備忘録として

タイトルのまま

晩秋

2014-12-07 20:03:37 | 話の種

シンガポールから1か月ぶりに帰国した。12月に入り郷里徳島で大雪が降るなど冬が急速に来ていたので今年は紅葉を見逃したかとあきらめていた。昨日、東京国立博物館の如来立像を観ようと行った上野公園で幸運にも紅葉を見ることができた。上のもみじと銀杏の鮮やかな写真は博物館の奥庭で撮った。帰宅し、”上野の紅葉”でネットサーフィンしていたら、寺田寅彦の「庭の追憶」という随筆があった。上野美術館に出展された郷里高知の藤田某の「秋庭」という絵画に、今は人に貸している自分の生家の庭が描かれているというのだ。寺田は美術館でその庭を30年ぶりに見て、絵の中のもみじや石灯籠や飛び石とは切っても切れない亡き父母や妻との「若き日の追憶」を呼び覚ます。

昔なじみの土地に行く度に寺田と同じように過去の記憶がよみがえってくる。風景の中にそこで生きていた人々や幼き日の自分を回想する。ブログを書く目的が記憶を書き残す、すなわち備忘なのだから、ブログが回想にあふれるのも当然である。一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも昔のままによみがえって来るのである。しかし自分が死ねば自分の過去も死ぬと同時に全世界の若葉も紅葉も、もう自分には帰って来ない。”と寺田は言うように、このブログも自分が生きている間だけのもので死んだらさっぱりと消え去る。

ところが、ブログに相当する随筆を書く寺田の目的は違っていて、”死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界じゅうの芸術は半分以上なくなるかもしれない。自分にしても恥さらしの随筆などは書かないかもしれない。”と書いているように、名を残すことが目的だったようである。”何だよ!”って思ったが、これこそが私のような凡人と偉人の違いなのだろう。

東京国立博物館で以下の写真を撮ってきた。写真撮影は禁止だと思い込んでいたが、休憩室に流れていた博物館の宣伝ビデオで出演者がスマホで写真を撮っているのを見てすぐに展示室にとって返した。2~3世紀のガンダーラ、カニシカ王の時代の如来(ブッダ)立像は鼻が高く涼やかな彫りの深い顔つきで、太い足腰を持っていることが着物の襞を通してもうかがえる。髪は後年の螺髪(らはつ)と異なりウェーブがかかり細紐で束ねている。ガンダーラ初期のブッダはギリシャ彫刻の影響で写実性が重視されているので、これがブッダだったんだろうと思わせてくれた。ただ、仏像の背丈は1m少しで思っていたよりも小さかった。等身大と思いこんでいた所為だ。その下の14世紀のタイの如来頭部では、顔つきが東南アジア風に変化し頭髪が螺髪になっている。9世紀の東大寺の大仏も螺髪である。ブッダが悟りを開いたとき頭頂部が盛り上がり髪が渦巻いたとされるが、このような仏像の変遷を見るとそれは後年作られた話のような気もする。一番下はパキスタン出土2~3世紀の法輪を担ぐヤクシャである。ヤクシャはブッダの守護神で、ガンダーラ以前のブッダは仏像ではなく法輪や仏足石で象徴された頃の像である。

ところで、博物館にはアジア各国からの彫刻や物品が並んでいるのだが、中には現地の寺院から削り取ってきたような摩崖仏もあった。戦前に取得したものだろうか。当事国の人々が見たら、返してほしいと思うに違いない。