暘州通信

日本の山車

00402 赤幡東有年八幡神社祭

2008年06月07日 | 日本の山車
00402 赤幡東有年八幡神社祭
赤穂市東有年
東有年八幡神社
□祭は十月上旬。
屋臺三臺を曳く。

□山車
・東有年
・楢原
・中山

□汎論
東有年八幡神社の祭は神官が主斎するものではなく頭人行事として行われる。頭人
(とうにん)は、「頭人、党人、当人」などと書かれ各地にある。 
神社鳥居には延享元年(一七四四)の年号が刻まれ、当時すでに祀られていたと考えられている。有年東八幡神社のご神体は、上郡町の竹万(ちくま)に祀られていたもので、八朔祭に安室川の洪水で流され、現在のお旅所付近の老松に流れ着いたといい、それを現在地に遷して祀るようになったと伝える。
のちに、これを知った上郡町竹万のほうからご神体を返してほしいとの要請があったが、有年地区に遷られたのは八幡様のご意志だといって返さなかったといういきさつがある。ところが江戸時代に伝染病が蔓延し、困った有年地区では神威に逆らったからだと言い出巣人も有って、童子を旧地の安室に送って神の怒りを鎮めたところ、ようやく収まったと言うことがあって、安室に童子を奉仕させる神事は後になっても続いたという。
当地では越前方面で見られる「おはけたて」が行われる。



00939 正八幡神社秋祭

2008年06月07日 | 日本の山車
00939 正八幡神社秋祭
姫路市船津町宮脇
正八幡神社
東殿
ジングウコウゴウ 神功皇后
中殿
ヒメオオカミ 比大神
・西殿
オウジンテンノウ 応神天皇

□祭は十月上旬。
屋臺六臺と子供屋臺二臺が練る。

□山車(屋臺)
・御立(みたち)
御立は旧御立村で、屋臺も御立と大澤で二臺ある。幕に縫常系の見事な刺繍が施される。・宮脇
正面の屋臺紋は、改修時に梅鉢から正八幡神社の紋である二引両となった。左右の脇紋は社紋の右三ツ巴。
屋臺は飾磨の御幸が創建したものといい、香寺町の中寺を経て譲り受けた。
・大澤
 大澤は旧御立村大澤で
御立とは古くから交流がある。屋臺上部の露盤は宇佐崎の先の屋臺を飾っていたもので、西遊記は大澤が補作した。改修時に屋臺紋は二引両から龍紋に変更された。
・上野
上野の屋臺の屋根は黒の反屋根型蒲団で、他の屋臺とは構造が異なる。もと加西市方面から譲り受けたという。
・中野
屋臺紋は前後が菊水。
高欄掛に、「川中島の合戦」を刺繍する。
・八幡
平成元年に新調された。
狭間彫刻は二代目松本義廣。
露盤には唐獅子が彫刻される。

□汎論
 正八幡神社は、姫路市北の船津町宮脇に鎮座する。祭神は、神功皇后、比大神、応神天皇を祀り、大分県の宇佐神宮とおなじである。比大神が不明であるが、おそらく宗像系のイチキシマヒメノミコト(市杵嶋媛命)であろう。
創建は、天平十七年(七四五)、あるいは貞観十八年(八七五)で隔たりがあるが古社で、天正年間に御立村、香寺村など十二ヶ村の総氏神となっている。
「龍王ノ舞」があり、
宮脇より龍王ノ舞が奉納される。
「ジョマイ」「ジョマイジョ」といい、序舞の意と解される。神事のはじめに舞われる
現在は、神輿渡御の先導をつとめ、御旅所での式典後、屋臺宮入後に奉納される。
猿田彦命が赤装束すがた、太い緑の襷で両袖と腰を絞り、天狗面に紙製の鳥兜をかぶり、黒塗の鉾を採って舞う。はじめはゆっくり、次第に調子を上げ、途中から素手となる。
「龍王ノ舞」は姫路市無形民俗文化財の指定を受けている。
北条町にも伝えられる。
正八幡神社の祭で曳かれる山車は、方形の寄せ棟造で、四隅が鋭く反る。狭間彫刻は、摂津から和泉方面に共通する好んで取り上げられる題材があり、
川中島の合戦
桶狭間の合戦
佐久間玄蕃秀吉本陣乗込
真田幸村の奮戦
天の岩屋戸
頼朝の木隠れ
大江山源頼光木渡り
三国志
佐久間玄蕃と中川清秀の戦い
川中島の合戦
桜井駅楠公父子の別」
安宅の関
巴御前
箙の梅・梶原景季生田の森の合戦
鎮西八郎為朝の強弓
などが見られる。
上野の小督局は当地では珍しい。