暘州通信

日本の山車

●329 日本の山車 川内八幡宮祭

2006年01月31日 | 日本の山車
青森県川内町
川内八幡宮祭
青森県川内町川内 
川内八幡宮
祭は9月中旬。

山車は5臺
・布袋山 浜町
・松竹山 仲崎町
・弁天山 上町
宝暦以前に創建。
文政10年(1827)に京都から弁天像を購入した。
・蛭子山 中浦町
もとは中町の所有だったが、文久年間に浦町が加わった。
蛭子像は京都の人形師野村五兵衛の作。
・大黒山 新町




●328 日本の山車 八戸三社大祭

2006年01月31日 | 日本の山車
青森県八戸市
八戸三社大祭

山車28臺ほど曳かれる

青森県八戸市二十六日町
神明宮
祭は8月

山車6臺
廿六日町山車組、
新荒町附祭若者連、
上組町附祭、
根城新組町附祭、
売市附祭、
吉田産業グループ

青森県八戸市内丸
おがみ神社
山車12臺
・朔日町
・塩町
・青山会山車組
・柏崎新町
・内丸附祭親睦会
・城下山車組
・下組町山車組
・淀町山車組
・新井田附祭親睦会
・十一日町
・下大工町

青森県八戸市長者山
新羅神社
山車10臺
・吹上山車組
・糠塚山車組
・長横町
・六日町
・類家山車組
・十六日町
・鍛冶町
・八戸共作連
・八戸市職員互助会山車組
・華屋臺



●325 日本の山車 姥神大神宮祭

2006年01月31日 | 日本の山車
北海道檜山郡江差町
姥神大神宮祭
北海道檜山郡江差町姥神町
姥神大神宮
祭は8月上旬。上町のと下町にわかれる。
山車は上町8臺、下町5臺の13臺がある。
●上町
・清正山 本町
昭和54年8月建造。工匠は山本道雄。本座人形は加藤清正、人形師は西海谷厳。

・源氏山 上野町
昭和21年建造。工匠は町内の梅澤吉五郎。人形は弁慶。人形師は西海谷巌。

・聖武山 橋本町
人形は日本武尊、人形師は大阪心斎橋の大江良介。

・金剛山 新地町、円山、緑丘
平成4年から他町内の山車を借り祭二参加したが、平成10年8月に山車を創建。工匠は辻久建設・辻芳則。人形は伊達政宗

・楠公山 津花町
昭和53年8月建造。工匠は津花町の飯川寿史。
人形は楠正成。
幕末、元治年間はには神船(七福神)を曳いている
楠公山となったのは、明治7年頃。水引は大正中期ころ早川国彦の作。後醍醐天皇を迎える正成図と、母より七生報国を諭される楠正行図。

・松宝丸 海岸町・陣屋町
弘化2年(1845)3月に大阪で建造されたといわれる御座船。北海道の文化財に指定されている。注文人は近江屋利兵衛竹蔵。船棟梁は大阪の太秦屋徳八郎・鏡屋茂兵衛。塗師は左兵衛。

・義公山 柏町・南浜町
昭和51年建造。工匠は町内の辻喜久雄。人形は水戸黄門。人形師は西海谷厳。
昭和23年まで乃木山で、人形は軍人乃木希典だったものをあらためた。

・誉山 茂尻町
昭和6年7月、梅沢吉五郎師の建造。人形は忠臣蔵の大石内蔵助。伊東久重。茂尻山として曳いたが、昭和4年江差町法華寺町の竹林堂野沢悦雄師がつくった人形をのせてから誉山となった。

●下町
・神功山 愛宕町
昭和40年7月建造。工匠は町内の本間松蔵。人形は宝暦4年(1754)作の神功皇后。京都五条橋通り塩竈町松尾七郎兵衛。水引幕は宝暦11年(1761)に京都で作成された「寒山拾得図、麒麟、張良と黄石公図」で北海道文化財に指定されている。

・新栄山 新栄町
昭和30年建造。工匠は吉井春蔵、吉井清吉。人形は武田信玄。人形師は町内の西海谷北龍)。創建明治26年で「稲荷山」、人形は、京都より購入した「新田義貞」だった。
大正10年の改修時に「鶏山」。さらに大正13年に「新榮山」と改名された。

・豊栄山 豊川町
昭和63年7月建造。工匠は小割利雄。

・豊年山 姥神町
姥神神社のある当町の山車。
明治12年当町在住江州商人の西澤喜蔵、田口伊右衛門氏らが大阪で建造した山車を
船で江差に運んだ。人形は神武天皇。人形師は京都の12世伊東久重。水引幕は文化年間、京都の山田芳州による「唐獅子四季戯図・三枚組」。

・蛭子山 中歌町
明治44年建造。工匠は町内の山田丑蔵。人形は蛭子。京都の人形師常川又右衛門。
水引幕は天明元年(1781)の作で布袋、龍、虎。もと九艘川町の「神鏡山」にかけた水引幕だったが、中歌との合併により蛭子山の水引になった。

●323 日本の山車 福島大神宮祭

2006年01月31日 | 日本の山車
北海道福島町
福島大神宮祭
福島町福島
福島大神宮
祭は9月中旬

山車は船山と曳山がある。
船山車2臺
・宝丸 日向1
・金久丸 月崎1

曳山9臺
・鞍馬山 みどり町
・泰平山 本町、吉田町
・豊年山 三岳1
・鏡山 上町
・ねぶた山 館古
・隆生山 川原町
・新栄山 新栄町
・宝生山 月崎2
・龍宮山 丸山地区

●322 日本の山車 日高火防祭

2006年01月31日 | 日本の山車
岩手県水沢市
日高火防祭

旦高火防祭は旦高囃子の別名があり「日高囃子」はを岩手県無形民俗文化財に指定されている。祭礼は、町印、打囃子、大屋臺(屋臺囃子)と、二五、四二歳の厄年を迎えた「連」による練物で構成される。祭の主体は町印と打囃子で、六組あって、巡行には町印が打囃子を伴って先頭にたち、そのあとに大屋臺や俄がつづく。町印は六町が持つ町組の標識である。もとは町を六組にわけた火消組に藩主が、「鎮・定・防・火・心・仁」の六字を与えそれが屋臺組の名ともなったという。
町印は、柱の頭に「火の玉」とよぶ球形物を載せ、下に町名を書いた行灯などその下にはもう一段大きな球形を取り付ける。
横町は球形部分が笠状となっているが、こちらが旧態を残すとされ、球形物は笠鉾が次第に進化したものである。
打囃子の屋臺は、町印と対をなしており、単層で吹抜けの屋形で、四輪をもつ囃子屋臺である。正面奥に設けた棚に獅子頭を据え、中央に大太鼓、前面に小太鼓三人が並らんですわり囃子を演奏する。
屋臺囃子はもと昇り屋臺で大屋臺とよばれ、九臺ある。もとは昇屋臺で百余人で担いだ。いまは、自動車の車体を改造した曳山となっている。屋臺の床は雛段式に作られ前面に小太鼓、後方に三味線が並び、笛の伴奏で囃子を演奏しながら曳行するのは実に華麗である。


●321 日本の山車 岩川八幡の弥五郎どん祭

2006年01月31日 | 日本の山車
●46461 鹿児島県大隅町
岩川八幡の弥五郎どん祭
鹿児島県大隅町
岩川八幡宮

 当社の祭は川くだり神事であるが、「弥五郎どん祭」として人気がある。
 巨人信仰は各地に残っており、むかし、大男がモッコで運んだ土で富士山をつくり,土を運びだした跡は琵琶湖となり,とりこぼした土は三上山になった。各地の山,川,湖,盆地などダイダラボツチ,デエラボツチヤ,ダイダラボウシの落とし物や足跡だという地は多くある。
鹿児島県、宮崎県にも「弥五郎どん」伝説があり,秋には宮崎県山之口町の円野神社(昔は的野正八幡神社)、日南市飫肥の田ノ上八幡神社、鹿児島県大隅町の岩川八幡神社の三箇所で「弥五郎どん祭」が行われる。祭は「浜下り神事」で、いまは海まで行くことはなく、市街地のみ御神幸する。
11月3日、大隅町岩川神社の祭礼に巨大な弥五郎どんが曳きだされる。身の丈は4.85メートルもあるという。御神幸の先導役をつとめる。本体は割竹を編んでつくり、単衣と袴を着用する。弥五郎どんとはは,養老4年(720)に反乱を起こした隼人族の首領であつたといい、弥五郎どんは三人兄弟で、山之口が長男、岩川がニ男、日南市鉄肥が三男という説がある。いずれも八幡神社の例祭に浜下りの先導をする
 大隅町では,一年を通じて最もご馳走の出るのは,弥五郎どん祭の日で、方祭(豊祭とも書く)で,親類縁者の家にでかけ「ボゼイトコ」といって遠慮なく上がりこみ、ご馳走をよばれる。接待する側は,コンニャクと甘酒をふるまい,「マンカン飯」という赤飯を竹の皮に包んで土産に持たせる風習がある。
方祭(豊祭)は,放生会からの転訛したものだといい、この日は放生会は捕らえられた生き物を放つ行事で,農作業で殺した虫たちを,収穫の終わるのを待つて供養する。
 隼人族は朝廷軍に鎮圧され,弥五郎どんともども多くの民が戦死した。この時の死者の霊のたたりを恐れた朝廷は,宇佐八幡の神託を受け放生会をとり行ったが、弥五郎どん祭はその名残りなのだともいう。


●320 日本の山車 牛深ハイヤ節まつり

2006年01月31日 | 日本の山車
熊本県牛深市
牛深ハイヤ節まつり。
4月中旬
鹿児島おわら、佐渡おけさ、越中おわら、津軽あいや、など「七・七・七・五調」の歌詞で歌われ、江戸時代北前船で全国にひろがって、おおきな影響を与えた民謡・牛深ハイヤ節。
そのまつりは、天草の春を彩る恒例行事として、総踊、水産フェア、船団パレード、が行われ、踊り手約5000人が牛深ハイヤ節にのせて大通りを練り歩き、山車が曳かれる。
「ハイヤ」とは、南風の「ハエ」が転訛したといわれる。

●316 日本の山車 伊万里神社祭

2006年01月31日 | 日本の山車
佐賀県伊万里市
伊万里神社祭
伊万里市立花町
伊万里神社
祭は10月下旬

団車(だんじり)とよぶ山車が1臺ある。
香橘神社から白神輿・荒神輿が、戸渡嶋神社から赤神輿・団車が出る。
白神輿・赤神輿は町内各所に設けられたお旅所からお旅所へと神幸する
が、途中荒神輿と団車は勇壮な合戦を繰りひろげる。囃子の音からトンテントン祭とよばれる。