暘州通信

日本の山車

◆01339 楢泉庵 横山家 17

2016年03月07日 | 日本の山車
◆01339 楢泉庵 横山家 17

鳳凰臺
高山市大新町
 谷口與鹿の最後の屋臺彫刻がのる。與鹿の牡丹とも賞される谷口與鹿だが、牡丹は、キンピウゲ科(Ranunncuruceae)に分類されていたが、近年新たにボタン科がたてられることがある。三心皮のもの、五心皮のものがあるが、当、鳳凰臺には、三心皮のものが彫刻される。
 ふつう、牡丹を彫刻してくれと頼まれれば花を彫るものであろうが、花ではなく地味な種子を彫刻したところに與鹿の自信がうかがえる。とうてい余人にはまねできない。
建材、彫刻材の納入はしたのは楢泉庵主、横山彌右衛門である。
□山車文献資料
・寥郭堂文庫資料
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.◆01339 楢泉庵 横山家 6

2016年03月05日 | 日本の山車
.◆01339 楢泉庵 横山家 6

 上町の鎮守は片野町から遷座された山王宮であり祭礼は春季に齋行される。山王宮は、明治期に日枝神社と改称された。
したがって、祭礼は 日枝神社祭礼のはずであるが、市民のほとんどは【さんのうまつり】とよぶ。神幸祭には二基の御神輿が担がれ、裃に一文字笠の警固が供奉し、闘鶏樂が奏され、日本三大山車祭の最も右に出るといわれる豪華絢爛な屋臺が随行する。
 試楽が終わると、御神輿は赤い橋として親しまれる中橋の西南詰めにある御旅所に安置され、翌日の本樂の神幸祭をへて、神社に還御となる。
 この二基の御神輿をけんぞうしたのが、権守谷口五兵衛宗儔(そうきょう)であり、その建材を提供したのが楢泉庵主、横山彌右衛門であった。