01140 小野神社の御柱祭
長野県塩尻市
小野神社は矢彦神社とともに信濃の二之宮社で、塩尻市の小野神社と辰野町の矢彦神社は並んで鎮座する。
由緒記によると、天正十九年(一五九一)に、松本藩と飯田藩の藩境をめぐる争いがおきたとき、これを豊臣秀吉が両者の主張をきいて裁定し、両社のあいだに境界線を引いて、北の小野地区は筑摩郡(現塩尻市)。南の伊那郡(現上伊那郡)に二分された。したがって、小野神社は筑摩郡、矢彦神社は伊那郡になったという。
この両社を総称して小野南北大明神という。
小野神社の創祀時の祭神は、滋賀県の小野篁、遣唐使で知られる小野妹子らを輩出した小野氏を祖神だったのではないか?
と推定している。
境内には「胸肩神社」がある。宗像神社のことであろう。安曇氏の祖神が境内に祀られているのも興味深い。
両社には諏訪大社に次ぐおおきな御柱が立つが、小野神社の柱は樹皮を樹皮をつけたまま、矢彦神社は樹皮を剥いでいる。
長野県塩尻市
小野神社は矢彦神社とともに信濃の二之宮社で、塩尻市の小野神社と辰野町の矢彦神社は並んで鎮座する。
由緒記によると、天正十九年(一五九一)に、松本藩と飯田藩の藩境をめぐる争いがおきたとき、これを豊臣秀吉が両者の主張をきいて裁定し、両社のあいだに境界線を引いて、北の小野地区は筑摩郡(現塩尻市)。南の伊那郡(現上伊那郡)に二分された。したがって、小野神社は筑摩郡、矢彦神社は伊那郡になったという。
この両社を総称して小野南北大明神という。
小野神社の創祀時の祭神は、滋賀県の小野篁、遣唐使で知られる小野妹子らを輩出した小野氏を祖神だったのではないか?
と推定している。
境内には「胸肩神社」がある。宗像神社のことであろう。安曇氏の祖神が境内に祀られているのも興味深い。
両社には諏訪大社に次ぐおおきな御柱が立つが、小野神社の柱は樹皮を樹皮をつけたまま、矢彦神社は樹皮を剥いでいる。