20586 戸隠の柱祭
長野県長野市(旧戸隠村)
戸隠神社
□祭は八月
柱祭
□汎論
柱祭は戸隠神社で行われる火祭は、江戸時代までは七月七日に柱祭と称して行われていたという。菅江真澄の著述である天明四年(一七八四)の「久米路の橋」によると、高い柱三本を立て、それを戸隠三社である本社、中社、玉光社に見たて、それぞれの柱の数か所に束ねた柴を結び火を点けると、火が次々と柴に燃えうつってゆく、どの柱が早く燃え上がるかによって、その年の田豊作の吉凶を占ったという。
たとえば、本社の手力雄命の御柱が一番早く燃えれば豊作だというぐあいである。
いまはその名残りとして八月に注連を張っ内に薪をおき、新しい幣束三本を煙にあわせるという神事占いが行われている。
長野県長野市(旧戸隠村)
戸隠神社
□祭は八月
柱祭
□汎論
柱祭は戸隠神社で行われる火祭は、江戸時代までは七月七日に柱祭と称して行われていたという。菅江真澄の著述である天明四年(一七八四)の「久米路の橋」によると、高い柱三本を立て、それを戸隠三社である本社、中社、玉光社に見たて、それぞれの柱の数か所に束ねた柴を結び火を点けると、火が次々と柴に燃えうつってゆく、どの柱が早く燃え上がるかによって、その年の田豊作の吉凶を占ったという。
たとえば、本社の手力雄命の御柱が一番早く燃えれば豊作だというぐあいである。
いまはその名残りとして八月に注連を張っ内に薪をおき、新しい幣束三本を煙にあわせるという神事占いが行われている。
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