漱石の二男の孫(すなわち漱石のひ孫)が設立した「財団法人・夏目漱石」なるものが、他の親族である夏目房之介(漱石の孫、長男の長男)や半藤末利子(漱石の孫、長女の四女)らから反対されているという記事が今日(2009.7.25)の朝日新聞に載っていた。
反対の立場にある夏目房之介のブログ(夏目房之介の「で?」)から拾った設立趣旨と反対意見は以下のとおり。
財団の設立趣旨
”夏目漱石の偉業を称えるとともに文芸の興隆を図り、豊かな社会の実現に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため、次の事業を行う。
1. 夏目漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業
2. 夏目漱石賞の選考及び授与に関する事業
3. 文化、文明及び文芸に関するフォーラムの開催事業
4. 夏目漱石記念館の設立、維持、運営、管理に関する事業
5. 夏目漱石の愛用品をはじめ、夏目漱石ゆかりの品の管理に関する事業
6. その他この法人の目的を達成するために必要な事業”
簡潔に言うと(朝日新聞)”「漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業」や漱石賞、漱石検定を手がけるというもの”
房之介の反対理由
”漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産であり、その利用に遺族や特定の者が権利を主張し、介入すべきではない”
<参考>朝日新聞記事「漱石をめぐる権利」のキーワードは、
”著作権は死後30年の1946年に切れ、現在は誰でも自由に使える。無体財産権は商標権、特許権や著作権の総称で知的財産権とも言われる。47年に夏目家(誰?)が漱石の作品名などを商標登録しようとしたが認められなかった。肖像権には法律の明確な規定がない。”
とある。
漱石の一読者としては、漱石に関する諸々を事業化して何にでも金銭を要求されたのではたまらない。半藤一利や半藤末利子らが描く夏目漱石に関するエッセイも、テレビCMに登場するチャップリンスキップで海外旅行をする夏目先生も、肖像権の侵害になって、制限されるとしたら、財団の存在そのものが文芸振興の障害になる。それに、漱石検定なんかは、莫大な利益を私的流用していた漢字検定とかぶるし、夏目財団って何だかなぁと思う。
話は変わるが、房之介のブログコメントに対する認識に感心した。
以下、房之介のブログからの抜粋。
<ブログのコメントについて>
以前にも玉石混交ともいうべきコメントで溢れたことが何度かありました。僕は基本的にそれらを削除したりするような手段はできるかぎりとらないできました。それは「何をいっても自由」だからではなく、ブログのコメント欄というものが、いい意味でも悪い意味でも無責任なものであり、本来管理するのが困難な性格だからです。よほど状況的に書き込みが本人だとわかる場合を除き、これらの書き込みは匿名的で、それを根拠に責任のもてる発言のできるものではありません。それらに意味や価値を認めるか、批判するかは、どこの誰ともわからないブログ読者の人々の個々の責任においてなされるべきことで、そこに良識があるか悪意があるかも、また読む者の判断に任されます。
したがって、コメント欄に書き込まれたものに対して、それを参考にすることはありえても、僕自身が財団の問題にかかわる判断をそれによって直接行い、発言することはありえません。コメント欄の記入が財団関係者のものであれ何であれ、このことは常識の範囲内と思われます。ブログ読者のみなさんもまた、過剰な反応よりは冷静な判断をされるようお願いします。 夏目房之介 2009.7.18
ブログが炎上しても房之介は超然としていられるだろうが、凡人の私は冷静でいられるはずもないので、コメント欄を設けずリスクを回避している。これをChickenというなら、その通りですと答えるしかない。
反対の立場にある夏目房之介のブログ(夏目房之介の「で?」)から拾った設立趣旨と反対意見は以下のとおり。
財団の設立趣旨
”夏目漱石の偉業を称えるとともに文芸の興隆を図り、豊かな社会の実現に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため、次の事業を行う。
1. 夏目漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業
2. 夏目漱石賞の選考及び授与に関する事業
3. 文化、文明及び文芸に関するフォーラムの開催事業
4. 夏目漱石記念館の設立、維持、運営、管理に関する事業
5. 夏目漱石の愛用品をはじめ、夏目漱石ゆかりの品の管理に関する事業
6. その他この法人の目的を達成するために必要な事業”
簡潔に言うと(朝日新聞)”「漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業」や漱石賞、漱石検定を手がけるというもの”
房之介の反対理由
”漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産であり、その利用に遺族や特定の者が権利を主張し、介入すべきではない”
<参考>朝日新聞記事「漱石をめぐる権利」のキーワードは、
”著作権は死後30年の1946年に切れ、現在は誰でも自由に使える。無体財産権は商標権、特許権や著作権の総称で知的財産権とも言われる。47年に夏目家(誰?)が漱石の作品名などを商標登録しようとしたが認められなかった。肖像権には法律の明確な規定がない。”
とある。
漱石の一読者としては、漱石に関する諸々を事業化して何にでも金銭を要求されたのではたまらない。半藤一利や半藤末利子らが描く夏目漱石に関するエッセイも、テレビCMに登場するチャップリンスキップで海外旅行をする夏目先生も、肖像権の侵害になって、制限されるとしたら、財団の存在そのものが文芸振興の障害になる。それに、漱石検定なんかは、莫大な利益を私的流用していた漢字検定とかぶるし、夏目財団って何だかなぁと思う。
話は変わるが、房之介のブログコメントに対する認識に感心した。
以下、房之介のブログからの抜粋。
<ブログのコメントについて>
以前にも玉石混交ともいうべきコメントで溢れたことが何度かありました。僕は基本的にそれらを削除したりするような手段はできるかぎりとらないできました。それは「何をいっても自由」だからではなく、ブログのコメント欄というものが、いい意味でも悪い意味でも無責任なものであり、本来管理するのが困難な性格だからです。よほど状況的に書き込みが本人だとわかる場合を除き、これらの書き込みは匿名的で、それを根拠に責任のもてる発言のできるものではありません。それらに意味や価値を認めるか、批判するかは、どこの誰ともわからないブログ読者の人々の個々の責任においてなされるべきことで、そこに良識があるか悪意があるかも、また読む者の判断に任されます。
したがって、コメント欄に書き込まれたものに対して、それを参考にすることはありえても、僕自身が財団の問題にかかわる判断をそれによって直接行い、発言することはありえません。コメント欄の記入が財団関係者のものであれ何であれ、このことは常識の範囲内と思われます。ブログ読者のみなさんもまた、過剰な反応よりは冷静な判断をされるようお願いします。 夏目房之介 2009.7.18
ブログが炎上しても房之介は超然としていられるだろうが、凡人の私は冷静でいられるはずもないので、コメント欄を設けずリスクを回避している。これをChickenというなら、その通りですと答えるしかない。