何処かの新聞社が「報道しない自由がある」と宣言していたことがある。『太地町の妨害を密着ルポ 集う黒い活動家 SNS駆使し、全世界にアピール デンマークでの活動参加組も集結』という記事を見て、ふと思った。この数か月間、太地街に関して日本のマスメディアでは一切報道していない。こんなことが来ていること自体、マスメディアが知らないはずがないのだ。
小生も考えてみた。欧米の反捕鯨団体に関する記事を書けば必然的に賛成か反対かをはっきりさせなければならない。マスメディアにとっては厳しい判断を迫られる。それならばいっその事、何も書かなければいい、という判断になってしまう。一般国民が知ろうが知るまいが知ったことではないのだ。マスメディアにとっては御身が大切である。下手な記事を書くなら書かない方が良い、という選択になったのだろう。
しかし、これでマスメディアの責任を果たしたといえるのだろうか。最初に書いた「報道しない自由がある」という事に遡ると日本のマスコミはマスコミという責任を果たしていないことになる。要は主義主張が全くない状態なのだ。自分たちに都合がよくない記事は書かない。まるで、中国や韓国と同じ。こんなマスメディアが国民にとって必要ないのではないか。安保関連法案の時には一斉に政府を批判した記事を毎日載せていたのに、反捕鯨団体が日本でとんでもないことをやっているのに何も書かない。
政府を批判する時には小枝化になるのにどう言う訳か反捕鯨団体のことになると黙り込んでしまう。マスメディアがこんな状態では彼らが報道している中身は信用することは出来ない。中国や韓国と同じようなことをやっているマスメディアは死んだも同然である。このような状況は少なくとも民主主義国家とは言えない。共産党一党独裁国家と同じだ。マスメディアが何も行動を起こさなければ民衆はどうするか解っているのか。
国民はマスメディアを無視することになるだろう。批判もしなければ同調もしない。その代わりに協力もしない。国民は馬鹿ではない。こんなことをしていると何時かは痛い目に合うことになる。国民がマスメディアに反旗を翻せばマスメディアは完全に死ぬだろう。
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