極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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勇気をもって真実を語った人達

2017-06-25 13:33:48 | 戦後

以下文は、ウィキペディア、マッカーサー回願録、東京裁判・日本の弁明(小堀桂一郎、講談社学術文庫)等を一部コピー、参考としています。

 

何時の時代も、勇気を持って事に当たると言うことは大変な困難を伴い、時には犠牲、自己益を大きく失う可能性さえあるようです。

「勇気」とは、普通の人が恐怖、不安、 躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れず、自分の信念を貫き、向かっていく積極的で強い心意気・・・世界には勇気をもって真実を語った人達が多くいます。

以下文に記したケインズ、パール判事、ブレイクニー、ローガン弁護人・・・これらの人達は、自国と自国民を裏切って日本を弁護したのではありません。一貫しているのは、 法の精神に基づいて、自国のことも他国のことも是は是、非は非とするフェアーな態度です。この態度は現代日本人も学び真習うべきです。

 

経済学者て有名なイギリス人ジョン・M・ケインズ、東京裁判パールインド人判事、ブレイクニー、ローガン弁護人等2次大戦と関わりが深い人です。

*経済学者、イギリス人ジョン・M・ケインズ

第1次世界大戦終了、フランス・ベルサイユで戦勝国による戦後処理を話し合う会議が開かれました。

ベルサイユ会議のリーダーは事実上、クレマンソー・仏総理でした。クレマンソー・仏総理は戦争を起こしたドイツに対して、ドイツの存亡に関わる位の過酷な賠償金等を課そうと会議で先頭になって主張、他国は吃驚するくらいの考えられるありとあらゆる束縛を、ドイツに加えようとしました。

クレマンソー・仏総理は今後の独仏戦を予想し、この機会にドイツを徹底的に壊滅させたいと考えたようです。こうしてドイツを徹底的に痛めつける内容のベルサイユ条約の原案がつくられました。

原案にはアメリカ大統領ウィルソン等は即同意、このとき一人憤然として反対を唱えた男がいました。イギリス大蔵省から使節として派遣されていた有名な経済学者ケインズです!こんな無茶苦茶なベルサイユ条約が通ったら、再度世界大戦が必ず起こることになるだろう、条約には絶対に反対と言って、英首相ロイド・ジョージや、次官達へ全身全霊で訴えました。しかし、ケインズの言葉は周りから一切無視され、聞き入れられることはありませんでした。経済学者ケインズは地位も名誉の失うのを覚悟で辞表を叩きつけてロンドンに帰りました。

ちょうど、2次大戦の起こる22年前です。ベルサイユ条約は採択、世界史に無いような天文学的な賠償金がドイツに課せられました。

ドイツは貧困にあえぎ、苦しみました。当然国民は無茶苦茶な条約に猛反発しました。ケインズは、こんな形で無慈悲にドイツを痛めつけるなら、将来欧州に必ず大戦が起こる!ケインズの言葉通り、その後ドイツにはドイツの存亡を賭けたヒトラーが台頭、ヨーロッパは第2次大戦の戦火に包まれて行きました。

ケインズの言ったように、ベルサイユ条約の内容が少しでも変わっていたら第2次大戦は回避できた可能性があります・・・

*ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney)弁護人(東京裁判)

敗戦後日本を裁く東京裁判で、日本の被告のためにアメリカ人弁護人がつきました。彼ら弁護人は本当に真実を語りましたが、そのうち幾人かは、あまり真実、率直なのでGHQマッカーサーにより除名されました。
ブレイクニー弁護人は、この裁判は誤りである。原爆投下という空前の民間人虐殺、国際法違反を犯した国が、この被告らを裁く権利はない!と弁護主張・・・回りの判事等は唖然としてしまい、敵対していきました。

彼はそんな痛烈な発言をしたので、発言の途中で連合国側が日本語の通訳を故意中断させ、議事録からも外されてしまいました。

この事は当時は日本人にも知らされませんでした。彼の発言は、裁判の記録映画が公開されて初めて日本人にわかったことです。アメリカ人にも、侍のような正義、良心、勇気をもって真実を語る人たちがいました。

*ローガン弁護人(東京裁判)
ローガン弁護人は、西欧列強は日本に対し経済封鎖を行なった、これ自体が戦争行為である!

 ローガン弁護人は、最終弁論において、アメリカの対日経済制裁と戦争挑発政策を批判し、大東亜戦争は不当の挑発に起因した、国家存立のための自衛戦争であったと論じ、真珠湾攻撃については、この日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものでありますと述べ、アメリカの戦争責任を徹底的に追及しています。

軍事的包囲網の脅威が加わって、当時の日本は本当に生きるか死ぬかの危機に立たされてしまった。(日米通商航海条約失効、米国国防強化促進法成立、航空機燃料の対日全面禁輸、くず鉄の対日全面禁輸、石油対日輸出許可制、日本の在米資産凍結、石油全面禁輸・・・同様にドイツの内情も理解していた節があります。引き金となったポーランド侵攻、ドイツに正当性がある部分が多く、まんまと戦争に引きずられていったと理解していたようです。)
アメリカは真珠湾攻撃の30年以上前から、オレンジ計画」と呼ばれる、有色人種日本を叩きつぶす計画を練っていました。

目的は日本をつぶせば、米国は中国の莫大な権益を得ることが出来る!西部開拓史そのものです。

日本が対米戦を意識し始めたのは、1年前位であると言われていますがどちらが先に戦争の意志を持っていたか、一目瞭然ではないか!そんな者たちに日本を裁く権利はない!と堂々と勇気を持って公言、正論を述べています。

*インドのパール判事(東京裁判)

インドのパール判事、東京裁判には、11人の判事(まともな判事はパールのみと思います。)がいましたが、パール判事はその一人で、戦後の日本人に大きな希望を与えたと思います。

インド人で、カルカッタ大学の副総長でした。裁判官としては最高の地位の人です。判事らの中で唯一、国際法の専門家です。ほかの判事は、国際法に関してはまったくの素人ばかりで、よくこんな人物が裁判を、パール判事のみ東京裁判でただ一人、被告の全員無罪を主張しました。 

パール判事は、この裁判はおかしい、法律のように見えるが、単なる復讐劇である。

自身日本の近代史を事細かに調べ、日本には共同謀議など存在しない。日本は自存自衛のために立ち上がったに過ぎない・・・日本は無罪との結論に達し、勇気を持って全身全霊で主張しました。
有罪とするのは白人側の国々である。パール判事は国際法を吟味し公平に歴史を判断するなら、法的な見地からして日本は無罪だと言い、日本は正当防衛をしたと・・・判決文は膨大な量になりました。
無罪を言ったのは、11人の判事中、唯一人パール判事のみです。この判決文は、東京裁判においては、無視され続けられ、朗読すらされませんでした。判決文公開もGHQの占領が終わるまでは許されませんでした。
最初から東京裁判の結論は決まっており、日本の指導者たちを葬るための裁判、単なる見せしめでしかありませんでした。

ただ一人パール判事は勇気をもって最後まで真実を語り続けました。彼の判決文は東京裁判では完全に無視されましたが、以後ヨーロッパで公開され大波紋を呼びましたが、日本ではGHQの検閲、言論統制等(日本人数万人以上が高額報酬等で協力)で、公開されませんでした。

ヨーロッパ各国の新聞はトップニュース扱いで宗教団体や法学者、平和主義者等などの間で、大論争を巻き起こしましたが、これらの真実は日本ではあまり知られていません。

以後、欧米州、アジア、アフリカ等々でパール判事の判決が正しい とする学者が大勢現われ、今日もパール判事の判決は非常に正当なものだったと世界的に大きく評価され、世界の法律学生の参考資料として生かされているそうです。

国際法委員会(国際連合)でも、パール判事の判決は正しいとみる見方が常識となりました。

呆れたことに、世界の中でこの日本においてだけ、パール判事の判決に異議を唱える学者が少なくありません!

GHQ作成、東京裁判史観とも呼ばれる自虐史観が、今も日本に根強く残っており、パール判決書を都合よくつまみ食い、パール判事は日本無罪を主張したわけではないと主張する本が出版されました。呆れるばかりです!以後、現在もNHKもそれを鵜呑みにして一部放送して国民に混乱を与えているように思います。パールの判決書を読むと、パール判事は、法に照らし正しい判断をし、明確に日本の無罪を主張してます。

東京裁判でA級戦犯とされた東條英機、松井石根等、多くの戦犯とされた人々も、処刑されるまでの間にこのパール判事の判決書を読み、感動を与えたと言われており、感謝の言葉を残して刑を受けています。当時の世界情勢をよく分析し、日本の行動と立場をよく理解して書かれた東京裁判パール判事の著書を是非皆さんも一読されて下さい。
パール判事の凄いところは、判決文は「同情では無く、真実だから、そう判決しました」・・・明確です。

 

戦後の東京裁判で、真理に立つ立派な勇気ある判事がいたことを思うとき、日本人である私たちは、後世忘れてはならないと思います。
東京裁判担当のマッカーサー元帥自身、昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた第2次世界大戦における対日戦略(Strategy Against Japan In World War II)で、ヒッケンルーパー上院議員(Senator Hickenlooper)の5番目の質疑応答で、日本は侵略戦争したのではなく自己防衛のためであったと明確に発言しています。

東京裁判での主席検事だったキーナンも、東京裁判は感情論に過ぎたとの反省を新聞記者等に発表しています。裁判が終わって五年後のことです・・・残念ながら、これらの事実は日本で大きく報道されることはありませんでした。日本の指導者たちはA級戦犯の汚名を着せられて処刑されていきました。B、C級戦犯として処刑された人々も数え切れないほど大勢います。

現在も多くの日本人の心の中には、日本は悪者だった、日本軍は極悪人である等々、自虐史観が強く残ったままです。一向に進まない憲法改正、9条等問題、根底には日本人に脳裏に焼きついた東京裁判があるように思います。多くの日本人が今一度、何故日本は戦ったか、敗戦後の戦後処理とも言える東京裁判を自分なりに精査することは大切だと思います。世界はトランプ大統領の登場で大きく変わろうとしています。日本の未来を確かなものにするためにも東京裁判を正しく理解することが必要だと思います。

東京裁判での弁護人、パール判事達が勇気をもって真実を語ってくれたという事実を知ると、私達日本人は大きな励ましになると思います。もし真実を勇気を持って語る者が誰もいなかったなら、私達はこの世界、日本に希望を持つことができなかったと言っても過言ではないと思います。

戦後、長き月日が過ぎましたが激動期、勇気を持って語ってくれた人達に、私達は勇気を持って自分なりに答えるべきです。

 

参考(和訳は誤訳があるかも知れません。)
第2次世界大戦における対日本戦略

(昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答)

*ヒッケンルーパー上院議員
5番目の質問、中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか?

*マッカーサー将軍

そのとうりです。

太平洋では、我々は日本を迂回し、そして閉じ込めました。

日本が抱える8000万人に及ぶ大きな人口は、4つの島に詰め込まれていたということを理解する必要があります。

人口の約半分は農業人口で、残りの半分は工業従事者です。潜在的には、日本の予備労働力は量、質的にも、どこにも劣らぬ優れたものであると思います。

日本人は労働の大切さを見つけています。それは人間は何もしない時よりも、働いているときの方が幸せだということです。
大きな労働能力が存在することは、何か働くための対象が必要なことを意味します。

日本は工場を建設、労働力を抱えていましたが基本的な資材が不足していました。
綿、羊毛、石油製品、スズ、ゴム、その他にも多くの資源が欠乏していました。これらの全てはアジア地域に存在していました。
これらの資源供給が断たれた場合、日本では、1000万人~1200万人の失業者が生まれる恐怖感等が存在しました。
日本は戦争を始めた目的は、安全保障上の必要に迫られてのことです。

Strategy Against Japan In World War II
Senator Hickenlooper.
Question No. 5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General MacArthur.
Yes, sir.
In the Pacific we bypassed them.
We closed in.
You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands.
It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known.
Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.
They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.


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