備忘録として

タイトルのまま

ラーマーヤナ

2011-09-23 00:30:06 | 東南アジア

 写真はバンコク空港のDeparture Hallでにらみを利かす巨人象Phu Yakである。19日アユタヤの目と鼻の先まで行ったが、日本から一泊1日1機中泊の駆け足出張だったので観光はなし。7月の出張はシンガポールから日帰りだったのでこちらも観光なし。バンコクへは1991年の学会で初めて訪れエメラルド寺院で有名な王宮を観光したが、王宮の門番としてPhu Yakが立っていた。そのとき王宮の回廊の壁に延々と描かれたラーマーヤナをみて、仏教国でヒンズー教の叙事詩ラーマーヤナが取り込まれているのに驚いた。王宮には他にもヒンズー寺院のアンコールワットの大きな模型が置いてあったり、キンナリーという鳥人がいたり、Yakがいたりして、タイ仏教はインド文化の影響を色濃く受けている。インドネシアのバリ島は土着宗教とヒンズー教が結びついた独自の宗教を信仰する。東南アジアではベトナムが唯一中国文化の影響を受けている。

 ラーマーヤナは、ヒンズー教のビシュヌ神の生まれ変わりのラーマ王子がランカ島(セイロン島)を支配する魔王トッサカン(ラーヴァナ)にさらわれた夫人のシータ妃を救い出すため、猿の軍団の助けを借りてトッサカンとの大戦争を制し、シータ妃を助け出すという壮大な叙事詩である。タイに渡ったラーマーヤナは、タイ風にアレンジされて、”ラーマキエン”という叙事詩に書き換えられた。王宮の回廊で観た壁画は実はタイ風のラーマキエンだったのである。ラーマーヤナのクライマックスは、ラーマ王子と魔王トッサカンの一騎打ちだが、この場面をとって日本の桃太郎伝説はラーマーヤナ起源だという説があるらしい。写真のPhu Yakは、どうもこのトッサカンらしいのだがネットで確認したが確かな情報が得られず、WikiのPhu Yakはタイ語バージョンしかなく、その素性は定かではない。ラーマ王子が戦った最大の敵がラーマ王の治めるタイ王宮の門番をしているというのが不思議だが、桃太郎が鬼を退治した後、改心した鬼を家来にして家を守らせたと思えばいいのかもしれない。Phu Yakの周辺を整理してみた。

  1. Phu Yakとトッサカンは同一人物。
  2. トッサカン(ラーヴァナ)はラーマーヤナに登場するセイロン島のラークシャサ(羅刹)一族を治める魔王の一人
  3. 羅刹または羅刹天はラークシャサを仏教にとりいれた護法善神である
  4. Yakは夜叉と同じ。夜叉(Yaksa)は、インド神話に登場する鬼神で、仏教にとりいれられ護法善神になる。
  5. 夜叉は毘沙門天の眷属
  6. 羅刹天と夜叉はともに毘沙門天に仕える
  7. 毘沙門天またの名を多聞天(北)といい、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)と並ぶ仏教の天部である四天王(武神)、4人の守護神のひとり。帝釈天に仕え須弥山の四方を守る。
  8. 帝釈天は梵天と並び釈迦を助ける仏教の2大護法善神。
  9. 帝釈天はバラモン、ヒンズー教の神インドラ
  10. 東大寺など寺門を守る金剛力士像もYakの流れ

助け出されたシータ妃のその後に関し、インドのラーマーヤナは悲劇となるが、タイのラーマキエンはタイの王様が最後を書き換えたのでハッピーエンドである。

 ラーマキエンは、タイ国王のラーマ1世(1782-1809)が戯曲を完成させ、ラーマ2世が上演用の戯曲にし、ラーマ6世がラーマキエンと名付けたとされるように、タイ王室と縁が深い。現在のチャクリー王朝は、1世から現9世まで全員がラーマという名前である。現国王がラーマ9世、映画”王様と私”の王様は、ラーマ4世(1851-1868)がモデルとされる。映画”王様と私”1951、主演:デボラ・カーとユル・ブリンナーのミュージカルはアジア蔑視があるということでタイでは上映禁止だという。”アンナと王様”1999、主演:ジョディー・フォスターとチョウ・ユンファも観ているが、両方とも★★☆☆☆。”王様と私”でデボラ・カーとユル・ブリンナーが踊るミュージカルで使われた曲を題名にした周防正行監督の”Shall We ダンス?”は面白かった。ハリウッド版でリチャード・ギア主演の”Shall We Dance?”は、オリジナル版とほぼ同じ脚本で竹中直人と同じかつらの同僚ダンサーもいて面白かった。こちらは、セットで★★★★☆。

 今、遅い夏休みをとり、奈良・京都の旅の途中である。この記事も京都の宿からUpした。唐招提寺、薬師寺、延暦寺を回り、明日は天智天皇陵や銀閣寺の予定である。旅の記録は近々Up予定。


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