暘州通信

日本の山車

21030 高志狂言

2008年06月02日 | 日本の山車
21030 高志狂言
佐賀県神埼市(旧千代田町)高志地区
高志神社
□汎論
高志狂言は、高志神社に江戸時代中期ころより伝わり、神事と一体となっている。
昭和四十六年に佐賀県重要無形民俗文化財に指定、翌年の昭和四十七年には国の無形文化財に指定された。鷺流の流れをくむという狂言。
山車はない。

□問い合わせ
神埼市教育委員会社会教育課内
高志狂言保存会事務局
電話0952-44-2731

35226 田能村竹田

2008年06月02日 | 日本の山車
35226 田能村竹田
安永六年(一七七七)ー 天保六年(一八三五)
豊後岡藩の田能村、藩医の家に生まれ、藩校の由学館で学んで、同校の儒員となり、頭取をつとめている。江戸時代後期の南画、文人画家で、名は孝憲、字は君彜(くんい)、通称を竹蔵といい、別号に老画師、九畳、仙史などを名乗っている。
「豊後国志」の編纂に携わる一方で、地元の画家に画を学び、谷文晁に私淑した。
書、画には独特の気品があり、優れたものが多い。
致仕後、京都、大阪に遊び、この間に大坂の岡田米山人、半江親子。浦上玉堂、春琴親子、竹原の頼山陽、篠崎小竹、梁川星巌、紅蘭夫妻、神辺夕日黄葉村舎の菅茶山、青木木米らと交わった。大阪の源八橋の近くで米屋を営んでいた岡田米山人をしばしば訪ね、浦上玉堂とはことに親しく、一ヶ月近くともに暮らしている。竹田は、頼山陽らと伊丹郷町を訪ね、剣菱酒造の坂上桐陰、白雪酒造小西家、岡田家で酒肴のもてなしを受けているが、酒のあとで出された「台柿」を写生し讃をした。岡田家の台柿は著名で、いまも「柿衛文庫」として名が伝わる。
岡田家は、このあと、飛騨高山で数々の屋臺に名を残す谷口與鹿が長年滞在し、藤本鉄石、天誅組で知られる岡田藍田、新選組創設を提案し、山岡鉄舟らと入洛した清川八郎、吉田寅次郎(松陰)らがあいついで訪ねている。
田能村竹田の代表作には、
亦復一楽帖 寧楽美術館蔵 重要文化財
松巒古寺図 東京国立博物館蔵 重要文化財
船窓小戯帖 個人蔵 重要文化財
稲川舟遊図 個人蔵重要文化財
などのほか、
屠赤瑣瑣録 山中人饒舌、竹田荘師友畫録、陪駕日記、暫遊日記 、花竹幽?の記、葉のうらの記、黄築紀行、竹田荘詩話、百活矣、瓶花論、填詞圖譜。、
著作には、
山中人饒舌、竹田荘師友画録。
がある。


02232 久住夏越祭

2008年06月02日 | 日本の山車
02232 久住夏越祭
大分県竹田市(旧久住町)
久住神社
□祭神
ヒコイツセノミコト 彦五瀬尊
配祀
イザナギノミコト 伊弉諾尊
ワケイカヅチ 別雷神
スガワラシン 菅原神
車四臺を曳く。

□汎論
その起源は不詳。祭神のイツセミコトは神武天皇の兄で、大和の長髄彦との戦いで矢傷を□祭は八月上旬。
山うけ紀州の男水門で逝去している。
一説に肥後藩の時代の創祀とあるが、もっと古いのではなかろうか。
久住夏越祭には、明治期までは、杉の丸太を組んで作った担ぎ山車で、大正になって
馬車ができて山車に取り入れ、その型が現在に至っている。
見立て山車といい、その年々の主題を選んで山車を作り、「ヤーマヤレ、ゲーンキダセ」の掛け声で町内を練る。





04670 長洲神社葵祭

2008年06月02日 | 日本の山車
04670 長洲神社葵祭
大分県宇佐市長洲
長洲神社(加茂社)

□祭は五月上旬。
山車が二臺あり、いまはそのうち一臺を曳く。

□山車
上町車組

□汎論
 長洲神社は別名を加茂社ともいい、加茂氏を祖神とし、京都下賀茂とおなじように「葵祭」が行われる。記録「元永萬日記」によると、豊前地方にひろがる疫病を調伏するため、京都の祇園祭に倣い、宝暦十一年(一七六一)にはじまったとある。
 したがって祭は賀茂社の葵祭で、祭日も五月で本来祇園祭ではない。
一名を喧嘩祭りも言い、当初は山車と山車がぶつかり合う勇壮な祭だったといわれる。
長洲神社葵祭に曳かれる山車は最盛期には七地区から出ていたというが、今は五臺あり。そのうち一臺が曳かれる。中津祇園祭の影響を強くうけている。
明治二十八年(一八九五)に中津市古博多町が新しく祇園車を建造し、それまで曳いていた旧臺を長洲に譲ったといわれる。「中津祇園研究会の中津祇園誌、中津祇園年表」。
現在曳かれているものが該当するかどうか不明である。
祇園車の屋根は唐破風。前部と後部に別け前を藝座にして、手踊などをおこなう。前部の柱は素木の角柱で、左右に青竹をとりつけ、竹には七夕様の各色の華やかな幣束がたくさん垂れ下がる。後部は囃子座で幕で覆われる。擬宝珠ともすべて素木の勾欄がつく。

□問い合わせ
宇佐市商工観光課
電話 0978-32-1111