極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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大いなるもののために自分を捧げる・西郷隆盛・汪兆銘

2024-03-25 21:16:33 | 日記

 昨今、特に新型コロナパンデミック、ウクライナ、ガザ問題等々以降の国のトップ達をはじめ、国を司どる多くの人達の属国根性丸出しの諸策、荒廃した心・志、私利私欲丸出しに見えてしまう諸策・・・以下文は、我は苦難の道を行く〈上・下〉―汪兆銘・上坂 冬子著等々を参考としています。

汪兆銘の画像

 汪兆銘(おう・ちょうめい)・・・今から100年以上前、激動の中、清朝の国費留学生として日本留学、孫文(中国、清末・民国初期の革命家・政治家、台湾では国父、中華人民共和国では革命の父と呼ばれています。長い革命活動の中で、多くの日本人と関わりを持ち、数度の亡命も含めて何度も日本を訪れています。)の革命思想に賛同し東南アジアで中国同盟会の勢力を拡充、反・蒋介石のリーダーで、辛亥革命後の中華民国成立にも参加、孫文死後の国民党を蒋介石とともに束ねていましたが蒋介石との意見相違から、党内で反蒋グループ・リーダーとなります。

 日中戦争勃発後は日本との徹底抗戦を唱える蒋介石に対して、日本との和平を主張、今でも中国国内では漢奸(裏切り者)として扱われていますが汪兆銘は間違いなく、私利私欲のために動いたのではなく、中国国民の幸せを心から願っていました。

 戦時中に、中国に南京国民政府を作った汪兆銘は中国の未来を常に考え日本から多くを学びました。中国人の英雄と言えるかも知れませんが、日本で汪兆銘を語られることは殆んどありません。日中戦、有色人種の歴史に残るアジアが輝いていた大東亜会議への出席、時代の波に翻弄されながら、志半ばにして1944年名古屋帝国大学病院で病没、62才でした。

 日本敗戦で腹心たちは処刑、汪兆銘の妻は十四年の幽閉ののち獄死、残された五人の子供たちは世界各地に離散・・・中国では漢奸(裏切り者)として今でも罵り続けられています。汪兆銘は孫文直系の弟子でもあります。汪兆銘のお墓は中国で破壊されましたが、一部の遺骨を集めて日本に持ち込み、東京都杉並区の蓮光寺(杉並区和田三丁目30番20号)に埋葬されています。

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 汪兆銘は戦争が始まる前に東京の法政大学に留学、留学中には、いつも休日には上野の西郷さんの銅像をよく見に訪れたそうで、御庭番(諜報員)から大成した西郷隆盛・・・西郷隆盛を心から尊敬、理想像としていました。

西郷隆盛 史実の人物像に迫る~誕生から西南戦争まで49年の生涯 ...

 西郷隆盛の風格、特に堂々とした生き方、西郷隆盛が言った有名な言葉に「命もいらぬ、地位も名誉もいらぬ、金もいらぬという人間は、まことに始末に困る。けれども、そのような人間でなければ、天下の大事をまかせることはできない」と言う有名な言葉があります。

 この言葉は、公のため自己犠牲に生きている人のことを言っていると思います。戦後日本はGHQ策(日本が二度とアメリカに歯向かうことが出来ないよう、日本人の精神性の基盤となっている教育勅語等々を排除させ、憲法、教育に関する法律を変え、罪悪感を持たせ続けさせることで占領・支配を、し易くするための策等)により、公よりも自分が全て、自分中心と徹底的に教育等された私達には西郷隆盛の心は理解するのが難しいかも知れません。

 自己犠牲とは、何の目的もなく自分を犠牲にすることではありません。大いなるもののために自分を捧げる心で、大いなるものに導かれ、引っぱられて自分の生き方が高められていくような生き方だと思います。

 自分の命、地位にも、お金にもこだわらない。もし、それらが与えられるなら、それもいいだろうけれども、そのために生きているわけではない。例え、それらがなくなったとしても自分を越えたもっと大きな価値のために生きる・・・中国の汪兆銘も、正にそのような生き方を目指し、志半ばで生涯を終えています。

 西郷隆盛と言うと学校の教科書には、武力による「征韓論」を主張した人物と書かれていることが多いように思います。西郷隆盛の征韓論というのは、「韓国を武力をもって征服せよ」という主張をしたと教科書に書かれたりしているものですから、これらが韓国にも伝わって、韓国の人達は西郷隆盛を徹底して嫌っているようです。

 2016年12月、盧武鉉大統領は日韓首脳会談等のため鹿児島を訪れましたが、征韓論を持ち出し西郷隆盛を批判しています。

 日本の教科書は正しく教えていないように思います。西郷さんの主張したのは、武力・征韓論ではないと思います。当時の欧米諸国はアジアの植民地化を推し進め、分捕り合戦を繰り広げていました。このままではアジアの黄色人種は白人達に支配されてしまう・・・当時の日本は早くから予想し日本の国力増強に努力していました。

 朝鮮半島は、旧態依然とした一部階級が国民を搾取体制の中に眠り続け、アジアの危機を全く理解せず、朝鮮の支配者は国のためなんか全く眼中になく、貧困農民等から徹底した搾取をして、私腹を肥やすことしか考えていませんでした。

 日本は、朝鮮を何とか目覚めさせようとしますが失敗します。そうした中、征韓論というものが出てきたようです。朝鮮半島がもしロシア、中国の支配下に置かれれば、次は日本が危ない。だからそうなる前に、日本が朝鮮半島を支配すべきだという主張です。

 このとき西郷隆盛は、武力をもって朝鮮半島を征服することに反対しました。西郷隆盛は、最初、おいどんが朝鮮に渡って、向こうの支配者と会おう。そして彼らを説得すると言っています。

 西郷隆盛は、道義的な外交を大変重んじていました。いきなり武力制圧はしてはいけない。単身、朝鮮に渡り、武器を一切持たず、礼装した姿で朝鮮の王に会い、自分の死を賭して直談判する、西郷隆盛には説得する自信がありました。もし自分が殺されてしまうことがあれば、そのときはやむを得ない、朝鮮を武力で制圧しても道義は通ると考えていたようです。

 しかし、その前にすべきことがある。先ずは、自分が命をかけて彼らの説得を試みる、命もいらぬ、地位も名誉もいらぬ、金もいらぬ、しかし、たとえそれらのすべてを失っても、守るべきものがこの世の中にはあるのだという信念です。この信念というものは、どうしたら金持ちになれるか、どうしたら豊かな生活ができるか等々しか考えたことのない人には理解しずらいと思います。

 西郷隆盛は自分の生命以上に守るべき価値のあるものがこの世の中には何かがあると悟っていたと思います。西郷隆盛の考えは、その後、欧米視察旅行から帰国した大久保利通等により時期尚早とされ封じられてしまい、西郷隆盛が朝鮮に渡ることは実現出来ませんでした。

 

 あるとき西郷隆盛に、西洋の文明はすばらしいと欧米視察者等が言うと、こう言いました。
 文明とは、道義があまねく通っていることをたたえる言葉である、西洋のものは文明ではない、野蛮だ!

 本当に西洋が文明ならば、未開の国に対しては、慈愛を根本として、懇々と諭して開化に導くべきものだ。

 ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、残忍なことをして、己の利益を図っている!

西郷隆盛のこの言葉は、今も生きています。

 本当の文明とは何か?

それはどれほど物質が豊かかということにあるのではない。

 宮殿の豪華さ、服装の美しさにあるのでもない、あの西洋の宮殿の豪華さ!

この裏にはアジア、アフリカ等々の植民地の有色人種等からの搾取に次ぐ搾取により建てられたものである。

 文明とは、道義があまねく通っていることをたたえる言葉だ。未開の国に対しては慈愛を根本とし、懇々と諭して開化に導くような国のあり方を言う。

 その本当の文明を実現するために、西郷隆盛は自分を犠牲にすることを躊躇しませんでした。
 自分の命や、地位、名誉、財産以上に価値のあるもののために殉ずる精神、これが自己犠牲の精神だと思います。汪兆銘の生き様も、苦しんでいる国民のために自分を捧げよう。正にこのような生き方でした。

 私達は歴史上の人物を正しく、理解することは極めて大切だと思います。日本で汪兆銘を語る方は極めて少ないように思います。

 激動期を生き抜いた汪兆銘(1944年、名古屋帝国大学病院で病没)、西郷隆盛(1877年、鹿児島城山で自刀)、2人とも国を想う言葉を胸に秘めて、志半ばに散ってしまいました。

 今日、世界、日本は理不尽なウクライナ戦争下にあります。2人が今日の利権、私欲にまみれ、敗戦により傀儡・完全属国となった日本を見たら何と思うでしょうか・・・何時の日にか停戦が実現し平和が訪れた暁には、あらためて汪兆銘、西郷隆盛の2人が再評価される日々が来ることを願わずにはおれません。

 

 

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