豊後守は、日光東照宮、信州善光寺本堂などに関与し、江戸千代田城の修理にも関わっている。
 凱生社は天宮神社の氏子で山車があるが、天宮神社は山車を曳かないので三島神社の秋祭に曳いている。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇森町太田川の桜、のはずが・・・
2010/4/9(金) 午前 11:30
先日、舞楽を見に行った。天浜線の戸綿駅で下車し、天宮神社に向かう。  太田川の、緩やかに蛇行する流れ、背景の山、桜の組み合わせが私の好み。  その昔の、日本の田舎ってこうだっただろう~。そういう感じ。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/uminekoniwa/13651579.html

◇祭り2
2010/4/2(金) 午前 10:21
... 230_225 alignRight" width=230 height=225)]] 周智郡森町天宮の 天宮神社大祭 十二段舞楽 というものがあるそうです。 餅まきもあるよ また、小國神社にも桜祭りがあるから、今週は、森町が あつい 小國神社のHPです  十二段舞楽 ...
 blogs.yahoo.co.jp/ushimaruchan/13590739.html

◇舞楽練習
2009/4/1(水) 午後 10:32
... 再来週には、再び、神社に泊まっての練習が始まります。 今週末には、森町の中心部では、『町並みと蔵展』              太田川河川敷の桜は見ごろとなり、       天宮神社では、十二段舞楽の奉奏が行われます。 皆さん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/pekoe1404mr_tee/25482111.html

◇「萩まつり」開催案内
2008/9/14(日) 午前 6:41
... 開催日時 2008年9月21日(日)10時から16時まで まつりの当日は、国の重要文化財に指定されている天宮神社十二段舞楽の一部を披露するほか、一面に咲く萩を観賞しながら琴や津軽三味線などの演奏が楽しめます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nsqqm568/25290616.html

◇★遠州の小京都/なぎの里 天宮神社★
2008/4/1(火) 午後 10:25
... 天宮神社(あめのみやじんじゃ) 文武天皇の時代、京都から神官が着任した折に舞楽奉納したことから、現在でも十二段の舞が継承されて いるとのこと 杉檜に囲まれたこじんまりとした神社です。 御神木としてなぎの古木が祭られている。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kuniji_tr4/22192034.html


◆00561 三島神社祭

2010年04月17日 | 日本の山車
◆00561 三島神社祭
静岡県周智郡森町仲横町
三島神社
□祭は十一月上旬。
□山車(屋臺)
・水哉社 本町
現在の山車(屋臺)は、昭和五十五年の建造。工匠は太田昭夫。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)志村孝士。
創建は江戸時代。幕末文久三年の大喧嘩で廃臺となる。
明治二十四年に再建。
大正十一年建造の山車は、鳳雲社(大門)を経て菊川市(旧菊川町)へ。

・谷本社 城下
現在の山車は三代目か?
昭和五七年の建造。工匠は鈴木久一、戸塚由夫、岩本三郎。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)井波彫刻協同組合の中山亮策。
明治二十五年建造の山車(屋臺)は菊川町日之出一丁目に譲渡された。

・凱生社 天宮(あめのみや)
現在の山車は二代目か?
昭和十一年の建造。
工匠は鈴木久吉、松浦定吉、松浦寅次郎、山本一太郎。
彫刻は中山由太郎政勝。

・北街社 新町
現在の山車は四代目か?
工匠は寺田勝郎。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
嘉永年間建造の言い伝えがある山車は、菊川市伊達方を経由て菊川市(菊川町)堀の内東栄町に譲渡された。
明治二六年建造の山車(屋臺)は春野町熊切へ譲渡。
昭和四年建造の山車(屋臺)は若宮団地に譲渡。

・明開社 明治町
明治一八年に町が開かれた。
開町わずか四年後の明治二十二年に山車(屋臺)が創建される。
現在の山車は二代目か?
昭和九年の建造。
工匠は小栗富太郎、内藤新平他。
彫刻は早瀬利三郎。
漆塗は初代村松定助。

・比雲社 仲横町
山車の創建は、明治二二、三年頃と伝わり、現在も金守神社に保存されている。
現在の山車は二代目か?
平成五年の建造。工匠は森町栄町の山本建築。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の井波彫刻協同組合。

・鳳雲社 大門
蓮華、西脇、西金屋、森山の四地区合わせて大門という。以前は延命寺の五地区を大門と称した。
平成元年一〇月製作。工匠は森下伸之。彫刻は吉江立最、早瀬宏。
先代は昭和五十五年本町より譲り受けたが平成元年に菊川市(旧菊川町)に譲渡されている。

・龍生社 西幸町
昭和四十八年に開かれた新しい町。
昭和五十五年の創建、工匠は小栗新太郎。
彫刻は早瀬宏。

・湧水社 南町
昭和五十九年に栄町より分離独立した。
昭和六十年の創建。工匠は寺田勝郎。
車工匠は村松利雄。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
漆塗は村松菊郎。

・睦栄社 戸綿
現在の山車は、昭和五十三年の建造。工匠は花島辰男。車工匠は村松利雄。彫刻は山田峨聖。
初代の山車は、大正十四年に下宿の山車を譲受けたが、車輪は仲横町から譲り受けたもの。菊川市(旧菊川町)の日吉町へ譲渡されている。

・藤雲社 栄町
昭和六十二年の建造。工匠は山本庄平、和夫親子。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士。
車は村松利雄。

・桑水社 下宿
現在の山車は三代目か?
大正十三年の建造。
工匠は松浦清太郎ほか七名による。
彫刻は宮本丹次。
昭和五十九年に大改修が行われている。工匠は山本庄平。
創建は江戸時代後期と伝わる。
明治初期に再建。

・沿海社 川原町
昭和二年の建造。
工匠は太田寅太郎、太田亮平、太田徳太郎他。
彫刻は早瀬利三郎。
漆塗は初代の松村定助。
昭和五十六年に大改修が行われた。工匠は山本庄平。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士、および中山亮策。
創建は明治十九年。

・慶雲社 向天
昭和六十一年の建造、工匠は鈴木弥平、芳彦、考治郎、敏広。
車は村松利雄。
彫刻は富山県南砺市(旧井波町)の志村孝士、および中山亮策。
漆塗は初代松村定助。
創建は昭和二年。飯田城北に譲渡された。
(順不同)

□汎論
 三島神社の創祀は遠州森の宮山にある三島神社。一説に、創祀は平安期頃まで遡るといわれるが詳細は不明。
 静岡県三島市の三嶋大社は、オオヤマツミノカミ(大山祇神)、コトシロヌシノカミ(事代主神)の二神を祭神として「三嶋大明神」と総称する。阿波神(三嶋明神の后)、伊古奈比命(三嶋明神の后)、楊原神が配祀されている。延喜式神名帳には名神大社と記載される古社。伊豆國一宮で、総社でもある。
 伊豫の大山祇神大社は、愛媛県越智郡大三島町三浦(宮浦)にあり、延喜式神名帳には名神大社と記載され、大山積神社、三島大明神、大三島神社などともよばれる古社。祭神はオオヤマツミノミコト(大山祗命)である。伊予國一宮である。
 オオヤマツミノミコト(大山祗命)は、アマテラスオオミカミ(天照大神)の兄にあたり、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛)は、オオヤマツミノミコトの娘、姉にイワナガヒメがいる。コノハナサクヤヒメは、神話ではニニギノミコトの妃で、ホデリノミコト(海幸彦)と、ホスセリノミコト(山幸彦)の母とされている。
 静岡県三島市の三嶋大社と、伊豫の大山祇神大社は、その創祀について諸説があるが、筆者はオオヤマツミノカミ(大山祇神)は、古代の海神氏に近い「カモ氏(賀茂氏、加茂氏、鴨氏)が祀る神社として、カモ氏の名称が付けられた古い地はカモ氏系の三島神社が祀られたと推察する。祭祀の前後を考慮すれば、おそらく、伊予國の大山積神社が先であろう。

 遠州は広沢虎造の浪曲「清水次郎長列伝」なかでも「三〇石舟」はよく知られる。往年の人気者だった森の石松の出生地であり、静岡県には古い人ならよく知られた「遠州〇〇、伊豆◇◇」の俗諺がある。森祭は威勢のよい「遠州森の喧嘩祭」として名高い。
 森の三島神社は、森祭が行われる神社で、その所在地である宮山は、森町の地名のもとになっている。長い歴史を経て発展してきた森町は周辺各地にあった集落が統合され、祭も併合され、合同祭のようになっている。山車が曳かれるようになった歴史には不明なことが多いが、江戸時代文久三年の大喧嘩は今も語りつがれる喧嘩として知られる。このとき、本町の山車(屋臺)が大破した記録があり、幕末期には山車(屋臺)があったことは確かである。現在見られる森の山車は二輪、屋根のない露臺式の山車で上臺に人形が飾られる。前面は正面に御簾を懸けその周りを桁状笠木がのる框枠で囲まれる。框枠は素木、黒漆塗り、中には青貝の螺鈿研ぎ出しの優美なものもあり、左右には自慢の彫刻が立つ。
 喧嘩の多かった江戸末期から昭和中期ころまでは、山車も相当乱暴な曳き方をされてていたと推察されるが、近年は、きびしく規制されている。これにともない三社も次第に豪華賢覧に仕立てられるものが多くなり、一定の形式に集約されているようある。
 山車囃子は、地元の曲のほかに江戸の三社囃子の系統をお曳くものがある。半纏(法被)には、「吉原つなぎ」の紋様が見られ、ここにも静岡県各地に見られる江戸の祭の影響が及んでいる。
 神社では、舞児による「舞児還し」が行われる。舞楽を奉納する子供を「舞児(まいこ)」と呼び、毎年各町から一名が選ばれ、三島神社で舞楽を奉納する。舞児は祭の最終日は神社から自宅までの帰道を歩行
によらず若衆が屋臺と肩車で送る。京都祇園祭長刀鉾の稚児、北陸地方各地で行われる子供歌舞伎の役者とおなじように神格化した姿が見られる。
 取材に当たっては、地元の岩本氏のご好意にあずかった。誌して感謝の意を表し、厚くお礼申し上げる。

◆04453 菊川神社祭

2010年04月14日 | 日本の山車
◆04453 菊川神社祭
静岡県菊川町堀之内
菊川神社
□祭は十月下旬。
□山車
・本町一丁目
・本町二丁目
・本町三丁目
・本町四丁目
・宮前
・日吉町
・柳町
・新通
・初咲町
・西通り
・緑ヶ丘
・日之出町一丁目
・日之出町二丁目
・東町
・栄町
□汎論
 菊川神社は、昭和三十一年(一九五六)に、町村合併により菊川町が発足したのを記念し、滋賀県の多賀大社から分祀を受けて創祀された比較的新しい神社である。このたびさらに小笠町と合併し菊川市となった。氏子は十四区にわかれる。東町と栄町は行動をともにすることが多いので東栄町ともいわれる。
 本町四丁目の山車は二輪で、これは、明治三十五年に磐田市の坂之上町の心誠社が建造したもの。
 宮前、日吉町の山車は、森町戸綿の睦栄社が建造したもの。
 柳町の山車は、袋井市声奏鶴が大正四年の建造で工匠掛塚の舟大工、彫刻は早瀬長兵衛によるもの。
 新道、初咲町、西通り、緑ヶ丘、日ノ出町一丁目の山車は、森町城下の谷本社が明治三十年に建造、彫刻は高村他之介(権江茂師政)によるもの。
 などが他の地区から譲り受けている。
 祭は、打上地区の鹿嶋神社と合同で行っている。
 多賀大社は滋賀県犬上郡多賀町多賀にある延喜式神名帳に記載される古社で、祭神はイザナギノミコト(伊邪那岐命)、イザナミノミコト(伊邪那美命)が祀られる。滋賀県では「お多賀さん」とよんで親しまれている。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇山車
2010/4/4(日) 午後 4:06
... 4日(日)まで第376回犬山祭開催! 寛 永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、4月の第1土・日曜の両日行われます。 ... 満開の桜並木の本町通をぬって練り歩くさまは、豪華絢爛 ... こんなくそ重たい山車を持ち上げるんだから 腰も痛くなるわな ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/oosawa_family_hrym/24780557.html

◇青森市青森ねぶた祭 神奈川 寒川神社 焼 鳥屋 本町スナック風和里
2009/8/5(水) 午後 0:21
... 祭です・・歴史を感じるよ・獅子舞ならぬ・虎舞など・・圧巻は・山車が・大通りで・・それこそ倍近くも・・大きくなるんですよ。。 ... 津軽の古き伝統の・・津軽手踊りです・・ ・・・青森市本町・ねぶたの國たか久・.津軽三味線っと津軽民謡も有る時も ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/cpqfk232/28879052.html

◇山車
2008/7/30(水) 午前 9:54
... 新町の山車は天保十年と伝えられる。成田の新和芸座連が乗演している。 そしてわが高根の山車は昭和24年に制作されて、小見川の清水芸座連が乗演している。 元々、本町、仲町、新町の3町が八坂神社の氏子町であり、この三町で行われていたのだが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tsykf880/24724354.html

◇賦木春日神社☆0126@本町いっちょうめ☆!"
2008/2/21(木) 午後 11:25
... 住所だったっだろか~?って いつもんごて???な神社巡りとなりました♪。 「春日神社」と「蛭子神社」って二つの札のあって 珍しかな~♪と思いつつ中を撮ってたら 妙見祭で本町1丁目の山車である「本町蕪(ほんちょかぶ)」の写真の飾っ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hikoicchann/51963051.html

◇挙母祭り 本町山車蔵
2007/3/10(土) 午前 0:32
... 市内中心部には挙母神社という神社があり、 ここを氏神とする地区の山車八台が市内中を曳き回されます。 ただ、10月第3土日に行われる為 ... 私の自転車通勤経路にある本町山車蔵(素晴らしい風格ですね)と その町並みの写真を載せ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/crjdb092/811238.html

◆01603 吾妻神社祭

2010年04月11日 | 日本の山車
◆01603 吾妻神社祭
静岡県御殿場市
吾妻神社
□祭神
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
オトタチバナヒメノミコト 弟橘姫命
□祭は四月上旬。
□山車
・上町
・仲町
・下町

□汎論
 御殿場市は、平安時代には伊勢神宮の荘園で、御殿場市、小山町、裾野市にかけて「御厨(みくりや)」とよばれていたが、のちに徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ遷すさいに、この地に安置されたことがある。当地には元和元年(一六一五)に徳川家康が築いた御殿があり、貞享三年(一六八五)に取り壊されたといわれるが、一時的に徳川家康の遺体を奉安した地がこの御殿だったという。その跡地に社殿を建立して祀られるようになったのが吾妻神社だと伝わる。ただ、

◇静岡・徳川家康探訪②駿府公園&紅葉山庭園
2009/11/29(日) 午後 9:48
久能山東照宮 に参拝して、徳川家康の霊廟にも訪れた翌日は 静岡市の中心部にある 駿府公園 へ行きました。 ここは、徳川家康が隠居して「大御所」になってから住んでいた 駿府城 の跡です。 ... 家康の時代には、二の丸御殿と台所の建物があった場所だとか。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/haru_haru57/34819268.html

◇徳川家康(小山評定)
2008/7/12(土) 午後 1:07
小山評定(栃木県小山市)  徳川家康 開運のまち小山 おやま開運まつり 小山評定 おやま開運まつり 小山評定FLASH http://www.yoroi ... html 戦国史跡訪問 小山市歴史散策 小山観光 小山御殿 小山城(祇園城) 祇園城(城山公園) 田丸忠昌(小山評定 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/webkouza/12711610.html

◇徳川家康
2007/7/20(金) 午後 10:21
... 帰り道 自転車で信号待ちにも かばんから取り出して読んだほどです 徳川家康が400年まえに 確かに滞在していた御殿の しかも 将軍様の寝室兼居間の後ろの廊下に腰掛けて 徳川家康の生涯を読む  なんか 感慨深いし。有難い。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yysrf123/22327829.html

◇☆徳川将軍家ゆかりの小杉御殿跡
2007/1/4(木) 午後 7:07
... 徳川家康、秀忠、家光、家綱ら歴代将軍が鷹狩等で休んだといわれている御殿跡の西明寺に行って来ました。 ここは「徳川将軍小杉(地名)御殿」があったところで中原街道もここでカギ形に曲り、西明寺 などとともに御殿を防御する形になっているようです。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rounin0718/43618570.html

◇徳川家康が死去した日である。
2006/4/17(月) 午前 10:05
... さて、本日は徳川家康が元和2(1616)4月17日 ... 狩場の水害で放鷹が出来ず、家康は勘気を蒙っさたという。15日に葛西へ至ったという。この間の滞在は越谷御殿であったという。このように家康は越谷にて滞在する機会が多くかった。  ところで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/rwhpn707/32096746.html

◆02243 川原熊野神社祭

2010年04月08日 | 日本の山車
◆02243 川原熊野神社祭
静岡県磐田市(旧豊岡村)
熊野神社
若宮神社
秋葉神社
産土神神社
□祭は十月。
□山車(屋泰)
山車は二輪と四輪が混在する。
川原熊野神社
・大楽地
四輪屋泰
・川原
二輪屋臺
産土神神社
・亀井戸 亀井戸連
屋臺一臺
春野町若身が建造した山車(屋臺)を森町の乙丸を経て、平成二年に譲り受けた。
若宮神社
・合代島
屋臺一臺
新開四三
・秋葉神社
屋臺一臺
□汎論
 川原熊野神社祭は、つぎの各社の合同祭である。
川原熊野神社
熊野神社
若宮神社
秋葉神社
産土神神社

◆00536 女河八幡宮祭

2010年04月08日 | 日本の山車
◆00536 女河八幡宮祭
静岡県湖西市新所
女河八幡宮(めがわはちまんぐう)
□祭は十月中旬。
□山車(屋泰)
・女河
・岡崎
・日の岡、正砂
・吉野、札木
・神明、入江
・中岡
□汎論
 岩手県には女川があり、「おながわ」とよばれるが、湖西市の女河のよみは「めがわ」である。
 女河八幡宮の祭りに曳かれる山車は、単層で、屋根は唐破風のものと、神明造りのものがあり、素木である。
屋臺前面では、関東各地で見られる達者な諸藝が行われる。後部は大きく開口し、両側の柱いっぱいもある大きな太鼓が載り、これを青年らが外部から打つ、神前では奉納のお囃子が演奏されるが年配者が式臺にのり左右の手を交互に大きくまわし、渾身の力を籠めて大太鼓を打つ。
筆者が訪れた時は、入神はやし連、あさひ連、中岡はやし連、あかつきはやし連などの手馴れた演奏を聴くことができた。このように、太鼓を後部に積み外部から打つ例は、愛知県豊田市(旧稲武町)でも見られる。
□参考
・愛知県稲武町

◆04581 烏取山田神社祭

2010年03月21日 | 日本の山車
◆04581 烏取山田神社祭
三重県員弁郡東員町山田
烏取山田神社
□祭神
ツノコリタマノミコト 角凝魂命
合祀
アメノコヤネノミコト 天児屋根命
スサノオノミコト 須佐之男命
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
スガワラミチザネ 菅原道真
ホムダワケノミコト 品陀和気命
ホムスビノカミ 火産霊神
アメノユカワケタノミコト 天湯河桁命
□祭は八月中旬。
□山車(石取祭車)
一臺を曳く。
□汎論
 烏取山田神社は、延喜式神名帳に記載される古社。ツノコリタマノミコト(角凝魂命)は鳥取氏の祖とされる。天湯河桁命はツノコリタマノミコトの孫に当たる。『日本書紀』に垂仁天皇期に誉津別皇子のため「鵠(くぐい)」を捕らえて献上した記述がある。「鵠(くぐい)」は白鳥の古語だとされる。大阪府阪南市の石田にある波太神社は、祭神として角凝命を祀り、天湯河板挙一族の居住地だった桑畑の奥ノ宮に祖神角凝命を祀ったのが波太神社の起源だといわれ、阪南には「烏取の庄」がある。
 滋賀県甲賀市水口町北内貴にある川田神社は、主祭神を天湯河桁命、天川田奈命としており、天児屋根命、大己貴命が配神される。また、滋賀県東近江市八日市神田町には延喜式記載の古社、河桁御河邊神社があり、祭神を天湯河桁命、瀬織津姫神、稲倉魂命を祀っている。東員町山田には役場の所在地でもあるが、古代にはこの地は、鳥取氏とゆかりの深い地であったと考えられる。社殿東に大きなクスノキがあり、樹齢千余年と言われ、御神木になっている。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇渋川山車まつり
2008/4/24(木) 午後 11:11
... 隔年開催で今年も8月中旬らしい  場所      群馬県 ... 渋川市内 内容      江戸型人形山車20台の競演、八幡上り下りなど お祭りPR  あばれ山車、渋川山車まつり! 渋川山車祭りは、江戸時代末期に八坂神社、惣鎮守八幡宮の例祭に諸町が練り物を ...  
 http://blogs.yahoo.co.jp/momotaroudasi/7155369.html




◆04579 八幡神社祭

2010年03月21日 | 日本の山車
◆04579 八幡神社祭
三重県東員町八幡新田
八幡神社
□祭神
ホムダワケノミコト 品陀和氣命
ヒノヤギハヤオノミコト 火之夜芸速男命
オオヤマツミノミコト 大山津見命
□祭は八月中旬
□山車(石取祭車)
一臺を曳く。
□汎論
 八幡神社の創祀は不詳であるが、ヒノヤギハヤオノミコト(火之夜芸速男命)、オオヤマツミノミコト(大山津見命)を祭神として併祀されている。ヒノヤギハヤオノミコト(火之夜芸速男命)は、『古事記』の表記であり、別名にヒノカガビコノカミ(火之毘古神)、ヒノカグツチノカミ(火之迦具土神)があり、『日本書紀』ではカグツチ(軻遇突智)、異称としてホムスビ(火産霊)の名があげられる。
 日本神話では、イザナギノミコト、イザナミノミコトの両神による神生みのとき最後に生まれた神とされ、イザナミノミコトがヒノヤギハヤオノミコトの出産のとき、陰部に火傷を負いこれがもとで死去する。イザナギは怒ってヒノヤギハヤオノミコトを斬りすてたとされる、またその時に流れた血や骸から山津神八神などが生まれた。
 火伏せの神として秋葉山(あきばさん)に祀られている。



◆00146 美濃加茂祭

2010年03月19日 | 日本の山車
◆00146 美濃加茂祭
美濃加茂市下米田町山本
諏訪神社
□祭神
タテミナカタノカミ 建御名方神
□祭は四月上旬。
□山車(だんじり)
・南方
本座人形は上杉謙信。
・北方
本座人形は武田信玄。
□汎論
 諏訪神社の創祀は不詳である。延喜式に記載される古社であるが、二説あり、創祀時には美濃国賀茂郡下飯田村中山(現加茂郡川辺町下飯田)に鎮座していたとする説。もう一説では美濃国賀茂郡式内社である中山神社。両社が論社となっている。山本諏訪神社の創祀時は諏訪神社ではなく、旧殿は、永禄年間の兵火で焼失し、その後米田城主肥田玄蕃の命で現地に再建されたと伝えられる。このとき諏訪大社より分祀を受けて祭神とされた。それ以前の姿は不明である。山車が町を練ったあと、傾斜のある参道を上り宮入りすると米田囃子が演奏される。このとき見物の女性を獅子がふざけて追い掛けまわし、女性が悲鳴をあげて逃げ回るという滑稽な場面が展開するが、ほどのよいところで鬼面をつけ榊を手にした拝翁がそれを戒める。奇祭で知られる。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇いちひめ神社
2010/3/18(木) 午後 2:52
... 1px;" width="560" height="746")]] 市比賣神社とは御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、 女性全ての願い事にご利益があり ... 1px;" width="560" height="420")]] 神社宝物のお雛様や人形が展示されていました。 続く ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kanekanonn120/31619867.html

◇「田縣神社の豊年まつり」 おもしろ編 ②
2010/3/18(木) 午前 8:30
... バナナチョコを食べる女性   美味しそうにに飴をなめる外国人女性   バナナチョコを食べる外国人女性   形のいいフランクフルト    フランクフルトを食べる食べるお兄さん     人形に可愛いいものが・・・?? 神社で売られている男茎木 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/moriyamaasai/61333588.html

◇老サイクリストさんのサイクリング日記①: 加太淡嶋神社の雛流し
2010/3/14(日) 午後 9:15
... 海に流す その後小舟を漁船に乗せ神社近くの海岸まで運ぶ 引き揚げで雛人形を小舟毎火にあげて燃やす 【加太淡嶋神社】 加太淡嶋神社は和歌山市加太にある神社。日本国内に約1000社余りある淡嶋 ... 女性の思いのたけをすべて込めた人形で、雛流しの船はいっぱいに ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/abbysasaki/10635112.html

◇加太 淡島神社 雛祭(雛流し) vol 2
2010/3/13(土) 午前 4:41
淡島神社の境内を白木の船に乗せた雛人形を 参拝に来られた女性の方のみで、 適当に、そのカ継ぎ手は、交代されながら、 2~300mほど先ですが、海岸まで、運びます、 先頭を、小学生ぐらいの ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/xrbuwvo0741/61194380.html

◇加太・淡嶋神社の雛流し
2010/3/8(月) 午前 6:38
... 3月3日 和歌山市加太の淡嶋神社で、女性の幸せと健康を祝う神事「ひな祭り」があり、お祓いのあと、白木の船3隻に乗せられた約600体の人形神輿が女性に担がれて加太海岸の流し場に運ばれ、海に流された。淡嶋神社は人形供養で全国に知られ、一年間が ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/zq64649/60177203.html

◆00160 浜松凧揚祭 三

2010年03月19日 | 日本の山車
◆00160 浜松凧揚祭 三
□汎論
 浜松祭には華美を尽くした山車(御殿屋臺)が百数十臺曳かれる。はじまりは、凧あげに使われる大凧をはこぶ臺車だったという。
 まさに風薫る五月、遠州灘に面した中島砂丘では壮大な凧揚げ合戦が行われる、六畳から十畳はあろうかという大凧をあげ、他の凧と競り合って綱を切る荒業が競われる、凧糸を切られた凧は、折からの風に乗って舞い上がる。過去には房総半島まで飛んだ例があるそうである。凧糸は太く丈夫なものを綯い(ない)、糸の縒り(より)には硝子を砕いて練りこむ秘術が使われたこともあったという。いまは不公平にならないように「浜松凧あげ会館」のなかで、専門職員が凧糸を製作している。
 凧あげは、神社に属しない民俗行事で、当然山車も神社に繋属しない。しかし、第十三区(ブロック)は、十月の蒲神明社の祭礼にも曳く。凧揚げの前夜は前夜祭が行われ、各所から山車(御殿屋臺)が続々と集まり、繁華街の鍛冶町あたりは大混雑となる。掛け声をかけあい、ラッパを吹き鳴らし、肩に手を置いた男女らが蛇行しながら威勢良く街を練る。参加町内が多いので十五区(ブロック)に分けられる。参加町内は江戸の火消組のように「町組、町印」を持つところが多い。
 山車は、浜松まつり会館にも新しく建造された御殿屋臺が展示されているが、次第に重層(二層式)大唐破風屋根の山車に移行している。当初の山車は、凧を積んで浜辺の砂丘まではこぶ無蓋の荷車形式だったと推定される。
言い伝えによると、大正期には床を張らない、屋臺の中に人が入って歩行する、いわゆる「底抜け屋臺」があったといわれ、花屋臺を
経て単層唐破風屋根の山車へと移行していったと考えられる。
 浜松の山車は戦後に建造あるいは改修されたものが多いが、西伊場組(西伊場町)の山車は戦前の作とされおそらく市内に現存する山車の中では一番古いと推定される。昭和二十年代にかけて、単層唐破風屋根の山車が建造されており、奴組(馬込町)の山車は、戦後でもっとも早い時期に建造された山車ではなかろうか。さ組(佐藤中町)の山車は、やはり単層大唐破風素木造の山車で、昭和二十八年の建造、工匠は愛知県豊川市の花田栄一の出造りだったという。彫刻は阿部豊雲である。
 浜松の山車の形が次第に整ってゆく過程で掛塚祭で曳かれている山車の工匠が参画したものがあるが、基底には掛塚(旧竜洋町)の形態が取り入れられていることも考えられよう。昭和三十年代に入り、次第に重層の豪華な山車が建造されるようになってきている。この傾向は、近隣の山車にも影響を与えており、水窪町、春野町、旧天竜市二俣祭の山車にも御殿屋臺が見られるようになっている。
新組(新町)の山車(御殿屋臺)は、昭和六十三年の建造で、三層大唐破風造りである。現在の山車は、良材を用いた緻密で精巧な造りのものが多くなっている。
 天狗連(千歳町)の山車は、昭和二十七年、高塚房太郎。彫刻は江坂鐘平、兵衛親子によるが、木組を三手先まで組む出組造りとなっていて腕の冴えを見せている。八幡組(八幡町)の山車(御殿屋臺)は桃山式重層大破風造りといわれ、工匠は高塚房太郎。彫刻は早瀬利三郎で、昭和三八年の建造とされるが、総漆塗山車なのが浜松では珍しい。


川越祭りの山車を見る前に川越を散策してきました。
2009/10/19(月) 午後 9:32
... 午後3時に本川越駅前に集合しましたが、山車の曳きまわしは午後6時半からなのに駅構内や駅前広場 ... 東照宮→③成田山→④三芳野神社→⑤本丸御殿→⑥氷川神社→⑦時の鐘→⑧菓子屋横丁 ... ⑦ 時の鐘  川越を代表する建造物ですね。実際に一日4回自動的に鐘が突か ...
明治の趣を残す蔵造りの町並み、川越!
2009/2/14(土) 午後 4:18
... 「蔵造りの町並み」(重要伝統的建造物群保存地区)に入る。(一番街) そう感じたのは ... 川越まつりも飛騨高山のように山車が曳き回されるそうです。(10月第三 ... チェックして面白そうなのが「川越城本丸御殿」「菓子屋横」。少し遠いが札の辻に ...
2008年埼玉旅行3(川越3)
2008/5/30(金) 午前 1:03
... ここから南側が重要伝統的建造物群保存地区だとはっきり分かります。   先ほどは南から歩いてきて途中で西に ... そこの秋祭りに24基ある山車がお供をして練り歩くというものです。 ... 氷川神社の南東にある川越城本丸御殿に向かいます。このあたりは川越城があっ ...


◆00160 浜松凧揚祭 二

2010年03月19日 | 日本の山車
◆00160 浜松凧揚祭 二

第十一区(ブロック)
・浅田町
・エ組 海老塚町
・モ組 森田町)
・神田町
・南栄組 南栄
・新橋町
・小沢渡組 小沢渡町
・く組 倉松町
・卸本町組 卸本町

第十二区(ブロック)
・相組 相生町
・佐藤西南組 佐藤西南町
・天組 天神町
・む組 向宿町
・す組 中島町諏訪
・市組 中島町市場
・とみよし組 富吉町
・戸町
・奈組 名塚町
・り組 領家町
・中島町
・ほん組 本町

第十三区(ブロック)
・植松町
・上西組 上西町
・丸塚組 丸塚町
・子安組 子安町
・上新屋町
・大蒲町
・市野組 市野町
・鯉組 小池町
・中田組 中田町
・原島町
・天王組 天王町
・下石田組 下石田町
・上石田町
・和田組 和田町
・天竜川町
・薬師町
・安間組 安間町

第十四区(ブロック)
・芳組 芳川町大橋
・本組 本郷町
・ほ組 本郷町東
・に組 西町
・渡瀬連 渡瀬町
・三和組 三和町
・飯組 飯田町
・下飯田組 下飯田町
・や組 安松町
・神出組 芳川町神出
・頭組 頭陀寺町
・恩地組 恩地町
・参組 参野町
・立野連 立野町
・せ組 西伝寺町
・金組 金折町
・都盛町
・四本松町


第十五区(ブロック)
・西島組 西島町
・江之島町
・え組 遠州浜第三

番外
・植松町
・丸塚町
・上西町
・子安町