暘州通信

日本の山車

◆伊豫温泉和気 須賀山 正智院 圓明寺の雲と龍

2017年06月22日 | 日本山車論
◆伊豫温泉和気 須賀山 正智院 圓明寺の雲と龍

 【須賀山 正智院 圓明寺】は、伊豫國(愛媛県)松山市和気町にある寺院。四国八十八箇所内の第五十三番 霊場として知られる。開基は、縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇の発願により、和気浜西山海岸に、【海岸山 圓明密寺】として、僧行基が、阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を造顕し、七堂伽藍を備えた大寺として創建したとあり、元和年間(一六一五-二四)に、須賀重久が菩提寺として、現在地に移し、寛永一三年(一六三六)に、京都 御室 覚深法親王の令旨により【仁和寺】の直末として再建された。このとき寺号も改められて現在に至る。

 左甚五郎作のおよそ五メートルにも及ぶ【雲と龍】が本堂の鴨居のうえにあり、行い悪い人がこの見ると目が光るという言い伝えがあって、「左甚五郎という人物は、本当にいたのだろうか?」などと疑問の心で見上げると、龍の目がキラッと輝くという」

【左甚五郎傳】

◆紀州和歌浦東照宮 欄間の鯉

2017年06月21日 | 日本山車論
◆紀州和歌浦東照宮 欄間の鯉

 紀州(和歌山県)和歌山市和歌浦西の雑賀山(さいがやま)に鎮座する【和歌浦東照宮】は、祭神として、
トクガワイエヤス 徳川家康(東照大権現)
トクガワヨリノブ 徳川頼宣(南龍大神)
 を祀る神社で、創祀は、元和七年(一六二一)と伝わる。【徳川頼宣’とくがわよりのぶ)】は、徳川家康の十男で、常陸國水戸藩、駿河國駿府藩それぞれを経て、御三家といわれる紀伊國和歌山藩の初代藩主となった。  建造物として、本殿、石の間、拝殿、唐門、楼門などがあり、石の間の欄間には、左甚五郎の作と伝わる【鯉】の彫刻がある。

【左甚五郎傳】

◆早雲寺の惣門

2017年06月21日 | 日本山車論
◆早雲寺の惣門

【金湯山 早雲寺】は、臨済宗大徳寺派の寺院で、神奈川県足柄下郡箱根町湯本にある。
本尊は、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩で、大永元年(一五二一)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言により、その子である北条氏綱が、京都紫野の大徳寺、第八三世の以天宗清を招いて開かれたと伝わる。北条早雲ゆかりの寺である。
 北条早雲、北条氏綱、北条氏康らの肖像画を所蔵し、境内には連歌師の宗祇の碑がある。

早雲寺の惣門(総門)は。左甚五郎の作と伝わる。
【左甚五郎傳】

◆甲斐國 金櫻神社の昇龍と降龍

2017年06月21日 | 日本山車論
◆甲斐國 金櫻神社の昇龍と降龍

 金櫻神社(かなさくらじんじゃ)は、甲斐國(山梨県)甲府市御岳町に鎮座する神社。境内には社号の由来でもある、【黄金色の花を咲かせる 鬱金の桜(うこんのさくら)】が植栽されている。いまは、各地にみられる鬱金の桜は、もともと、当金櫻神社の金櫻が本歌だったといわれる。
 幕末までは蔵王権現とよばれ、金峰山をご神体とする古社で、雄略天皇期に現在地に鎮座したと伝わる。 仮説であるが、沖縄各地にみられる【御嶽(うたき)信仰】の北上と推察される。金峰山信仰(御嶽信仰)を集めてきた古社で、花崗岩で、高さおよそ二〇メートルの【五丈岩】は、そのご神体とされてきた。水晶が御神宝はとなっている。江戸時代末期までは、「蔵王権現」とよばれ、金櫻神社の名称がみられるのは、慶応年間(明治期)になってからである。社頭は門前町が形成され、御師屋敷や宿坊があり、門前町を形成され「御嶽村」とよばれていた。
祭神は、
スクナヒコナノミコト 少名彦命
オオナムチノミコト 大己貴命
スサノオノミコト 須佐之男命
クシイナダヒメノミコト 櫛稲田媛命
ヤマトタケルノミコト 日本武尊
 で、出雲系の神が祀られる。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は、おそらく後祀であろう。

 御像石のある頂付近から【甲斐派美】」とよばれる湧水があり、甲斐國の荒川や相川、また、武蔵國の多摩川、信濃國の千曲川の水源と信じられていた。中宮本殿は三間社流造、東宮本殿は方三間・単層の入母屋造の社殿で国の重要文化財に指定されていたが、昭和三〇年(一九五五)日の火災により焼失した。このとき、柱に左甚五郎作と伝える【昇龍と降龍】も罹災して失われた。
 現在の社殿は昭和三四年に再建されたもので、昇龍と降龍は、【堀友二】作になるものが復元されている。

【左甚五郎傳】

◆桐生天満宮の彫刻

2017年06月18日 | 日本山車論
◆桐生天満宮の彫刻

 群馬県桐生市天神町一丁目に鎮座する【桐生天満宮】は、関東五大天神として知られる。創祀は、第十二代 景行天皇期に、上州・上野國造だった磯部氏が、アメノホヒノミコト(天穂日命)を奉斎したのにはじまると伝え、のち、桐生氏が代々の守護神として崇敬してきたが、観応年間(一三五〇頃)に、京都の北野天満宮より菅原道眞の霊位の分祀を受けて合祀し、社号を「桐生天満宮」と改称し、以後、桐生領五十四ケ村の総鎮守とされてきた。
 天満宮社殿は、安永七年(一七七八)に着工し、寛政五年(一七九三)に竣工で、群馬県指定の重要文化財となっている。

すぐれた彫刻類は左甚五郎の作と言い伝えられている。



 群馬県桐生市天神町一丁目に鎮座する【桐生天満宮】は、関東五大天神として知られる。創祀は、第十二代 景行天皇期に、上州・上野國造だった磯部氏が、アメノホヒノミコト(天穂日命)を奉斎したのにはじまると伝え、のち、桐生氏が代々の守護神として崇敬してきたが、観応年間(一三五〇頃)に、京都の北野天満宮より菅原道眞の霊位の分祀を受けて合祀し、社号を「桐生天満宮」と改称し、以後、桐生領五十四ケ村の総鎮守とされてきた。
 天満宮社殿は、安永七年(一七七八)に着工し、寛政五年(一七九三)に竣工で、群馬県指定の重要文化財となっている。

すぐれた彫刻類は左甚五郎の作と言い伝えられている。


◆愛宕神社 総本社の狛犬

2017年06月18日 | 日本山車論
◆愛宕神社 総本社の狛犬

愛宕神社 総本社は、京都市右京区嵯峨愛宕町に鎮座する神社、大宝年間(七〇一年―七〇四)
の創祀と伝えられ、古くは、「阿多古神社」とも書かれた。山城國、丹波國の境にある愛宕山 (標高九二四メートル)の 山頂に鎮座する。
祭神として、本殿には、
イザナミノミコト 伊弉冉尊
ハニヤマヒメノカミ 埴山姫神
アメノクマドノカミ(アメノクマヒトノカミ) 天熊人命
ワカムスビノカミ 稚産霊神
トヨウケヒメノミコト 豊受姫命
若宮には、
イカヅチノカミ 雷神
カグツチノミコト 迦遇槌命
ハムノカミ(ハムシノカミ) 破无神
 が祀られる。主な神事として、「四月の鎮火祭」。七月下旬から八月上旬に齋行される、「千日通夜祭(千日詣)」。十一月亥の日の、「火臼祭」などがあり、全国に約九百社を数える愛宕神社の総本社、鎮火の神としてよく知られる。

当社には、左甚五郎の作と伝わる【狛犬】が奉納されている。

◆村檜神社の眞桑瓜

2017年06月18日 | 日本山車論
◆村檜神社の眞桑瓜

 村檜神社は、下野國の三之宮といわれ、社伝によると、第三六代 孝徳天皇期の、大化二年(六四六)の創祀と伝わる古社で、栃木市岩舟町小野寺に鎮座する神社である。祭神は、ホムダワケノミコト(誉田別命)、クマノオオカミ(熊野大神)、オオヤマクイノカミ(大山咋命)であるが、創祀時の祭神は、クマノオオカミと、オオヤマクイノカミで、のちに、ホムダワケノミコトが祀られることになった。
延喜式神名帳 下野國に記載される。
本殿は、三間社春日造で、室町期の建造。重要文化財の指定を受けている。本殿柱には左甚五郎の作と伝えられる甜瓜(真桑瓜)の彫刻がある。

◆片品渓谷一夜造りの御堂

2017年06月18日 | 日本山車論
◆片品渓谷一夜造りの御堂

 上州(群馬県)の片品渓谷は、『上毛かるた』に、「滝は吹割 片品渓谷」とあり、景勝地として知られ、滝は、片品渓谷(吹割渓谷)にあり、日本の滝百選にも選ばれている。高さおよそ七メートル、幅三〇メートルの平滝である。
 この片品渓谷の浮島に、左甚五郎が日光東照宮に向かう途中に建てたと伝わる「一夜造りの御堂」がある。