暘州通信

日本の山車

◆38222 井波彫刻

2012年03月14日 | 日本の山車
◆38222 井波彫刻
 井波彫刻は、明徳元年(一三九〇)、本願寺五代綽如上人(しゃくにょしょうにん)のとき、井波別院瑞泉寺が建立されたが、何度かの火災による罹災から立ち直るその再建時に、京都の本山本願寺より、御用彫刻師の前川三四郎が派遣された。このとき地元からも、番匠屋九代七左衛門を始めとする四名が参加しともに再建に当たったのが井波彫刻の始まりだと伝わる。
 各地の山車彫刻に井波彫刻が施されたものがある。珍しい例では古川町(現飛騨市)の屋臺に井波の大島五雲が彫刻をしたものがある。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
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http://hiyou.easy-magic.com/

◇三重県・上野市開化寺
2010/7/21(水) 午後 1:19
... 再建 現塔 ・大正四年(1915)  元塔の位置に同仕様・同型式を踏襲   願主 住職・ 打田順亮 と 檀家総代 ... 北岡、梅本、村岡の四名    設計 奥谷熊之輔 (京都市)  檀家の一人 ... 垂木等 あちらこちら      に 雲形彫刻 がある・  成田山・新勝寺三重塔 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/abalaka1011/61170635.html

◆02607 氷川神社祭

2012年03月14日 | 日本の山車
◆02607 氷川神社祭
□社名 氷川神社
□所在地 東京都東村山市秋津町
□祭神
□祭は一〇月上旬。
□山車
・秋津地区
単層、素木造、唐破風屋根、六本柱、四輪車で幾分小型の屋臺。
したがって、前面の藝座は、締め太鼓が左柱(向かって右)を間にして置かれ。大太鼓は右柱(向かって左)の外において演奏する。
 勾欄は四隅がはねる刎勾欄となっているのは関東の屋臺では珍しい(江戸方山車にはしばしば見られる)。両脇の勾欄には丸桁から藍色の下幕をさげる。唐破風屋根外縁と前面の勾欄上には【秋津囃子連】の御用提燈でびっしり埋め尽くされる。前面は隅の勾欄柱に沿って提燈竿が直立し、【氷川神社】と墨書きした白長提燈が下げられる。後陣は透かし模様のある脇障子から後部にかけて出格子とし、後部にも勾欄がつくが後正面に約三尺の開口部を設けている。前面の藝座では重松流の山車囃子のみごとな演奏があり、所作藝が行われるが、子供が演じるのが可愛らしい。
□汎論

◆01215 谷保天満宮祭礼

2012年03月14日 | 日本の山車
◆01215 谷保天満宮祭礼
□社名 谷保天満宮(やぼてんまんぐう)
□所在地 東京都国立市谷保
□祭神
スガワラミチザネコウ 菅原道眞公
スガワラミチタケコウ 菅原道武公
配祀
イシトヒコノカミ 石土毘古神
アメノヒワシノミコト 天之日鷲命
ウカノミタマノミコト 倉稲魂命
境内社
稲荷神社
蒼守稲荷神社
淡島神社
第六天社
厳島神社
稲荷神社
妙義神社
日吉神社
熊野神社
天照皇大神宮
□祭は九月中旬。
□山車
・谷保地区
□汎論
 谷保天満宮の創祀は、延喜三年(九〇三)と伝わり、スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)と、その子、スガワラミチタケコウ(菅原道武公)を祀る神社である。東京都江東区亀戸三丁目の亀戸天神社、東京都文京区湯島三丁目の湯島天満宮をあわせて関東三大天神と呼称される。
 延喜式神名帳武蔵國多麿(多摩)に記載される、武蔵國四四座の一社に穴澤天神社があるが、同社の論社になっている。同名の穴澤天神社が東京都稲城市矢野口に鎮座する。
 スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)は、承和十二年(八四五)の生まれ、延喜三年(九〇三)に死去している。遣唐使に選ばれたが廃止を建言し、これが認められて渡唐を免れた。延喜式の編集に関わったとされるが、藤原時平とのあいだに不和が生じ大宰府に任官され九州で死去した。【延喜式】は、延喜五年(九〇五)、醍醐天皇の命により藤原時平らによって編纂が始まったが、途中で時平が死去、そのあとは藤原忠平が担当完成は延長五年(九二七)に完成。その後改稿を重ね、施行されたのは康保四年(九六七)とされる。
各地に、スガワラミチザネコウ(菅原道眞公)を祭神とする神社があるが、延喜三年(九〇三)の死去以前に祀られることはないから、それ以前に創祀された神社に祀られることはありえない。
 イシトヒコノカミ(石土毘古神)は日本神話にイザナギノミコトとイザナミノミコトのあいだに生まれた【家宅六柱】とよばれる石土毘古神、石巣比売神、大戸日別神、天之吹男神、大屋毘古神、風木津別之忍男神の総称とされる。
□外部リンク
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◇天満神社(南飯塚)
2008/9/2(火) 午後 6:00
天満神社 旧社格 無格社 御祭神 菅原道眞公(スガワラミチザネコウ) 鎮座地 千葉県山武郡大網白里町南飯塚 町立増穂中学校の近くにひっそりと鎮座している。 境内並びに社殿もお世辞にも大きいとは言えない。 境内は畑の真中の為か木も少なく明るめ。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/takuya718_126fh6135/782990.html

◆37115 六玉川

2012年03月14日 | 日本の山車
◆37115 六玉川

 全国の六つの玉川を総称して、六玉川、玉川六川などといわれる。六川とは、

・井手の玉川 京都府綴喜郡井手町
・調布の玉川 東京都多摩川
・大阪府高槻市
・宮城県塩釜市
・滋賀県草津市
・和歌山県高野山

 を謂い、
・三橋検校の箏曲【六玉川】。
・弘化三年(一八四六)ころと伝わる、三世鳥羽屋里長作曲の【富本節】、【草枕露の玉歌和】。
・富本節を清元に移し、後半を編曲した四世清元延寿太夫の【六玉川】。
・文政十二年(一八二九)に、長唄、【六玉川琴柱の鴈(ろくたまがわことじのかりがね)】。
・明治初期、筝曲山田流の初世、中能島松声が富本節を箏曲に編曲した【六玉川】。
 などが伝わる。
 豊國の美人画に、【六玉川陸奥千島圖】がある。

◆37115 六玉川

2012年03月14日 | 日本の山車
◆37115 六玉川

 全国の六つの玉川を総称して、六玉川、玉川六川などといわれる。六川とは、

・井手の玉川 京都府綴喜郡井手町
・調布の玉川 東京都多摩川
・大阪府高槻市
・宮城県塩釜市
・滋賀県草津市
・和歌山県高野山

 を謂い、
・三橋検校の箏曲【六玉川】。
・弘化三年(一八四六)ころと伝わる、三世鳥羽屋里長作曲の【富本節】、【草枕露の玉歌和】。
・富本節を清元に移し、後半を編曲した四世清元延寿太夫の【六玉川】。
・文政十二年(一八二九)に、長唄、【六玉川琴柱の鴈(ろくたまがわことじのかりがね)】。
・明治初期、筝曲山田流の初世、中能島松声が富本節を箏曲に編曲した【六玉川】。
 などが伝わる。

◆00288 宇佐八幡宮春季例大祭

2012年03月14日 | 日本の山車
◆00288 宇佐八幡宮春季例大祭
□社名 宇佐八幡宮
□所在地 富山県南砺市(旧福光町)
□祭神
□祭は四月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、庵屋臺(いおりやたい)
・本町
・東町
三層の家屋で、軒には赤い鬼燈提燈がさがる。
・西町
 西町の庵屋臺の創建は、文久二年(一八六二)と伝わる。上臺は二棟の数奇屋造り家屋がならび、欄間には六枚の欄間彫刻が飾られる。井波の番匠屋十二代与八郎の作と推定される【玉川六川圖】で、全国にたまがわの名をもつ河川を題にし、

・井手の玉川 京都府綴喜郡井手町
・調布の玉川 東京都多摩川
・大阪府高槻市
・宮城県塩釜市
・滋賀県草津市
・和歌山県高野山

 を流れる玉川六川をみごとに図案化した彫刻が収められている。
・味噌屋町
・五宝町
(順不同)
□汎論
 宇佐八幡宮春季例大祭には【庵屋臺(いおりやたい)】がでる、埼玉県ほかにも【底抜け屋臺】とよばれるものがある。当地方では城端祭に端を発するものと考えられ、これが近隣の町村に波及したもので、床を張らず屋臺のうちに人が入って歩いて移動し、所望があるとその戸口に屋臺を停めて【庵歌】を唄い、祝福を受けた家は鳥目をはずむ。庵屋臺は、ひじょうに精巧に瀟洒に作られていて、なかには全体を飛騨春慶塗で仕上げたものがある。たとえば江戸吉原の妓楼などは約五、六分一くらいに縮尺されて、柳一本に到るまでひじょうに忠実に、精巧に、瀟洒に作られている。この庵屋臺から三味線に載せた庵唄や、端唄がながれるさまは、あたかも江戸吉原の妓楼にあそぶの風情がある。
 福野町などでもかつては行われていたが、庵屋臺は、現在は神社の倉庫に保存されている。
 現在は無指定のようであるが、もうそろそろ有形。無形の文化財指定を受け保存を講じてもよいころのように思われる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・福光の春祭り 庵屋台
 http://nanto.zening.info/fukumitu/Spring_Festival/Iori_Yatai_Nishi_machi.htm

◆03838 夷諏方神社祭

2012年03月14日 | 日本の山車
◆03838 夷諏方神社祭
□社名 夷諏方神社祭
□所在地 佐渡市(旧両津市)
□祭神
□祭は六月中旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、舟山車。
・明神丸 
文政九年(一八二六)には、【船組と称する夷五ノ丁が舟山車を創建】して曳き舟歌が歌われたたと伝わる。現在の舟山車は創建時のものか、改修、あるいは改築されたものかは判然としない。また、【棚】とよぶ山車を曳く八町があったとも伝わる。
□汎論
 夷諏方神社の古記録は元禄十二年(一六九九)の火災により失われ、現在に伝わるものがなく創祀は不明。【夷】は、オオクニヌシノミコト(大國主命)の子コトシロヌシノミコト(事代主命・通称ゑびすさん)を連想させるが、これは地名である。 
 佐渡には、延喜式神名帳に記載される次の九座の古社があり、出雲系神々の名がならぶ。引田部神社の【ヒキ】は、蟇目、蟇疋、比企、日置、斐太、日田などと表記される日氏から中臣氏につながり、妙高山麓には延喜式神名帳記載の斐太神社がある。

◇度津神社(わたつじんじゃ)
佐渡市飯岡(旧羽茂町) 
祭神 イソタケルノミコト 五十猛命
配祇 
オオヤツヒメノミコト 大屋都姫命
ツマツヒメノミコト 抓津姫命
◇大目神社(おおめじんじゃ)
佐渡市吉岡小河内(旧真野町)
祭神 オオミヤノメノミコト 大宮売命
◇引田部神社(ひきたべじんじゃ)
佐渡市金丸(旧真野町)
祭神 オオナムチノミコト 大己貴命
◇物部神社(もののべじんじゃ)
佐渡市小倉(旧畑野町) 
祭神 ウマシマジノミコト 宇麻志麻治命
◇御食神社(みけつじんじゃ)
佐渡市宮川(旧畑野町) 
祭神 オオミケヌシノカミ 大御食主神
◇大善神社 
佐渡市竹田(旧真野町) 
祭神 ミケツヌシノカミ 御食津主神
◇飯持神社(いいもちじんじゃ)
佐渡市飯持(旧畑野町) 
祭神 ウケモチノカミ 保食神
◇越敷神社(おしきじんじゃ)
佐渡市猿八(旧畑野町) 
祭神 ハニヤスヒメノミコト 埴安姫命
◇大幡神社(おおはたじんじゃ)
佐渡市大倉(旧相川町) 
祭神 オオマタヌシノミコト 大股主命
◇阿都久志比古神社(あつくしひこじんじゃ)
佐渡市長江(旧両津市) 
祭神 アタツクシニノミコト 阿田都久志尼命 
配祇 カナヤマヒコノミコト 金山彦命

 古代には対岸の、糸魚川、能生(のう)、直江津、出雲崎、彌彦、さらには、安曇、諏訪などとは当然密接な関係にあったと考えられる。
□外部リンク
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◇廿六日町山車組 「鹿島神宮祭神建御雷之男神(鹿島大明神)伝説」
2006/8/9(水) 午前 5:51
廿六日町山車組 「鹿島神宮祭神建御雷之男神(鹿島大明神)伝説」          (かしまじんぐうさいじんたけみかずちのおのかみ ... 廿六日町は神明宮という神社に所属する組。神明宮の祭神は天照大明神さま。なので題材は天照大明神さまが登場 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/st99gateway/39998030.html

◆02610 福生八雲神社祭

2012年03月14日 | 日本の山車
◆02610 福生八雲神社祭
□社名 八雲神社
□所在地 東京都福生市(ふっさし)
□祭神
□祭は七月下旬。
□山車
山車の形態(呼称)は、屋臺
・加美町
単層素木造、唐破風屋根の屋臺。前陣と後神は明らかに意識して分離され、屋根も前部と後部の高さを変えている。前部は藝座で、この部分は三方に勾欄がつく。現在見られる屋臺の旧態を留めている。
前部は三分割される。勾欄柱には金属製の擬宝珠がつく。ここで諸藝が行われるが、島根県安来市の民謡で知られる【泥鰌すくい】の衣装姿の藝人が、笊にお菓子を入れて現れ(山車の前に集まった子らにお菓子を撒き、子供らが歓声をあげてこれをひろう。いくつになってもこども心に刻まれるたのしい思い出になることだろう。
 後陣外部は前陣との境に彫刻のある脇障子で隔てられる。古色のある刺繍を施した猩々緋幕がめぐらされるが詳細不明。
・本町第七町会、
・本町第八町会
・鍋一
・牛浜町
・牛二町
・奈賀町
単層素木造、唐破風屋根の屋臺。前陣と後神は明らかに意識して分離され、屋根も前部と後部の高さを変え後塵を一段高くしている。後陣も勾欄がめぐらされるが、柱内に幕をかけて外部と仕切る。筆者の取材時には大屋根に白装束の女性がのっていたのが印象的だった。弘前のねぷた祭にも二間あまり(約三・五メートル)もあろうかという大太鼓に白の晒をきりりと巻いた女性が太鼓を打つ姿が見られるが、実にいいものである。
・永田町
・志茂町
・志茂二
・原町(原ヶ谷戸)
・原町(原ヶ谷戸)
(順不同)
□汎論
 山車(屋臺)の前面には、【福生市囃子連】の表示が掲げられ、山車の運行は囃子連に委ねれている掲示がある。山車は八月の七夕祭にも曳かれる。
□外部リンク
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◇『山車』 と 『ちんとろ舟』 * 【半田春祭り】宵祭
2009/4/13(月) 午前 5:39
... 北組『唐子車』と南組  『福神車』の2台の山車が曳き出されます。夜には山車が住吉神社に整列し、山車にも提灯  が取り付けられます。 ... 舟の前部に設置された舞台で  3、4歳から6,7歳 ... 宵宮には『ちんとろ舟』の屋根に1年の日数をあらわす ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/takayama_28/25909548.html