一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

綺麗ごとだけで難民を受け入れたらどうなるか

2015-11-23 05:50:18 | 日記

何処かの国の首相が難民の受け入れを薦めていたが、難民を受け入れただけでは済まないことは何処の国のトップも解っている。人道上の問題を真っ先に云っている人間は、その先に何があるのか知っているのだろうか。受け入れた国自身が働き口をしっかりと維持していて、住むところもあり、宗教上の問題の起きない、という事を前提に難民を受け入れるのならいいのだ。しかし、例えば日本人の中にも難民を受け入れた方が良い、という人がいる。

これらの人たちは、日本が果たして難民をしっかりと受け入れる素地があると思っているのだろうか。上記に書いたようなことが自信を持って言えればいいのだが、今の日本には非常に難しい。ドイツは何故難民を沢山受け入れることを薦めているのか。それは彼らを労働力の一部として見ているからだ。働く場所を提供できれば、生活をすることが出来、教育も受けることが出来る。そして、社会でもそれを認めることが出来る。

一方、宗教上の問題は片付いているわけではない。元々キリスト教国であるドイツは多くの難民がイスラム教徒であることを前提にどの程度それを受け入れていくか考えているだろうか。キリスト教会とは別のイスラム教のモスクも建てなければならない。果たしてこの2つの宗教は上手く両立して行けるだろうか。教育においても今までのやり方とは違ったやり方をしなければならなくなるかもしれない。

風俗習慣も欧米とは違ったものを行ってきた人たちは、果たしてうまく溶け込むことが出来るだろうか。理屈では両立できると思っていても中身はそうはいかないはずだ。人権団体は形だけ繕っていればいいのだが、実際に生活をしていく人たちは現実と立ち向かわなければならない。ドイツと違って日本が本当に難民を受け入れるとしたら果たして日本人は自信があるだろうか。

西洋人でもない、東洋人でもない、別の人種である。社会生活、宗教、風俗習慣、全てが異なる人たちである難民とどのように係って行けるのか。人権団体の人たちは、口で言うだけで自分たちが実際に難民と生活を共にしているわけではない。理屈だけ云うのは簡単だ。難民受け入れというのは今日本では簡単ではない、という事だ。難民を今の日本で受け入れる余地があると思うのだろうか。

コメント
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