極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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熊本地震と高校生

2016-05-14 21:25:05 | 日本社会

今も地震が続く熊本、建物の損壊はすさまじく、避難者は依然として約1万人いると言われています。現在も罹災(りさい)証明書の発行は進んでいません。被災した1万人の人が今も体育館、自家用車内、テント等で生活しています。

4月14日の震度7から2週間後、数人の高校生が多くの被災者が生活する熊本市内の体育館の汚れた便所を自主的に掃除をしていました。
たまたまそこにいた高校生は民間テレビのインタビューを受けました、勿論このインタビューは事前予行無しです。

その高校生は、インタビューに明快に答えました。
「もし私達が汚れた便所掃除しなかったら、中で生活してる多くの被災者の人達が快適に生活できません」と答えました。この言葉は何気ない言葉ですが凄い言葉です。
このような言葉を明快に喋る高校生・・・高校生の家も被災しています、それでも自分達が汚れた便所掃除を自主的にしなかったら多くの被災した人達が快適に生活できない・・・現、東京都知事は、この高校生から公僕とはの一部でも何か是非学んでほしいですね。
この高校生の行為は小さいかも知れないですが、武士道で言う滅私奉公に通じるものがあるように思います。
高校生達が地震被災を克服し、未来が夢のある素晴らしいものであることを願わずにはおれません。

国を司る人達は、滅私奉公等々の意味を理解、結果を国、社会で発露して欲しいものです

武士道に、滅私奉公(めっしぼうこう)と言う言葉があります。
滅私奉公というと、馬鹿馬鹿しい時代遅れの教えのように思えるかもしれません。
意味は、私利私欲を捨て、公のために生きると言うことだと思います。
自分を捨てることによって、そこに本当の自分が生まれる。
私を滅して公のために生きるときに、本当の生き方が始まる。
私利私欲に生きる者は、結局何もかも失います。むしろ、私利私欲を捨てて公のために生きる者はすべてを得るかも知れません。

新渡戸稲造は、その著、武士道の中で金銭なく、価格なくしてのみ、なされ得る高貴な仕事があるということを武士道は信じたと言っています。
お金とは関係のない、値段をつけることができない高貴な仕事というものが、この世にはあると説いています。

西郷隆盛の言葉に、金も名誉も命もいらぬという人間は、まことに始末に困る。しかし、そのような人間でなければ、天下の大事はまかせられないとあります。
私利私欲を捨てた人間でなければ出来ない仕事がある。そういう人間でなければ、天下の大事はまかせられないと。

明治維新を切り開いた吉田松陰「かくすれば・かくなるものと知りながら・やむにやまれぬ大和魂」
これをすれば損になる。
破産するかもしれない。
死ななければならないかもしれない。
・・・それはわかっている、しかしそれを知っていても、人生でこれだけはしなければならないという仕事がある。
かくすれば・かくなるものと知りながら・どうしてもこれだけはやり遂げなければならない。そういう、やむにやまれぬ大和魂が私の内にある。
その心を持って、吉田松陰は大和魂に生きました、僅か29歳で散っていきましたが、吉田松陰の門下からは明治維新を担った人材が続々と出ていきました。
世の中には金のためでない、私利私欲のためでもない、そうしたものでは測れない大切な仕事があるということです。

「世の中全て金」、「金銭保有で人間の価値が決まる。」と言う現代、本当に寂しい限りです。
勿論最低限の金は生きていく上必要ですが。
武士道等々は、私達に時代を越えて人の生き様を教えているように思います。


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