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シンガポールの歴史

2012-03-03 14:50:13 | 東南アジア

19世紀初頭、ラッフルズはシンガポールの地政学的な重要性に着目し、ジョホール王国からこの地を獲得、自由貿易港を宣言し、イギリスの東南アジア地域の植民地経営の中心とした。現在のシンガポール南方沖合には無数の船が停泊し、ラッフルズの先見性に感心するばかりである。政府は、海運だけに頼らず、空、金融、IT、医療、学問のHubを目指している。

Hotel Sandsから南を眺望南方からHotel Sands方向Google Map衛星写真East Coastより

シンガポールの歴史は、当地のNational Museumに行くと日本語ガイダンス付きで概略を教えてくれるが、展示品はどちらかと言えば貧弱で内部は迷路のようになっていて、あまりいいできとは言えない。シンガポールの歴史を知りたいならWikiが最もてっとり早い。歴史に姿を現すシンガポールらしき地名は中国の3世紀の文献が最初らしいが、ほぼ確実なのは、7世紀シュリービジャヤ王国の領地として記録のあるTemasekである。Temasekはシンガポールのいたるところで目にし耳にし、通り名はもちろん、会社、病院、学校などにその名がみえる。特に有名なのが、政府系投資会社のTemasek Holdingsで、世界中で投資を行っている。最近では、オリンパスの株をスキャンダルが出た瞬間に売りさばいたことを早々と公表し、日本の一企業にまで投資の手を広げていたことに驚かされた。14世紀末にはシュリービジャヤの王子がこの地でライオンを見たとしてつけられたシンガプーラという名が定着する。実際には、マレー半島にはライオンはいないので、トラだったとされる。

16世紀の初めにポルトガルの侵略で町が壊滅し、その後300年、ラッフルズが価値を見出すまで歴史から姿を消す。ラッフルズが1819年に上陸したときの人口はわずか150人だったという。1826年からイギリスの植民地となり、マレー半島で産するゴムや錫の積み出し港として繁栄する。

1942~1945年は日本統治時代で、昭南島、昭南市と呼ばれる。シンガポールでは日本統治時代は、暗黒時代とされ、セントーサのSurrender館には日本占領時代のことを詳しく紹介している。終戦とともにイギリス植民地に戻るが、1957年マラヤ連邦の州として独立し、1965年にマレーシアから分離独立する。その後はリークワンユー率いるPAPという政党に率いられて華々しく発展し、1人当たりのGDPは日本を超えた。現在、シンガポールの人口は500万人近くまで増え、外国人、特に中華系移民を奨励している。

シンガポールで目に見える歴史は、Fullerton HotelやCity Hallのイギリス植民地時代のコロニアル風建造物(残念にもRaffles Hotelは再建)であり、それ以前の古い遺跡はないので面白くはないが復習の意味で書いておく。


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