暘州通信

日本の山車

◆依田氏と木曾義仲

2019年04月02日 | 日本山車論
◆依田氏と木曾義仲

 上田市丸子町は、平成の大合併で上田市となったが、それまでは、丸子町であった。
東は碓氷峠を経て、上州、武蔵へ、西は、三才山(御射山)を経て松本市から、さらに、飛騨高山へ、南は和田峠をを経て、ここで甲州方面と、諏訪、岡谷から塩尻から木曾へとつづく中山道は、西国に通じる。
 北は、北国街道を経て、千曲川に沿って北上し、善光寺平で二つに分かれ、上越と、信濃川の流れに沿って越後方面に通じる道地ヘと二分岐する。
 つまり、丸子町は古来より交通の要衝であった。町内には、かつての諏訪市の支配の後を継承する御柱のたてられる神社が数社鎮座する。
 町内の中央を西南から北東に依田川の清流が流れ、御嶽堂地区内に、古社、「依田神社」が鎮座する。その北側には、「城山(じょうやま)」は御神体山であり、依田神社はその里宮にあたる。

 治承五年(一一八一)、六月。木曾義仲は、後白河法皇の皇子高倉宮以仁王の令旨(りょうじ)をうけると、折柄招聘を受けた、配下の、樋口次郎兼光、今井四郎兼平、根井小弥太、楯六郎親忠らとともに基礎を出立し、丸子地内の豪族、依田氏と合流したが、さらに海野氏、長瀬氏、丸子氏らの参加があり、依田城址の東麓で挙兵すると、信濃、西上州方面から馳せ参ずるものが続き、その数約三千余騎が集結したと伝わる。木曾義仲は、海野氏の氏神白鳥神社の社前を流れる千曲川河川敷の白鳥河原で兵揃えを行い、平家の先鋒であった越後国の城氏と見みえることとなった。
 城助職は大軍を率いて信濃國に侵攻し、川中島雨宮の渡しの対岸にあった横田城に布陣した。
木曾義仲軍と「横田河原」において激突した。義仲は、城氏の軍約六万余騎をここで破り、これにつづく、寿永二年(一一八三)、五月に、越中國と加賀國の境にある栃波山、倶利伽羅峠の戦で平家の大軍を破り、越前國、近江國を制圧して、同年七月京都入りした。


◆産霊山秘録と四阿山

2019年03月27日 | 日本山車論
◆産霊山秘録と四阿山

 半村 良氏の著作の中に『産霊山秘録(むすびのやまひろく)』があり、「日氏(ひ氏)」とのかかわりについての記述がある。
 四阿山(あづまやさん)は、別名に、吾妻山、吾嬬山(あがつまやま)などがあり、信州須坂市、上田市(長野県)と上州嬬恋村(群馬県)の境界にある山で、そのいずれからも登山できる道がある。標高は二、三五四メートル。深田久弥の日本百名山のひとつにおさめられている。
 県境の鳥居峠からの登山道はかつて修験の道者らが通った道であり、少し入ったところに神社がまつられているが、かなり荒廃している。
 西麓にある「山家神社」は、信州には稀な「シラヤマヒメノミコト(白山比咩命)」
が祀られている。『延喜式神名帳』に記載される古社で真田氏のゆかりが深い。

 「山家神社」は、四阿山を御神体山として祀る、その「里宮」だといわれる。

◆丹生川 十二ヶ嶽の山上祭祀

2019年03月27日 | 日本山車論
◆丹生川 十二ヶ嶽の山上祭祀

木曾御嶽
乗鞍嶽
十国山
焼嶽
西穂高嶽
奥穂高嶽
北穂高嶽
笠ヶ嶽
双六嶽
槍ヶ嶽
水晶嶽
北ノ俣
池ノ俣
薬師嶽
越中立山

 など、飛騨東部の北アルプス連山は、古来信仰の山として崇拝されてきた。
上野平(うわのだいら)は、飛騨の一大縄文遺跡の集落跡で、人面石は著名である。
 ここには、信州和田峠(長野県)から運ばれた黒耀石の石器やその破片が出る。
あるが、そこはまた乗鞍岳を東に仰ぐ地で、古代の住民らは、丹生川 十二ヶ嶽まで登って諸嶽を遥拝し、天降る神を
迎え、送った。

 高山市(旧丹生川村小野(この)のわきから山麓まで用意道路ができているが、昨年登山したときは、ちょうど豪雨の後で、道路が崩壊して、山頂まで行けず、展開でき爐場所もないことと?狭い悪路を500メートルくらい交代で下がらざるを得なかった。
別のルートに回ってみたが、こちらも、道路を洗った水のため医師が浮いてしまって車輪が空回りし、やはり登山できなかった。

 山頂には、「笹山神社」の小詞があり、旧暦の初午には折敷地(おしきぢ)の人々により山上祭祀が行われている。





どうなるか? 不正地を抱える、長尾土改、事業未完了の長尾畑総

2019年03月25日 | 日本山車論
どうなるか? 不正地を抱える、長尾土改、事業未完了の長尾畑総

 縷々述べてきましたが、現在、不正地を抱える、長尾土改(高山市営長尾地区土地改良事業)と、土地改良事業未完了の長尾畑総(高山市営長尾畑地総合整備事業)につきましては、東海農政局に、未建設の高山市道につきましては、国土交通省 中部地方整備局のおうに相談をしています。
 
 進捗があればまた、既述する予定です。

仮称エータ η地

2019年03月25日 | 日本山車論
仮称エータ η地

 「仮称エータ η地」とは、長尾畑総(高山市営長尾畑地総合整備事業)地内に建設が計画された道路用地です。
 高山市は、越後町991番地2を分筆して道路用地としました。
 長尾畑総が事業完了していないため地内外には道路は存在しません。しかし、高山市筥の存在しない道路を市議会で、路線認定し、供用開始しているといいますから不可解です?

 この存在しない高山市道は、グーグル・マップには記載されているそうですが? そうすると、この高山市道はどこにあるのでしょうか?

仮称アルファ α地、ベータ β地

2019年03月24日 | 日本山車論
仮称アルファ α地、ベータ β地

 「仮称アルファ α地、ベータ β地」とは、既述しました、「幽霊地 B地」のことで、長尾土改地内にある、換地から洩れた未確定の土地で、町名も、地番もなく、面積も計算されていない空白地で面積はおよそ180坪くらいはあろうかと思われます。

 昭和61年ごろになって、ここに、岐阜県大規模林道に接続するための市道の建設が計画されました。当時の平田吉郎高山市長は、このB地が、隣地の小笠原譲吉、藤井孝三の所有でないことはわかりきっているのも関わらず、この空白地を小笠原譲吉、藤井孝三の所有ということにして強引に買い受け、同時に小笠原譲吉、藤井孝三はこれを売りつけて高山市道建設を推し進めてしまいました。

 つまり、高山市道 西之一色24号線の中にはこの空白地が補正もされないまま道路として使用されているのです。

仮称Y地

2019年03月24日 | 日本山車論
仮称Y地

「仮称Y地」とは、仮称Q地、仮称R地とおなじように、長尾畑総事業地内に建設される計画の
道路用地に接続する道路用地として、高山市職員東雪哉が土地改良法第114条により
分筆しました。地積は107平方メートル。地番は、越後991番2.地目は道路です。

この道路も、長尾畑総が未完了なので、未建設のままとなっています。

また、仮称Y地は、長尾畑総にお土地改良事業地なのですが、高山市(山本正樹)は、
この土地を長尾土改の事業地として改竄して嘱託登記申請書に記載するという虚偽公文書を作成したために間違った登記が行われ、しかも、道路ではなく、井溝として登記が完了したため、越後991番2は、長尾畑総と長尾土改の両方に二重登記がなされるという誤りがあります。

 長尾土改は、事業地内にあった越後は事業完了後に丁の区域の変更が行われましたから、地内には越後の地名の付く土地はありません。



仮称W地

2019年03月24日 | 日本山車論
仮称W地

 「仮称W地」とは、長尾畑総(高山市営長尾畑地総合整備事業)地内に建設する計画だった道路用地のことです。この道路も、長尾畑総が未完了なので、未建設のまま
となっています。

 近年何人か? によってこの道路用地の入口がフェンスで囲まれ通行できなくなっています。



仮称S地

2019年03月24日 | 日本山車論
仮称S地

 「仮称S地」とは、長尾畑総(高山市営長尾畑地総合整備事業)の対象となったすべての土地で、事業開始に伴って、元仲辰郎高山市が発注し、神田町の門前吉郎土地家屋調査士が測量した測量図に示されています。

 述の通り、この土地改良事業地は、事業が開始され、粗造成まで行ったところで、高山市議会議長だった、柿本傳助が息子の柿本太久治と謀って、名古屋市で中華料理店を経営する、株式会社 東陽に売却されました。

 株式会社 東陽は取得した土地がやがて農地となって換地されると、土地を購入した目的を達することができないため、長尾畑総の事業完了を頑強に阻み、このため、いまだに長尾畑総は事業完了できない状態が続いています。

「仮称R地」 二

2019年03月24日 | 日本山車論
「仮称R地」 二

 平成七年ころに、長尾畑総事業で計画された道路が未建設であることを知った、田屋英明高山市土木課長、西本清文高山市土木課長補佐、水本甫職員が現地を視察し、はじめて、道路が建設されていない状況を視察されたいへん驚かれました。
 この現況については、

 ・農務課に早急に土地改良事業の完了を求める。
 ・三県背う道路については岐阜県および高山市から補助金も出ていることであり、
  山本正樹の責任を追及する。

 ということでしたが? その後の経過を見ているとこの公言は空約束だったようです。


「仮称R地」

2019年03月24日 | 日本山車論
 「仮称R地」

 「仮称R地」とは、「仮称Q地」とおなじように、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、高山市道用地のことです。
 旧、花里八幡宮の境内地である越後990番地は、土地改良事業地ではありませんが、高山市が、長尾畑総事業とともに地内に建設する計画道路を延伸し、完成後は「高山市道」とする予定だったようです。

 この道路用地は。高山市が、土地改良法第114条の規定により職権で分筆登記しました。このときの担当職員は東 雪也でしたが。2度にわたって分筆したのはいいとして、この2ひつのとちにおなじちばんをつけるという誤りを犯してしまいました。
 異所にある土地に同じ地番をつけてしまっているのです。

 しかも、長尾畑総は、事業が途中で止まってしまっていて道路は建設されていません。
 そのため、この分筆地は、高山市(山本正樹)が、長尾土改の換地計画書に改変する改竄を行いました。
 その換地は建設省(国土交通省)です。 

 しかも、道路が建設されていないのですから、当然その道路用地も放置されたままとなっているのですが、山本正樹はその建設省(国土交通省)道路用地の上に林檎の樹を植えて使用
収益する不正を行っています。


仮称Q地

2019年03月23日 | 日本山車論
仮称Q地

  「仮称Q地」とは、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、計画された高山市道用地のことです。
 花里神社は、既述のとおり、もともと地内の旧高山市南西地域の鎮守でしたが、三木氏のとき、祭神と、花里八幡宮と社号が変わり、金森氏の飛騨攻めで炎上しました

、のちに、金森氏により、現在地に新しく「花里八幡宮」が祀られましたから、ほとんど忘れ去られたような存在になっています。
 それでも、戦後しばらくは、神官と、関係者ら数名が榊、神饌、御神酒などを携えてきて、祝詞の奏上がありました。
三木氏は、大八賀にも築城していましたから、そこにも鍋山城の鎮守として花里八幡宮を分祀し、50-60町歩の社叢があります。
 
 花里八幡宮は、三木氏滅亡後は顧みるひともなくなり、飛騨高山における金森氏全盛期には、住民らはその遠慮から、花里八幡宮は距離を置く存在で、地域に居住する人も稀でした。


仮称L地 三

2019年03月22日 | 日本山車論
仮称L地 三

 三回目の控訴審が開廷されたときです……。裁判長から、このたび被告の山本正樹さんから、和解の申し出がありました。どうされますか? というお尋ねです。

 思いがけない成り行きでしたが、「和解の条件にもよると考えます」とこたえたところ、
「……では、このあとのお話は別室のラウンド・テーブルで行いましょう」といわれ、別室に移りました。阪下六代弁護士の姿はなく、被告山本正樹が向かいに着席します。

 こうすでに、事前に用意されていたらしい和解条件が、ハンジさんから示されます。

 いくつかの和解条件が示されましたが、最初の、【貯水池の所有権は、事業参加者全員の総有に帰する】という字句が目に入りました。
 これを見て、態度を決めて、【和解に応じます】と答弁しました。

 そこで、判事さんはもう一度法廷のほうへとおっしゃって、法廷に戻りました。
判事さんは、
「被告は、自ら示した和解条件を遵守し、条件通りに履行するようにと告げ、万一違背するようなことがあれば刑事訴追を受けることになりますから十分注意して和解の条件を履行するように」とお話になり、
被告・山本正樹は、
「ハ、ハイ……」と述べて、閉廷したのでした。

 だが、あとで考えると、この和解に応じたのは間違いでした。

 ちゃんと、判決をもらうべきでした。