暘州通信

日本の山車

06663 西洗馬元町八幡神社祭

2007年05月30日 | 日本の山車
06663 西洗馬元町八幡神社祭
長野県塩尻市
八幡神社
□祭は五月上旬。
山車二臺を曳く。
□汎論
山車はいずれも二層式、車輪は四輪であるが、一臺は四輪が普通に揃う型、いま一臺は前輪が狭まり三輪状で、松本市深志神社の山車に似ている。



04428 大山祇社

2007年05月29日 | 日本の山車
04428 大山祇社
長野県原村
大山祇社
□祭
御柱祭を行い御柱がたてられる。
□汎論
よく整備された境内の、本殿四隅に御柱がたてられる。境内に上がる石段下に水神が祀られ。境内には出羽(山形県)三山の湯殿山、羽黒山、鳥海山が祀られているのが、珍しい。また三社の石柱がたち、仮殿にはやはり四隅に御柱がたてられている。

02976 千鹿頭神社の御柱祭

2007年05月28日 | 日本の山車
02976 千鹿頭神社の御柱祭
長野県松本市
千鹿頭神社
□祭
四本の御柱を立てる。
□汎論
千鹿頭神社は不思議な神社である。松本市の東部にある千鹿頭山の山頂には千鹿頭神社が二社あり、諏訪神社と同じように御柱祭が斉行される。
もともと山頂に一社だった千鹿頭神社が、二社あるのは、かって千鹿頭山が、諏訪の高島藩領と、松本藩領の境になっていたからだという。一応、もっともな説明だが疑問が残る。
その一は、なぜ二社立てる必要があったか? ということである。
長野県辰野町と塩尻市の境に信州二ノ宮である小野神社がある。かってその領有権をめぐって争いがあり、境内を分割してもう一社、矢彦神社をたてそれぞれの主張を解決した例がある。
だが、千鹿頭神社をなぜ二社にしたか? という疑問と前例は事情が異なるようである。推測になるが、神社の性格と、諏訪の高島藩と、松本藩の意思が表れているのではないか?
千鹿頭神は藩の領有権を守る神社としての性格が強く、単に民間の鎮守だったとは言いきれない事情が覗われる。
二つめ、チカツ、チカトの名のつく神社の分布は
福島県
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
神奈川県
山梨県
長野県
静岡県
とほぼ、東北南部、関東の西および南部、甲信にみられ、このほか、
滋賀県
兵庫県
福岡県
熊本県
宮崎県
鹿児島
など近畿、九州の一部にみられる。日本全域からみると著しく偏っている。さらに、東北、関東、甲信のチカツ神社の分布は道祖神・庚申の分布にほぼ重なる。
これは同地域において境界を守る神としての性格があったのではないか?
道祖神はムラの入口に祀り、庚申はムラの出口に祀るという地方がある。道祖神は塞の神とも言われるが、「サヘ(サエ)」の神でもある。
三つめに、チカツ神社の祭神はきわめて多様である。
興玉命
天児屋根命
彦火瓊瓊杵尊
味耜高彦根命
事勝国勝長狭命
埴山姫
大物主
面足命
大山祇命
少彦名命
筒胡別命
木花咲耶姫
手力男命
猿田彦命
二荒山神
猿田彦命
経津主神
大己貴命
速玉男命
千賀戸姫
天児屋根命
などで、このほかにもあるが、かなり多様である。これは何を意味しているのか?
おそらく、大和朝廷成立以前に完成した氏族の古代神があり、大山祇、木花咲耶姫などとおなじようにのちに神代巻に一致させるため、祭神を変更したということであろう。
したがって、塩竃神社や、琴平神社とおなじように、延喜式神名帳に記載がなくても、式外社として存在した古代信仰の名残をもつ神社であろうと推測する。
古来、領主や藩主に、義親、長近など「チカ」の名をつけた例が多く見られるのも、領地の支配者、領有権の標榜とも考えられそうである。







01899 網代夏祭

2007年05月26日 | 日本の山車
01899 網代夏祭
静岡県熱海市
阿治古神社
□祭は七月下旬。
山車(舟形屋臺)四臺を曳く。
□山車
・両宮丸 片町
・布袋丸 宮町
・観音丸 宮崎
・鹿島丸 町場
□汎論
重さ一〇トンともいわれる大型の舟屋臺を豪快に曳き、山車同士の太鼓合戦、
熱海市の無形民俗文化財に指定されている鹿島踊りも披露される。


00081 八王子祭

2007年05月25日 | 日本の山車
00081 八王子祭
東京都八王子市元横山町
八幡、八雲神社
多賀神社
□祭は八月上旬。
山車十数臺を曳く。
□山車
・本町
江戸末期から明治前期に、浦島太郎の乗る人形山車があったが、明治三〇年の大火で山車とともに焼失。現在の山車はその後の建造である。
山車は三層。昭和六年に建造。
工匠は小澤美之吉、平次親子。
彫刻は池田信之。
昭和五七年に八王子の宮大工、八田直吉により大改修。
唐破風の鬼板、懸魚は神功皇后、武内宿禰
天井絵は雲竜、水竜。
楽屋左右の火頭窓の目に、神武天皇、素盞鳴命、櫛稲田媛。
上部の支輪は牡丹。
二層の胴羽目四面に龍、四隅に鳳凰がつく。
・大横町
山車は二層。
明治四四年の建造。工匠は小町小三郎。
彫刻は二代目小松光重。
唐破風の懸魚彫刻は鰐に乗る仙人。
太平記にちなんだ彫刻が多く施される。
上層の鉾臺、の胴羽目は、天の岩戸、天鈿女命を収める。
・中町
山車は二層。大正八年の建造。工匠は小澤美之吉。
彫刻は佐藤光重。
昭和六年に諌皷鳥をつくり、いまもこれが乗る。
唐破風の鬼板、懸魚彫刻は中国賢人、脇障子、鏡板には聊斎志異の女性が収められるが特定できない。
楽屋左右の腰板には、七福神。欄間には牡丹をつける。
・横山町三丁目
山車は三層。平成六年の建造。工匠はは近田均、相田正治。
彫刻は村上市の細野実、幹雄他。塗師は平山鉱平。錺金具は石田金造、細野五郎。
鬼板彫刻、懸魚は素盞鳴命と八岐大蛇。
下層の正面は狐窓で獅子の子落とし、前脇障子は天孫降臨図と、猿田彦命。
火頭窓は神武天皇。
後部脇障子は岐阜件の名勝、養老の滝。
中層は、日本武尊、神功皇后の出陣。上層の胴羽目には鳳凰がはいる。
人形は織田信長。
三代目法橋原舟月、明治初年の作。
先の山車は大正十一年の建造。工匠は萩原左文治。彫刻は金子光清による、唐破風、向拝付二層山車だったというが惜しくも戦災で焼失した。
・上八日町(八日町三・四丁目)
平成一三年の建造。工匠は村上市の細野実と近田均。
彫刻は細野幹雄。塗師は平山鋼平。木地師は相田正治。錺具師は細野五郎。
本座人形は素盞鳴命。三代目原舟月、明治一六年の作。
頭と衣裳を残し空襲で焼失。昭和六〇年、岩槻市の藤田東久により胴体と手足が復元された。
鬼板、懸魚、妻飾は、素盞鳴命、櫛稲田媛と八岐大蛇退治の彫刻。
両脇障子蹴込みに唐獅子牡丹が収まる。
後部二層左右火頭窓には天女の彫刻。
後面脇障子鏡板は龍門の滝と鯉。
先の山車は明治一六年作だが戦災で焼失。
創建は車輪の車軸に墨書きによると、文政一〇年(一八二七)六月で、明治一〇年代に青梅市小曽木に譲渡、さらに埼玉県越生町新宿に移っている。
・元横山町
山車は入母屋八つ棟造りの堂宮形式。大正一〇年の創建。
工匠は小澤美之吉。彫師は佐藤光重。車
彫刻は正面鬼板に素盞鳴命と櫛稲田媛と、懸魚に八岐大蛇を彫る。
天井に龍の絵があり、佐藤光重の刻印がある。
楽屋左右の火頭窓には、鞍馬山の牛若丸、安宅の関、脇障子には中国故事。
・南町
一本柱式の人形山車。明治三九年の建造。工匠は小町小三郎。
彫刻は二代目小松光重。
正面鬼板は応龍。懸魚には三匹の龍。木鼻に飛龍。楽屋左右羽目に牡丹と獅子。
本座人形を応神天皇とする山車が安政四年(一八五七)に建造されたが、明治三〇年四月の八王子大火により焼失。そのあと作られた人形も昭和二〇年に戦災で焼失。
伝承では、文化年間以前すでに山車があったといわれる。
・三崎町
山車は入母屋四つ棟造。明治四〇年の建造。工匠は杉浦喜助。
昭和八年に杉浦喜三により改修が行われている。
彫刻は、鬼板と懸魚に雲龍。左右の脇障子に獅子。楽屋左右の腰板は波。火頭窓羽目に龍。欄間に飛獅子がそれぞれ彫られている。
・八日町一、二丁目
天保年間には単層前部に唐破風屋根のある人形屋臺があった伝わる。そのあと、明治一〇年頃に雄略天皇の乗る人形山車が建造されたが、昭和初年に二層鉾式の山車を建造。旧臺は神奈川県津久井郡津久井町中野に譲渡された。しかしこれが戦災で罹災した。
現在の山車は二層の鉾臺で、昭和五四年製作された個人所有の山車を借りて曳いている。・南新町
昭和八年建造の二層鉾式山車があったが、戦災で焼失。現在は山車を借りて曳く。
・新町
江戸後期に建造された猿田彦命の乗る人形屋臺を曳いていたが、明治三〇年に焼失。
明治四〇年代に二層鉾山車が復興。工匠は小町小三郎。
彫刻は小松光重。
・横山町一丁目
江戸期に建造された藤太秀郷の乗る人形屋臺を曳いいていたが、二層鉾式山車を建造した。工匠は荻原左文治。彫刻は佐藤光重。旧臺は恩方に譲渡された。
・横山町二丁目
江戸期に建造された諌鼓鳥の乗る屋臺を曳いいていたが、明治四〇年代に二層鉾式山車を建造した。工匠は小町小三郎。
・八日町一、二丁目
天保年間に鎮西八郎為朝の乗る人形屋臺建造しているが、これは再建であった。明治初期まで曳いいたが、明治一〇年代に雄略天皇の乗る人形屋臺を建造。さらに大正初期に二層鉾式山車を建造。工匠は小沢美之吉。彫刻は佐藤光重。旧臺は大正一三年頃、神奈川県津久井町中野に譲渡された。
・南新町
明治末期に二層の山車を創建。昭和六年頃に立川市の柴崎町に譲渡。八年頃に二層鉾式山車を建造した。工匠は小沢美之吉、平次親子。彫刻は池田信之。
・寺町
天保四年(一八三三)に鐘馗の乗る人形屋臺を建造。明治初年に、人形を加藤清正に変えたが、明治中期に追分に譲渡売却。
せりあげ式の江戸型山車の譲渡を受け、鐘馗の人形を乗せた。大正初年頃に入母屋型の屋臺に改造している。

02567 小見川須賀神社祭

2007年05月23日 | 日本の山車
02567 小見川須賀神社祭
千葉県香取市(旧香取郡小見川町)小見川
須賀神社
□祭は七月下旬。
屋臺六臺を曳く。
□山車(屋臺)
・仲町
昭和七年の建造。工匠は町内の菅谷富五郎。
創建は不明、現在の山車は三代目にあたる。

・北下宿
江戸期の建造。詳細不明。
・南下宿
明治二五年の建造。工匠は岡野某。彫刻は小松重太郎。
・小路
明治二八年の建造。
・川端町
明治一九年の建造。
・本町



00641 八雲神社祭

2007年05月23日 | Weblog
00641 八雲神社祭
埼玉県東松山市松葉町
八雲神社
□祭が七月下旬。
山車が曳かれ、山車の上でお囃子が演奏される。
□汎論
松葉町祭囃子保存会が中心になってお囃子が演奏される。東松山市古凍地区の古凍祭ばやし保存会より伝えられたといい、神田囃子の流れを汲むという。





02236 諏訪神社秋季例大祭

2007年05月22日 | 日本の山車
02236 諏訪神社秋季例大祭
群馬県下仁田町
諏訪神社
祭神
大国主命
事代主命
建御名方命
□祭は十月上旬。
山車六臺を曳く。
□山車
・仲町
本座人形は、楠正成。
江戸時代の作。作者は御成道田原町の山本鉄五郎。
・下町
本座人形は、素戔嗚尊  
昭和五〇年の作。作者は本庄市の米福。
・東町
本座人形は、日本武尊。  
制作 昭和二〇年の作。作者は本庄市の米福。  
・旭町
本座人形は、静御前。  
昭和三〇年の作。作者は本庄市の米福。
・上町
本座人形は、鏡獅子。  
昭和三十七年の作。作者は本庄市の米福。
・川井
本座人形は鐘馗。 
平成三年の作。作者は岩槻市の人形歴史館福田東久。
・吉崎
本座人形は、菅原道真。
平成十六年の作。作者は本庄市の纏屋。
□汎論
祭は天保年間にはじまるという。創建時は八幡神社だったという。その後、諏訪神である建御名方命が勧請され諏訪神社となたとある。江戸期に、龍栖寺が創建され、住職が別当として維持管理に当たってきた。
山車の上でさんてこ囃子が演奏され、艶やかな女性の踊りが披露される。
□問い合わせ
下仁田町役場商工観光課
電話0274(82)2111


00406 広木祇園祭

2007年05月20日 | 日本の山車
00406 広木祇園祭
埼玉県児玉郡美里町広木
八坂神社
□祭は7月下旬。
屋臺一臺を曳く。
□汎論
当初建造された屋臺は世良田に見られる型で瓜小屋屋臺とよばれていたというが、現存しない。駒衣屋臺に似た型だったようである。
現在曳かれる屋臺は、屋根は唐破風。柱は六本、前部の四本は角柱で後部柱は紅白の幕を巻く。軒には軒支輪を廻し水引幕を吊る。
中柱には障子を立て前後を仕切る。前部は舞臺、後部は楽屋になり囃子の演奏をする。
この屋臺の特徴として、二重勾欄があげられる。内、外いずれも素木造りとなっている。富山県高岡市、新潟県村上市には二層上臺の本座を二重勾欄にした型がみられるが、埼玉県では、旧児玉町鍛冶町屋臺と、この広木屋臺だけではないだろうか。秩父市本町の屋臺ももとは二重勾欄だったがその後の改修で旧態は残らない。
□問い合わせ
美里町観光協会
電話073-495-2188


00181 祖母井神社祇園祭

2007年05月19日 | 日本の山車
00181 祖母井神社祇園祭
栃木県芳賀郡芳賀町祖母井
祖母井神社
□祭神は須佐之男命
□祭は七月下旬。
山車二臺、屋臺二臺を曳く。
□汎論
祖母井神社は久安元年の創祀、現在の本殿は、横堀仙左衛門が明和七年に寄進したとある。例祭は、四十八張の提灯があがる献灯の儀にはじまり、お囃子祭、山車・屋臺の引き廻し、還御の儀で幕を閉じる。
□問い合わせ
祖母井神社社務所
電話028-677-0277
芳賀町商工観光課
電話028-677-6018


00883 白八幡宮大祭

2007年05月17日 | 日本の山車
00883 白八幡宮大祭
青森県西津軽郡鯵ヶ沢町
白八幡宮
□祭は、八月中旬(四年毎)
山車が一〇臺ほど曳かれる。
□汎論
藩政期には御用港として北前船が寄港した港町。白八幡宮大祭は、弘前と鰺ヶ沢が隔年で交互に開催してきた三〇〇年以上の歴史があるといい、京風の祭は津軽の京祭ともいわれる。いま、以前田中町のはまなす公園になっている、水屋浜に祀られていた白鳥大明神が合祀されている。
□問い合わせ
鯵ヶ沢町観光商工課
電話0173-72-2111