03276 須々岐水神社御船祭
長野県松本市里山辺
須々岐水神社(すすきがわじんじゃ)
祭5月上旬。
松本市里山辺薄町には、平安時代に叙位された薄水神を奉る薄ノ宮(須々岐水神社、ススキガワジンジャ)がある。
・薄町
薄町は宮本を兼ね、連の名を片葉社という。
彫刻は立川和四郎富重、立川専四郎富種と娘の松代(湘蘭)。
建造は江戸末期。
彫刻は鐡拐仙人、唐獅子、日本武尊、粟穂に鶉、蝦蟇仙人、東方朔など
・湯の原
湯の原は連名を白糸連という。
彫刻は立川和四郎富重、立川専四郎富種(琢斎)
安政二年に建造にかかり、同四年に完成した。
彫刻題は二十四孝、粟穂と鶉、獅子、龍 など
屋根はせり上げ式。
金具は京都の錺師・躰阿弥作左衛門(たいあみさくざえもん)の作で龍と雲。
・新井
新井は若草連という。
建造は江戸後期。
彫刻は唐獅子、七賢人、馬師皇、龍、鯉、亀 など
・下金井
下金井は連の名をかねこ連という。
建造は安政四年(1857年)
彫刻主題は源義家、常盤御前、新田義貞、五條の橋の牛若丸と弁慶、粟穂に鶉 など
作者は不明。立川富種の弟子・原田蒼渓が補作する。
・荒町
荒町は連の名を赤人連という。
作者:不明
立川富種の弟子・原田東渓、東渓の子・清水湧水が 補作している。
彫刻題は源頼朝石橋山の合戦、源頼朝、力神、鳳凰、雷神、風神 など
屋根はせり上げ式。
明和四年(1767年)の建造説があるが裏付ける資料がない。
彫刻は東渓。
上臺紫の羅紗幕は文政十二年(1829)の作。
・西荒町
西荒町は連の名をかやの連という。
大正11年、清水湧水の建造。
彫刻主題は国生物語、かまどの煙、龍、花鳥 など
屋根はせり上げ式。
・上金井
上金井は連の名を圓上連という。
立川東渓が明治中期に補作している。
建造は天保六年(1835)より前。
彫刻は上り龍、下り龍、鯉、波と亀 など
上臺に源義経の人形を飾る。
・藤井
藤井は連の名を朝日連という。
建造は江戸末期、立川富保による。
彫刻は七福神より布袋、毘沙門天と弁財天。林和靖、その他の仙人など。
屋根はせり上げ式。
・兎川寺
兎川寺は連の名を都連という。
建造は天保期立川一門と推定される。
昭和3年、立川東渓の次男・清水島太郎が補作している。
彫刻主題は楠公、村上義光、宝尽し、盧敖仙人、ねずみと大根 など
□汎論
松本市の東部にある里山辺地区を薄川が流れる。古くから祭の信仰の対象とされてきた。「日本後紀」によると延暦18年12月甲戌の項に、高句麗から渡来した信濃国人卦婁真老は「須々岐姓」を与えられたとある。長野県千曲市にも薄川があり、関連が考えられる。
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長野県松本市里山辺
須々岐水神社(すすきがわじんじゃ)
祭5月上旬。
松本市里山辺薄町には、平安時代に叙位された薄水神を奉る薄ノ宮(須々岐水神社、ススキガワジンジャ)がある。
・薄町
薄町は宮本を兼ね、連の名を片葉社という。
彫刻は立川和四郎富重、立川専四郎富種と娘の松代(湘蘭)。
建造は江戸末期。
彫刻は鐡拐仙人、唐獅子、日本武尊、粟穂に鶉、蝦蟇仙人、東方朔など
・湯の原
湯の原は連名を白糸連という。
彫刻は立川和四郎富重、立川専四郎富種(琢斎)
安政二年に建造にかかり、同四年に完成した。
彫刻題は二十四孝、粟穂と鶉、獅子、龍 など
屋根はせり上げ式。
金具は京都の錺師・躰阿弥作左衛門(たいあみさくざえもん)の作で龍と雲。
・新井
新井は若草連という。
建造は江戸後期。
彫刻は唐獅子、七賢人、馬師皇、龍、鯉、亀 など
・下金井
下金井は連の名をかねこ連という。
建造は安政四年(1857年)
彫刻主題は源義家、常盤御前、新田義貞、五條の橋の牛若丸と弁慶、粟穂に鶉 など
作者は不明。立川富種の弟子・原田蒼渓が補作する。
・荒町
荒町は連の名を赤人連という。
作者:不明
立川富種の弟子・原田東渓、東渓の子・清水湧水が 補作している。
彫刻題は源頼朝石橋山の合戦、源頼朝、力神、鳳凰、雷神、風神 など
屋根はせり上げ式。
明和四年(1767年)の建造説があるが裏付ける資料がない。
彫刻は東渓。
上臺紫の羅紗幕は文政十二年(1829)の作。
・西荒町
西荒町は連の名をかやの連という。
大正11年、清水湧水の建造。
彫刻主題は国生物語、かまどの煙、龍、花鳥 など
屋根はせり上げ式。
・上金井
上金井は連の名を圓上連という。
立川東渓が明治中期に補作している。
建造は天保六年(1835)より前。
彫刻は上り龍、下り龍、鯉、波と亀 など
上臺に源義経の人形を飾る。
・藤井
藤井は連の名を朝日連という。
建造は江戸末期、立川富保による。
彫刻は七福神より布袋、毘沙門天と弁財天。林和靖、その他の仙人など。
屋根はせり上げ式。
・兎川寺
兎川寺は連の名を都連という。
建造は天保期立川一門と推定される。
昭和3年、立川東渓の次男・清水島太郎が補作している。
彫刻主題は楠公、村上義光、宝尽し、盧敖仙人、ねずみと大根 など
□汎論
松本市の東部にある里山辺地区を薄川が流れる。古くから祭の信仰の対象とされてきた。「日本後紀」によると延暦18年12月甲戌の項に、高句麗から渡来した信濃国人卦婁真老は「須々岐姓」を与えられたとある。長野県千曲市にも薄川があり、関連が考えられる。
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