神が社殿に祀られるようになったのは?
太刀川類文庫 様
こんばんは、ご訪問ありがとうございます。せっかくのお尋ねですのに、申し訳ありませんが、適切なお返事を差し上げることが出来ません。……貴方の疑問に対しては明快なお答えができる方がいらっしゃるかもしれませんね。……しかし、もしかしたら納得のゆくお答えに出逢われるまで、はたして何年もかかるかもしれません…? それでは私のおこたえにはなりませんから、仮説として私見をおはなししましょう。コメント欄では字数の制限がありますのでこちらからおこたえします。
神社が社殿を建てて、神を安置し、神が鎮座する神社形式が完成したのは、実証できないものの、【日本に仏教が伝来した時期とほぼ同じ】であろうとする説があり、その時期は概ね五世紀前後ころではないか? という説はかなり有力なようですね。
私は、【神社の本殿に神を迎え、拝殿に氏子が参集して拝礼】するかたちが整ったのはもうすこし早いのではないかと考えています。
原始信仰につながる、日本の神の祭祀は、紀元前三千年から四千年くらい以前の、およそ縄文時代中期ころ、つまり日本で稲作が始まったころまでさかのぼるのではないか? と推定しています。そのころの祭祀とは、磐坐、岩倉、神籬(ひもろぎ)などであり、【みあれ】という古い言葉があり、長野県塩尻市には【阿禮神社】があります。
日本の神は天に近い山上祭祀にはじまり、やがて平地にも神迎えを行う磐坐が作られる世になったと考えられます。阿波國(徳島県)の古い神社には、平地にある境内に石組みが依存しているのはよく知られます。この古代祭祀が日本の神を祀る、第一期といえるでしょう。
やがて、集落の首長などの要人の死去には墳墓が建造され篤く敬われるようになりますが、この墳墓の上に神社を建造する形態が出てきます。この祖先を祀る祭祀形態は、大陸からの渡来人たちの祖先の供養と褶合して、【廟】、【祠】などが建造されたと考えられます。日本の祭祀と、渡来人の祭祀が同化した祭祀を第二期としましょう。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇『神社』とは(12)
2012/2/23(木) 午後 4:40
... 10世紀ころから述べていくことが理解するには必要であると思います。 [祭祀制度] 鎌倉・室町時代の神道・神社の制度といえば、平安中期から形成されていきました。『22社』奉幣制度が出発点になりましょう。 ...
◇神社考
2012/2/20(月) 午後 0:21
... 百科事典が案内する神社は、以下の通り。 神社 神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、神道の信仰に基づき作られた、恒設の祭祀施設。一方で神社 ... 拝殿の奥まったところに神殿が存在する。 ○現代のほとんどの神社がこういう形式を採っ ...
http://blogs.yahoo.co.jp/cde4818601w5035/3625662.html
◇年末年始の宮中祭祀 ③ 四方拝
2011/1/1(土) 午後 11:31
年末年始の宮中祭祀 昨日12月31日は 節折 (よおり) の儀 大祓 (おおはらい) の儀 のご祭祀が ... 午前四時ころ、まだ真暗闇であるが、民間の特別な勤労奉仕団の人々が焚く ... さらに武蔵國一宮の氷川神社、山城國一宮の賀茂上下両社 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/i1hito/34806124.html
◇女性器と祭祀
2008/6/3(火) 午後 9:33
南紀白浜の阪田山神社です。女性器のレリーフが古代祭祀の対象とされていたようです。 角度を測定すると、どうも冬至のころの朝日が女性器の奧に射し込むようです。 クリスマスが、単にキリスト教の行事ではなく ...
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/9644024.html
◇神域の石,手水鉢の盃状穴(古代祭祀の名残り)
2007/11/5(月) 午後 4:09
盃状穴(はいじょうけつ)は古代祭祀に用いたもので弥生時代に朝鮮半島 ... [[attached(11,left)]] ⑪鞍手町新北A神社。合祀された境内の祠参道にありました。 [[attached(12,right)]] ⑫鞍手町剣岳、Y神社上宮。幼少のころ大きな石組の階段若しくは台座 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/utahitotakakiyo/51935854.html
太刀川類文庫 様
こんばんは、ご訪問ありがとうございます。せっかくのお尋ねですのに、申し訳ありませんが、適切なお返事を差し上げることが出来ません。……貴方の疑問に対しては明快なお答えができる方がいらっしゃるかもしれませんね。……しかし、もしかしたら納得のゆくお答えに出逢われるまで、はたして何年もかかるかもしれません…? それでは私のおこたえにはなりませんから、仮説として私見をおはなししましょう。コメント欄では字数の制限がありますのでこちらからおこたえします。
神社が社殿を建てて、神を安置し、神が鎮座する神社形式が完成したのは、実証できないものの、【日本に仏教が伝来した時期とほぼ同じ】であろうとする説があり、その時期は概ね五世紀前後ころではないか? という説はかなり有力なようですね。
私は、【神社の本殿に神を迎え、拝殿に氏子が参集して拝礼】するかたちが整ったのはもうすこし早いのではないかと考えています。
原始信仰につながる、日本の神の祭祀は、紀元前三千年から四千年くらい以前の、およそ縄文時代中期ころ、つまり日本で稲作が始まったころまでさかのぼるのではないか? と推定しています。そのころの祭祀とは、磐坐、岩倉、神籬(ひもろぎ)などであり、【みあれ】という古い言葉があり、長野県塩尻市には【阿禮神社】があります。
日本の神は天に近い山上祭祀にはじまり、やがて平地にも神迎えを行う磐坐が作られる世になったと考えられます。阿波國(徳島県)の古い神社には、平地にある境内に石組みが依存しているのはよく知られます。この古代祭祀が日本の神を祀る、第一期といえるでしょう。
やがて、集落の首長などの要人の死去には墳墓が建造され篤く敬われるようになりますが、この墳墓の上に神社を建造する形態が出てきます。この祖先を祀る祭祀形態は、大陸からの渡来人たちの祖先の供養と褶合して、【廟】、【祠】などが建造されたと考えられます。日本の祭祀と、渡来人の祭祀が同化した祭祀を第二期としましょう。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇『神社』とは(12)
2012/2/23(木) 午後 4:40
... 10世紀ころから述べていくことが理解するには必要であると思います。 [祭祀制度] 鎌倉・室町時代の神道・神社の制度といえば、平安中期から形成されていきました。『22社』奉幣制度が出発点になりましょう。 ...
◇神社考
2012/2/20(月) 午後 0:21
... 百科事典が案内する神社は、以下の通り。 神社 神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、神道の信仰に基づき作られた、恒設の祭祀施設。一方で神社 ... 拝殿の奥まったところに神殿が存在する。 ○現代のほとんどの神社がこういう形式を採っ ...
http://blogs.yahoo.co.jp/cde4818601w5035/3625662.html
◇年末年始の宮中祭祀 ③ 四方拝
2011/1/1(土) 午後 11:31
年末年始の宮中祭祀 昨日12月31日は 節折 (よおり) の儀 大祓 (おおはらい) の儀 のご祭祀が ... 午前四時ころ、まだ真暗闇であるが、民間の特別な勤労奉仕団の人々が焚く ... さらに武蔵國一宮の氷川神社、山城國一宮の賀茂上下両社 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/i1hito/34806124.html
◇女性器と祭祀
2008/6/3(火) 午後 9:33
南紀白浜の阪田山神社です。女性器のレリーフが古代祭祀の対象とされていたようです。 角度を測定すると、どうも冬至のころの朝日が女性器の奧に射し込むようです。 クリスマスが、単にキリスト教の行事ではなく ...
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/9644024.html
◇神域の石,手水鉢の盃状穴(古代祭祀の名残り)
2007/11/5(月) 午後 4:09
盃状穴(はいじょうけつ)は古代祭祀に用いたもので弥生時代に朝鮮半島 ... [[attached(11,left)]] ⑪鞍手町新北A神社。合祀された境内の祠参道にありました。 [[attached(12,right)]] ⑫鞍手町剣岳、Y神社上宮。幼少のころ大きな石組の階段若しくは台座 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/utahitotakakiyo/51935854.html