極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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砂漠の静けさを愛した、カダフィ大佐

2016-03-11 10:25:12 | 戦後

カダフィ大佐と言うと、一部の方は変わり者、テロの指導者みたいに思う方もいるようですが、欧米の植民地支配等々、イスラム、アラブ人等の尊厳を白人から守り、真のリビアの独立を目指していました。

大佐とは通称(正式ではないが世間一般で呼ばれている名称)で、軍人階級を意味するのではなくエジプト革命時の尊敬する元エジプト、ナセル大統領の呼称(名をつけて呼ぶこと。)です。
1942年生まれ、北部シルトの遊牧民の子供で、陸軍士官学校を卒業後、英国留学、帰国後の69年、青年将校団を率いて無血クーデターを起こしています。1977年に革命理論をまとめた、「緑の書」に基づく独自の直接民主制を取り入れています。反欧米のためアラブの狂犬とも言われていました。

有名な日本人とのカダフィ大佐とのインタービューです・・・国内で報道されることはありませんでした。
「私は、素晴らしい才能を持つ日本人を本当に心から尊敬しています。
しかし、残念ながら日本に原爆を投下した国の罪悪を追及することなく、自国の防衛を敵に任せている。
念の入ったことに、軍隊を持てないようにさせられている。
原爆を落とした国に頼っている・・・」
カダフィ大佐は日本の独立を危惧していました。

有名な、緑の書(The Green Book)は、リビアのカダフィ大佐の革命思想書です。1975年発表、資本主義でも共産主義でもない独自の理論、世界第三理論が中核です。1964年に中国で刊行された毛沢東語録(Little Red Book)に影響を受け、コーランの世界観を加えたものと言われています。
イスラム・アラブ世界では強い政府、強権、独裁による安定が一般的と言われています。私達から見れば圧政を敷いているように見えますが民の心を捉えてると言えると思います。文献等々を精査すれば、当時のリビア国民は間違いなく幸せを感じていたと言われています。

特筆すべきは独自の策を行っています。
*イスラム教による社会主義統治
*アラブ人の民族主義と社会主義と民主主義を融合
*革命法を施行、議会が廃止され直接民主主義へ、政党も解散
*企業が利潤を求めるのは人民に対する搾取として廃止
*労働者のストライキ禁止
*理想のため外的を暴力で排除

40年以上の治世で、王政時代から顕著だったとされるリビア国内での東西対立を押さえ込み、多民族国家の国民をリビア人として統合してきました。
当時のリビアは多民族国家でまとめるのが難しく、独裁体制ではありましたが長期的に安定させました。
王制を打倒し、直接民主制の導入、代議員が存在せず、直接、国民の声を政治に反映させるとする直接民主制国家を建設
特に、石油産業国営化による収益で、国民に対し厚い福祉、教育、医療などが無料、夢のような社会を実現しています。

女性の教育支援等にも力を入れています。リビアでは女性の方が男性よりも高等教育の奨学金制度を利用しています。多くのリビア女性が科学者、大学教授、弁護士、医師、政府職員になっています。政府は一貫して女性がその生き方を自由に選べるような政策を行っています。イスラム教の導師の中にはこの政策に反対する者もいましたが政府はその声を抑制しています。
リビア女性の教育を向上させ、女子士官学校を開設、教育の機会均等を実践するなど女性の解放では先駆的な策を行っています。

リビア国民への厚い福祉、教育、医療、国が運営する各種サービスは、ほとんどが無料でした、これらは国営化した石油産業からの莫大な収益によるものです。アフリカ諸国の中で、リビア国民の就学年数、平均寿命、一人当たりGDPなどの統計指標は、全てトップクラスでした。
社会主義人民リビア・アラブ国・・・人間開発指数(HDI、UNDP,2010年)は、169か国中53位、アフリカ中でトップクラスです。
平均寿命が74、5歳と先進国並みです。
一人当たりGDPも年170万円で、日本のパート社員以上です。
国民の教育期間は7、3年(日本は12年)

1992年の国連経済制裁後、米国と和解しています。アラブ主義からアフリカ主義へ、2000年、西アフリカのトーゴで開かれたアフリカ統一機構(OAU)サミットではアフリカ諸国から大歓迎を受けています。
アフリカ連合(AU)の実現を呼びかけ2002年に実現し、アフリカの盟主になっています。
アフリカ連合(African Union, AU)は欧米による新植民地主義と闘うことが目的でした。カダフィ大佐も創設時のメンバーです。

1970年頃から米国と敵対しレーガン大統領は中東の狂犬と発言しています。1986年に米軍が自宅を空爆、養女が死亡しています。2003年に大量破壊兵器を放棄、米欧と協調しています。

最大の大国サウジアラビアが王政であることを筆頭に、独裁でもアメリカと仲良くしていれば国際社会から批判されないと思っていたようですが、欧米にとってやはり、カダフィ大佐のやり方は欧米の利権を失うことになり、最後は殺害されてしまいました。これらを精査すれば本当に理不尽なことです。
私達日本人に、本当の民の幸せは何か・・・を知らせたように思える時があります。


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