今から、ちょうど400年前の1611年に、東北地方は慶長の大津波に襲われる。記録が残る仙台平野でも、1700人以上の人が死んだそうである。さて、東北大学、平川教授の発表によれば、江戸時代以前、この地方には奥州街道と浜街道があった。そして、その街道が大津波の最大浸水地をわずかに避けるように、走っていたというのである。しかも、今回の大津波でも、押し寄せた津波のわずか外側にあったという。これは先人の素晴らしい知恵である。先人は絶対に言っていたと思われる。「津波が来るとしたら、奥州街道まで逃げろ。大事な建物を作るとしたら、街道の内側に造れ。」と。道は長く続く。標識のようなものよりもはるかに目印になる。宿場町も出来て、逃げ場もある。だから、もし、賢い先人ならば、仙台空港をあのような場所に作らなかった。福島原発も水の問題で、海岸沿いに造らなければならなかったとしても、さらに、熟考を重ねていたに違いない。立派な防潮堤などが出来て、津波と街道の言い伝えが風化して、私たちは、先人たちの叡智をすっかり忘れてしまっていたのである。
Y-FP Office Japan
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